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2014年 05月 29日
ツェルマット
ツェルマット_f0103459_938315.jpg1月18日
 目を覚まし外を見ると雪が静かに降っている。山はほとんど見えない。途端に起きる気がしなくなる。9時過ぎまでゴロゴロしていたが他にする事もなく渋々食事をして出掛ける。ゴーネルグラード行きのケーブルの中でまた英国人と話す。天候不良の為1つ手前の駅で降りたがそれでもひどい。仕方なくすぐ下へ下ることにする。ところが未だほとんど人が下りていないので風で固められた新雪に散々悩まされ食事に。ホテルに帰ったまま2時間ほどひっくり返る。14時勇を鼓して再度、今度はGanelgrardの終点まで登る。今度はかなり踏み固められていて快適に下りる。ひどく怠けた1日だったが考えてみれば標高差3000メートル余りを滑っているわけだ。夕方町をぶらついていた時Zermattに着いた最初の晩ホテルのフロントで一寸逢った日本人と会い、ビールなど飲みに入り話をしている所へ入り口でキョロキョロしている日本人と覚しき男。これを拾いSを加えて4人で町をぶらつく。前者はパリのパスワール研究所に勤めるハナもちならぬ変な日本人。後者はN.Y、JAL勤めのこれまた行動力に富んだ単細の日本人。この町第一のホテルに仂いている日本人がいるはずだからというので、誘いに行き午後10時彼の妻を加えて総勢6名でバー2軒をまわる。海外で生活する日本人サンプル集の如く大変興味深くまた夜のZermattも面白かった。

月19日
 今朝も悪天。昨日よりはいくらか良いようだが望みはない。ただ今日は昨夜のムッシュパリが一緒にスキーをしたいと言うのでそれをかまう楽しみがある。連日の睡眠不足で不調。これは薬石効なく閉口である。これとトレーニング不足とが重なり何とも調子が悪い。おまけに広いスキー場、良い雪に恵まれスイスの怪しげなインストラクターを見ながら滑っているのでだんだん悪に染まり日本に帰ると使いものにならなくなるのではないかと心配。ゴーネルグラート付近で電車を使って滑る。長いが単調でやや飽きる。ムッシュは大体予想通りで昨夜に比べるとひどくおとなしくなる。愉快。15時頃町へ下る。夜はホテル勤めの松山夫妻とフォンデュなどスイス名物料理を食べる。あまりピンとこなかった。ジャガイモを使ったラクレットは美味しかった。待望のマッターホーンが空に4日ぶりでやっとその姿を現す。寒いし気圧計の計も上昇しつつあり明日こそは写真が撮れそう。

1月20日
 まだ明けきらぬ空にマッターホーンがくっきりとそびえ立ちそのすぐ上には丸い月が残っている。待つこと4日目にしてようやく恵まれた晴天だけに喜び勇んで、今日こそとばかりに張り切って飛び起き急いで宿を出る。ケーブルカーの動きがひどく遅く感じられる。ゴーネルグラートに着く。少し前から空にポツポツ白い雲が現れ始める。ピーカンより写真には好都合だなどと話していたが雲はその後急速に広がりだし、ケーブルが着く頃にはモンテローザはその頂きを灰色の雲に隠されてしまった。しかし未だ青空の方が大分多いのでもう少し上へ行こうと、スキーはコース閉鎖の為置いたままストックホルンへのケーブルへ乗り継ぐ。ひどく寒く2本のケーブルでストックホルンに着いた時は冷えきってしまいそのうえ青空は僅かになってしまった。寒さに痛めつけられながら暫く待ったが事態は悪くなるばかりで遂に諦めて再びケーブルで下る。急にガックリしてゴーネルグラートからは最低のスキイングで這うようにして下る。フェルマットに着いた時、空は完全に閉ざされマッターホーンのみ灰色の空に黒々とした岩肌を見せていた。
 これでは明日も期待出来ぬと荷物をまとめてZurich経由でSt Antonに移動することにする。急な予定変更でホテルのフロントとの間に多少ゴタついたがPM2:45の列車でZermattを離れる。色々と恵まれぬZermattの4日間だった。スイスの列車はどうも細切れで乗り換えに悩まされる。接続は良好だが面倒以上によそ者にとっては難関が多く閉口だ。Zurichに21:15に着く。食堂などで定食の押し売りにあい乏しくなってきた財布から800円あまりとられたのは痛かった。


by my-pixy | 2014-05-29 08:35


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