2016年 02月 04日
ひとの経年変化に沿った歯科医療
 突然、機織り機が出てきたりして何を言い出すのかとお思いでしょう。しかし、私にとってはおなじみの縦糸、横糸論のシンボルで、卒後研修といえば登場する話の糸口なのです。1970年代「歯科総合診断へのアプローチ」などというタイトルで書籍化もしたり、ある大学の卒後研修プログラムとして数年にわたり継続してとりあげたりもしました。 まだ40台になったばかりで、一本のクラウンの修復でもエンド、ペリオ、歯質崩壊度などを多角的にとらえるべきだろうという主旨でしたが、問題提起だけで実りはありませんでした。長い長い時が経過し、歯科臨床も進歩してきましたが、そろそろ自分の臨床を締めくくる時になって「日暮れて道遠し」という言葉が実感をもって気になることが多くなりました。

 オーラルリハビリテーションという呼び名は好きになれませんでしたが、そこに謳われる台詞には惹かれて熱中したこともありました。しかし、それが自分の臨床の道筋を決めることにはならず、長期間継続した患者さんからは、これまで見たこともない別なニーズを突きつけられることばかりです。「日々これ新たなり」で生きがいにはなりますが反省も迫られます。
機織り機の周りに散りばめた言葉は、通過地点のモニュメントですが、リニュ-アルされて、生き残っているものもあります。咬耗などのような難問もありますが現在、大半の患者さんの願望は「ぴんぴんころり」で一致しています。そうした対応に追われながら、そこで見かけた出来事をより若い方々にフィードバックすることに努めています。多分それがひとの経年変化に沿った歯科医療だろうと思うからです。

 テレスコープも止めませんし新たな視点でセラミックスも使います。しかしCAD・CAMに頼るようになったら廃業します。二月末のもくあみ会では皆でそんな話しをしたいと思っています。準備のお手伝いを頂いている方からメールがきました。

f0103459_9304325.jpg「天然歯の咬合歯が喪失、咬耗してくると咬合の低下がおこる。咬合の低下は種々の問題を起こすが、初めはそれほど明らかとならないで患者も術者側も放置や状態を深く考えずにしてしまうことがある。咬合が崩壊に至ったときでも、今までの状態をなるべく壊さないでと何故か患者も若い術者も思ってしまう。問題の積み重ねで起こっている事態なのでそこは大きく介入しなくてはいけない。義歯での咬合に変えていく転換点がそこにはあるのだと思う。
ペリオで移動や挺出を繰り返して崩壊に至ったときはカリエスや力でに至ったときよりも問題が複雑に見えやすい。支台となる歯が十分な状態でない場合が多いが、歯としては残せる。それがまた混乱させるが、機能が低下している場合は顎堤に助けを求めるしかないのだと思う。歯の分野だけで片付けたがるが、そうではない局面に達しているという判断を私たちはしていかなければならないのだと思う。」
少し難しくなってきたようです。

by my-pixy | 2016-02-04 08:55


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