2012年 02月 02日
早春の味覚
 今朝も日本海側には大雪が続いているようですが、春の到来は土の中からお知らせが来ます。この人が歩いたあとには何も残っていないといわれているタケノコ掘りの名人からプレゼントが届きました。
 タケノコというと円錐形の姿を想像しますが、この方は途中でバッサリはしたくないらしく、太い部分では切断せずこうした形で届けて下さいます。下が丸まったキュートな形をこよなく愛していらっしゃるようです。

 この時期のBabyタケノコはあくがまったくないので、なるべくそのまま食べるようにとのご指示がありました。タケノコご飯も米の方に多少味をつけ、タケノコはスライスしただけでその上にのせて炊くのだそうです。茶飯の上に白いタケノコが乗っていて見慣れない色合いでしたが、タケノコの甘みと香りが抜群でなるほどと納得しました。


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# by my-pixy | 2012-02-02 09:45
2012年 02月 01日
2月 アベイロ  
 カレンダーがなくなったので、つい月の変わり目を忘れてしまいます。

 昨年、迷いながらも終わりにするのを決めたときブログの雰囲気が変わることも懸念していたのですが、果たせるかなこの一枚がないことはやはり重大です。
 やはり何とかして続けなければなりません。
 さいわいカレンダーには落選した写真はありますので何とかなりますが、少し先の分まで用意をしておかないと切羽つまってしまいます。これは1980年代のポルトガルですが、最近テレビに登場してくるのを見ていていても、あの、サウディサウダージュという言葉を思い出します。


# by my-pixy | 2012-02-01 08:17
2012年 01月 30日
ブログ記事の編集
 ブログは便利なものですが編集レイアウトなどには限界や制約が多く、それをすり抜けるのにだまし合いのような苦労もつきものです。少し長い話になると何回かに分けて書くにせよ、上から読んで、次には下から上の記事に上がるという流れにはどうしても抵抗があります。先日ブログに書いた記事をコピー&ペーストで Pages でまとめなおしてみました。
 どう考えてもこちらの方が読みやすいに決まっています。何日にも亘る連載ものはブログには向いていないことは明らかですが、止めるわけにもいかないのがジレンマです。


# by my-pixy | 2012-01-30 09:54
2012年 01月 29日
いろいろな背景
 カメラネタもなくなって話題に窮していることは事実ですが、リンクしている他のブログも更新は少ないので、カメラマンの望月さんのブログがあった頃のような楽しみはありません。私もあえて10日ほど更新を控えてみました。通常ならてきめんにアクセスが落ちるはずなですが不思議にも500以上をキープしています。みんな退屈しているらしいので、今年になっても更新のないブログ荒らしを始めることにしました。第一号は左の画像です。

 補綴物の背景に使う色には禁忌例があります。メタルがのめり込んでしまう黒は使えません。それなら白は良いかというとメタルの反射との境界がむずかしくなります。どぎつい赤や黄色はセンスを疑われます。最近流行のセラミックスも難しい素材です。このクラウンでも背景の緑がかぶってしまっていますが、セラミックだったらまったく使い物になりません。こうしたことは選択ツールで補綴物を切り抜いて見るとよく分かります。結局、無彩色しかなくWhich colors do you like?ではないのです。
 今日は2〜3日分の記事を仕込む予定です。心当たりの方はご用心を!



# by my-pixy | 2012-01-29 08:58
2012年 01月 20日
不得意種目・続き
 1月13日のつづきです。新年会で話題になり根充が見物だなどという意地悪な発言もありました。そうまで言われて何事かあればと、細心の注意で拡大を続けていました。症状はすっかり消え問題ないのですが、拡大は思ったようには進みませんでした。それでも3回目には少し成果がと思った時です。根管内に入れて作業していた清掃剤が突然ヘドロ色に変わりました。まさか!もしかして!と仰天しましたが、力はかけていなかったので、洗浄を繰り返し清掃剤を入れ換えました。
 あの黄褐色は何処へやら根管内は何事もなかったように戻りました。ほっとしてポイントの試適をする余裕も出ましたが、デンタルX線を見てまたビックリ。あの弯曲根管は消えてありません。根尖は遠心に移動してしまいましたがこれは能力の限界です。ヘドロがたまっていたのは上の矢印の弯曲部分だったのだろうというのが結論です。日暮れて道遠しの一幕でした。


