2011年 11月 02日
復刻版・分類の弊害
f0103459_95430.jpg(蔵にしまい込まれていた・もぐらのつぶやき・2004.4.21から掘り出しました。)
 パーシャル・デンチャーのディスカッションをするとき、2~3歯の欠損から総義歯に近い症例までを一緒に取り上げていくことには無理があります。自分が発表をする場合でも、どこかに対象を絞りこまなければ話はまとまりません。そんな必要性から症例を区分することが始まったのでしょう。しかし欠損歯列には病因から現症までさまざまな要因がからみあって内在しています。欠損形態から分類したケネディの分類も、臼歯部咬合支持域で分類するアイヒナーの分類も、入り組んだ現症を一つの切り口で観察した結果でしかありません。盲人が象をなでたたとえ話のように、切り方が変われば見え方が大きく変わるのは当然です。
 こんなことは誰でも分かり切ったことですが、いざとなるとおかしな質問が出てきます。「67欠損でアイヒナーB1なのですが、8番があるときはどうするのですか」「両側遊離端欠損で下顎の4があるのでB3なのですが、4は付着が少なく残せるかどうかわかりません。」といった類です。術者しか8や4の状態はよく分からないのですから本人が決めるしかなさそうです。それに敢えて決めてみてもそれが何かに役立つのでしょうか?。ケースプレのセレモニーに役立っているだけではないでしょうか。
 片側の上下犬歯だけが対咬していて、他はすれ違い的に欠損しているようなときは、ケネディでもアイヒナーでもなく「3を喪失すればすれちがいのケース」と表現した方が単純明快なはずです。ところが何かの分類にはまると、何が何でもそれで区分けしなければ気が済まなくなります。それだけならまだしも儀式の陰にかくれて、大切なことが見えなくなってしまうのです。「木を見て森を見ず」という名言があるのに。

 長いこと根に持っていることです。さて今回のプロジェクトで一歩前進できるでしょうか。問題点を絞り込んでいく過程で、患者さんの人柄、既往歴などという大切な項目をそぎ落としてきました。記述された項目を設計に直結することはできないからです。それを読み解けるときのは術者としても一人前になってなっていますがその時まで「森」は見えないのです。

by my-pixy | 2011-11-02 09:05


<< 欠損の偏在      マダガスカル   11月 >>