# by my-pixy | 2012-01-20 07:59
2012年 01月 19日
60才という年齢 2
 マージンからのカリエスはあいかわらずで脱落は繰り返されます。清掃状態はいくらかは良くなってきたようですが時すでに遅しです。チューリップ状になったポストの形状にこれまでの経緯が見られます。患者さんは59才でまもなく60才になります。
 思いがけず、左右に1本ずつのインプラントを埋入し短縮歯列で補綴することになりました。下顎と同じ6までは補綴せず、下顎を含め3つの可撤ブリッジです。今後、インプラントはもう増やしませんが、将来、左右を一体化することがあれば左右に義歯床をつけ1歯ずつ延長するかもしれません。私がこだわる可撤式の魅力で、現在は2〜3日に1度ぐらいは外して清掃しているようです。
 初診から20年経ってようやく写真を撮れるような状態になり、クリーニングもしてもらったようです。ようやく歯列の連続性は戻ってきましたが、ヘビースモーカーは変わりません。
 インプラントが3本になり、内冠だけは余分になりますが、クラウンブリッジと同じ使用感で、術者としても今後への安心感はたまりません。これがパーシャル・デンチャー新時代の一つの形と思っているのですが、反応もないので術後のパノラマなどは省略しました。編集者不在の歯科雑誌に書くつもりもありませんので、ブログだけが発表の場という状態は続きそうです。(こんなテレビ番組も放映されました



# by my-pixy | 2012-01-19 13:51
2012年 01月 18日
60才という年齢
 60才という年齢は何かが起こる時とはかねがね思っています。私の夢のタヒチのクルージングもはじめての救急車もこの時のことでした。
 この患者さんとのお付き合いもその頃1989年に始まります。プラコンは糠に釘、脅してもすかしても効なく辛いカリエス処置が繰り返されました。こちらもうんざりですがご本人も辛かったろうと思います。パノラマは15年後の、クラウンのコアごと脱落の時代のものです。それでも諦めることはなく脱落したクラウンを持って来院されます。役者は一枚上手でパナビア、スーパーボンドを使わされていましたが、ぼつぼつ偏在も始まります。 


 2007年右下6がなくなり事態は切迫します。4の抜歯窩に不用になった残根を移植したりもしましたが、3を失うことにでもなったら大変とインプラント埋入を決めました。12年目にして初めての口腔内写真です。移植した4はサポートの足しにはなるだろうとそのまま残しました。
 ただ上顎にも脱落を繰り返し、縁下深くに入った残根が軒並みですから先はさっぱり見えず手をこまぬいていました。



# by my-pixy | 2012-01-18 10:47
2012年 01月 17日
リアエントリーのスキー靴
 20年ほど前には全盛だったリアエントリーのスキーブーツですが、僅かな2〜3年の間にすっかり姿を消してしまい、どちらかといえば競技向けの重い靴ばかりになってしまいました。重さもさることながら、さらに困るのは足の出し入れがすこぶる困難なことで朝晩フーフーいいながら脱着していました。
 先日もかなり難渋してぐちをこぼしていたところ、最近、駿河台付近で見かけたという話を聞きました。いっそのこと一日1000円のレンタルブーツにしようかとさえ思っていたくらいで、今さら新調もためらわれたのですが、まずは現物を見に行ってみました。
 値段もまずまずですし予想よりは良さそうなので、スキー靴のために引退時期を早めるよりはもう一滑りと購入を決めました。馴染むまではちょっと辛いかもしれませんが初戦は2月始めです。


# by my-pixy | 2012-01-17 13:42
2012年 01月 13日
不得意種目
 今年の新年は不得意な3人のエンドの患者さんで始まりました。その中のお一人で49才の女性です。

 2009年にも違和感を訴えて来院されたのですがはっきりせず投薬のみで終わりました。今回は夜間下顎右即に強いしびれを感じボルタレンの投薬で緩解したが、違和感が消えないとのことで来院されました。

 自発痛、咬合痛などはなく頬部からの軽い圧痛があるがけでしたが、5番には根尖病変が見られ6番ポンティック下にはフィステルらしきものが見られました。5のエンドは必須ですがきれいに作られたブリッジが装着されているだけに逡巡しました。できれば小さな穴だけでエンドを行いたかったのですが歯根の強い弯曲からアクセスに手こずり、安全策として56間の切断に変更しました。
 
 再利用のことなども考えディスクでそろそろと切断しましたが、完了と共に5のクラウンがポロリと落ちてきた時にはびっくりしました。こんなことなら始めから切断すればよかったわけですが、まさか前方支台のセメントが完全にウオッシュアウトしていようとは予想をしていませんでした。メタルとパナビアの接着不良で片側脱離したようですが、ブリッジの強度があるため事前に発見はできませんでした。脱落したクラウンの内面を見てもリン酸亜鉛セメントでは起こりえない状態です。

 前半の先が見えない緊張状態を脱し、視野は広がって弯曲根管の処置は順調に進みました。連休後にはすべての症状は消失しましたが根管拡大には時間がかかっています。
 何年経っても臨床の意外性から解放されることはありませんが、それゆえ楽しさも尽きないようです。



# by my-pixy | 2012-01-13 14:51
2012年 01月 12日
ファインダと背面モニター(まとめ)
 カメラのファインダーは光学顕微鏡や望遠鏡と同様に対象を観察し記録するためのものです。これに対し背面モニターは情報を表示したり確認するもので本来の目的は大きく異なります。
 2眼レフから1眼レフに到る長い苦難の歴史と、ケイタイにレンズをつけたらカメラになったという偶然とはまったく異なります。カメラだけでなく社会における写真、画像、影像などの存在も大きく変わってきましたから、デジタルカメラをフィルムカメラと同じに考えることには無理があるかもしれません。しかし顕微鏡でも双眼鏡でもファインダー(接眼レンズ)は光学的で目に当てて観察します。私はカメラにも同じ機能を求めます。

 はいポーズ!に応えてボケボケの電子画像を眺めながら写真を撮ろうとは思いません。試行錯誤の末2眼レフを1眼レフに進化させた「ミラー」を冒涜するようなミラーレスという言葉は、ハイブリットセラミックスとともに死語にしたいとさえ思っています。素性からも彼らはケイタイであってカメラではないのです。


# by my-pixy | 2012-01-12 09:08
2012年 01月 11日
カメラの命はファインダー4
 お手本は1930年代に生まれたライカでしたから、レンズ交換時の内蔵ファインダー視野の切り替えなど、ライカの欠点もそのまま踏襲していました。レンズ交換ができることは魅力でしたが、内蔵ファインダー視野は標準レンズのものですから、ファインダーもそのレンズ用のものに変えなければなりません。まだズームレンズもほとんど無かったからよかったのですが、それでもカメラ上部に取り付ける個別、可変性のファインダーなどはうっとうしいものでした。もとよりドイツ製カメラは今でもウインドウの華で、交換レンズの値段で日本製カメラは何台も買えました。さりとてニコン、キャノンに乗り換える気にもなりませんでした。

 そうこうしているうちにカメラメーカーでもない旭光学から35ミリの一眼レフが出てきました。面白いなとは思いましたがファインダーは2眼レフと同じで左右は逆になりますから動態撮影は無理。申しわけのような透視ファインダーはついていてもピントなどが見えるわけではなく、何よりこれで製品?といった仕上がりでした。
 しかし5年後、ペンタプリズムを内蔵し、名前もペンタックスAPと改名して再登場してからは、一気に庶民のアイドル的存在になりました。左右逆だったファインダーは正像に変わり、シャッタを切ると真っ暗になる問題もミラーのクイックリターンで克服されました。
 ライカ型に血道を上げていたニコンもキャノンも置き去りにする快挙で、価格は1/3位だったと思います。この後、東京オリンピックの年に出たSPからは、僅か3万円でマルチ目的に使える中核カメラになりました。

 急ターンして後を追うことになったニコンも、出遅れたキャノンも一眼レフグループに加わり、元祖ライカ、コンタックスは骨董カメラになりました。敗戦から僅か20年目の大逆転劇です。ワイドでも望遠でもズームでもレンズを変えれば、それぞれの画像がくっきりファインダーに見えるという当たり前のことが実現してまもなく50年になります。
 もしフィルム健在でデジカメ時代にならなければ、HOYAやリコーに買われたりせず独自の道を歩んでいたでしょうが、コダックもフジもコニカもミノルタも大ツナミの前には無力でした。




# by my-pixy | 2012-01-11 08:35
2012年 01月 10日
カメラの命はファインダー3
 キャノンはライカをコピーしニコンはコンタックスをまねて35㎜カメラを作り始めました。一番下のニコンS2が朝鮮戦争でマグナムなどの報道カメラマンに評価され、一気にドイツ製と肩を並べるようになった話しは有名です。
 この後、長いニコンFの時代を終えデジタル一眼に軸足を移していった2000年頃になって、レプリカモデルが限定生産され、瞬時に売り切れたことからも当時の熱気が半端でなかったことが分かります。

 この時代は日本の二大メーカーもライカ型のドイツ製35㎜カメラを模倣しながら、35㎜カメラ製作のイロハを学習していた時代で、他にもニッカ、レオタックスなどライカのそっくりさんが世に溢れていました。

 われわれといえば、箱形の大きなボディや上からのぞき見るしかないファインダなど2眼レフの限界は感じていましたが、36平方センチから 8.6になるフィルムサイズの減少が最大の懸念材料で両者を併用していました。

 この時点では口腔内写真撮影のことなどはまったく考えていませんでしたので、スキーや雪山撮影が主な被写体でした。


 

# by my-pixy | 2012-01-10 19:02
2012年 01月 10日
カメラの命はファインダー2
 同じタイトルで2008年5.9 にも書いていますが、ミラーレス機などの横行で手を前に伸ばして背面モニターを眺めながらの撮影は増えるばかりです。カメラ設計もファインダーなしが当たり前、まれに電子ビューファインダーをつけたものが出てくるといった有様です。
 さすがにレンズ交換可能な一眼レフには光学ファインダーを備えていますし、カメラ教室ではカメラブレを起こさぬようわきを固めてシャッターを切れと教えられています。両者の差を日本語では「眺める」と「狙う」とに区別しているようです。
 戦後、私の学生時代に日本のカメラは急速に進歩しました。高級カメラといえばすべてドイツ製だった1950年頃ツァイス、ライツ、コンタックス、フォクトレンデルといった牙城に果敢に挑んでいったのです。ニコン、キャノンなどが揃ってドイツ製35㎜コピーのようなカメラでスタートし、朝鮮戦争で認められるようになるまで10年はかからなかったと思います。
 映画用のフィルムを使う35㎜のカメラはこの頃から急速に伸びて行きますが、われわれカメラマニアの主要フィルムは 6センチ幅のブローニーフィルムで、その旗頭が 2 眼レフといわれた画像のようなカメラでした。このカメラの上半分はファインダー用のレンズと遮光用のフードで、撮影時にはカメラの3/4を占めています。

 さすがにこれはアンバランスだと撮影用のレンズとファインダー用レンズを一体化する試みは続けられましたが製品はなかなか誕生しませんでした。ここでいいたいことはそれほどまでファインダーは大切にされてきたということです。
 下の画像はドイツ製の2眼レフを精いっぱいまねた日本製2眼レフのごく一部です。ローライコードなどとても買えないわれわれも、フィルムと同じサイズのファインダーを覗きながら写真を撮っていました。こういったコピー商品は大メーカーも臆面もなく製造していました。敗戦国ということで大目に見られていたからでしょう。



# by my-pixy | 2012-01-10 11:32
2012年 01月 08日
三連休は白馬
 新年仕事始めと思いきやたった二日での三連休に閉口し、むかし懐かしい白馬八方尾根散策に出かけました。
 最盛期はほとんど毎週、金曜日の夕方クルマで東京を飛び出し、高速道路もあまりない中央道をひた走り大町経由で白馬村へ、初期にはゴンドラもリフトもない黒菱までスキーを担いで上がっていました。滑るコースもスキーの長さの倍ぐらいしかない難所もありましたが、今は広大な斜面に変わっています。現在の天皇ご成婚のテレビを見ていたのもこの白馬村のゴンドラ乗り場だったことを憶えています。

 そして98年の長野オリンピックの時は2度目の急性膵炎で40日の入院中でした。あの歓声に埋まったジャンプ台には人影一人なく施設の管理も大変そうでした。兎平からのノンストップ滑降など今や夢のまた夢ですが、山麓から眺めるだけでも楽しい時間でした。再挑戦はしませんが、一ヶ月後には淋しくなったスキーグループに、平均20才は若いヨットグループを注入し白馬さのさかまで戻ってきます。

# by my-pixy | 2012-01-08 15:15
2012年 01月 05日
5本のクレーン
 昨年の暮れ頃から東京駅八重洲口の工事が最終段階に入ってきたようです。外見的にははりめぐされていた工事用の囲いがめっきり減り右側のデパートになるらしいハコモノは増えましたが、真ん中は空が広がり5本の大クレーンが何やら動き回っています。一階や地下では新しい通路やエスカレータが増えるのはよいのですが、改札の位置も変えるつもりらしく、新幹線を降りてから乗車券だけをもっていつしか丸の内に向かっていたり、地元でも油断は成りません。


# by my-pixy | 2012-01-05 14:49
2012年 01月 03日
今日は箱根駅伝
 関係者ではありませんが帰路すぐお近くを通って下さるので、応援団の太鼓の音にも誘われてちょっと見物に出てきました。チェアリーダーまでおそろいで気合いの入っている中にもぐりこむのはいささか気が引けましたが、往路復路ともダントツで帰って来た東洋大が東海大ではないことはよく分かりました。チェアリーデイングの全日本などは何度か見ていますが、グランドでもない屋外のコンクリートは足に好くないのではと心配したり楽しい一時で、さびしかったお正月はすっかり華やいだものに変わりました。(実写画像、拡大可)

 ただ車に取り囲まれたランナーを撮るチャンスが一瞬しかないことは想像以上の厳しさで、もし独走でなければ観衆との競り合いも出てもっと大変だったでしょう。
 それでも30分パソコンを離れただけで、体に残るブラスバンドの響きはすばらしい息抜きでした。



# by my-pixy | 2012-01-03 15:50
2012年 01月 01日
2011.1月
  あけましておめでとうごさいます。

 これまで月初めに使ってきたカレンダーの写真がなくなるので、口腔内写真ばかりになることを懸念していましたが、元日は雲が多く早速マダガスカルへ援軍コールです。

 正月休み用に、食品ともども仕事のデータもハードディスクに詰め込んでいたのですが、出がけにバタバタして置き忘れてしまいました。取りに戻ることも考えましたが、観念してテレビッコに徹することにしました。幸いにして、世界で一番遠い島トリスタン・デ・クーニャ。世界で一番大家族の島コロンビア、イスロデ島。サンゴ世界一奇跡の海、赤道直下インドネシア。北極海ヨットクルーズ。などなど2時間クラスの長時間ものに恵まれ退屈はしませんでした。

 これからもホットスポット、ワイルドライフなどのスペシャル版が続くようです。


# by my-pixy | 2012-01-01 12:12
2011年 12月 30日
傾斜歯の処置
 28日の続きです。まずこんな設計を考える方はないでしょうが、Tekでも確認していますし懸念はありません。7の延長部は小さな床として負荷はかかりますが、6番にとってはさらなるアップライトの方向です。硬質レジン歯ですから適当に咬耗もするでしょう。間違ってもシーソーのような力は受けません。

 前方への傾斜は歓迎できませんから、小さなピンホールをもったレストを4番に付加しました。高齢者の強みで内冠の形成と同時に無麻酔で行いました。外冠内面の箔は少し馴染んできたら撤去するでしょう。
 欠損を見ればインプラントしか思いつかない置換歯科医には、補綴という素晴らしさを再確認して欲しい設計です。経済的にも肉体的にも少ない侵襲で安心して利用できる可撤ブリッジの適応症でした。

 遅れていた今月10本のアップもこれで追いつきました。


# by my-pixy | 2011-12-30 08:36
2011年 12月 29日
KA367
 KA367の入力がまとまり始めました。まだリレーショナルというところまではいっていませんが、入力のチェックは繰り返していますので19日の時点より精度は上がってきています。総数は少し増えて73名ですが、最も関心のある犬歯が3本以上揃っている人は62名に上ります。無歯顎にインプラントを植立したようなケースも含め、残りは僅かに11名と驚くほどの結果です。

 ネーミングのもう一つの要素、67の方はアイヒナー分類とは違って1歯ずつでカウントしていますから、条件は厳しくなり咬合支持 0 が30ケースで1 が16ケースで両者で過半数を占めています。平均年齢はまだ調べていませんが、私の患者さんですから60代ではあろうと思います。

 こうした結果をお話しすると、すぐに犬歯が1本でも欠けたり、大臼歯部の咬合支持が不足するとインプラントと考える人が出そうで恐ろしいのですが、そんなために暗い日々を送っているわけではありません。

 隣在歯を削りたくないといわれたからインプラント!、入れ歯はいやだといわれたからインプラント!といった、プロとしての見識も説得もない歯科医療を何とかしたいという思いから、足場を探しているだけです。これからは、この足場上に構築する補綴方法についてまとめて行きます。


# by my-pixy | 2011-12-29 11:24
2011年 12月 28日
傾斜歯
 動乱の2011年も間もなく終わろうとしていますが、今年はカレンダーの仕事から解放されたはずなのにさっぱりゆとりがありません。昨日までの12月のアップはたった5件では「死んでるブログの仲間入り!」といわれてもしかたない状態です。2桁は無理としても何となく賑やかに年末を締めくくろうと悪あがきを始めました。

 このケース、定期診査では見ていたのですが、症状もない状態で手を出すと面倒なことになりそうと横着を決めこんでいました。しかし近心傾斜は次第に強くなるようで患者さんと協議の上、あまり大事にならないようにということでアップライトを始めました。予想よりは早くまずまずの状態になりましたので、有髄歯のままフルクラウンの形成を行い補綴物の製作に入りました。


# by my-pixy | 2011-12-28 12:03


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