2016年 05月 26日
赤本
f0103459_10315117.jpg 当時の編集者との間ではいつしか赤本というニックネームになっていましたが、1981年出版の別冊にはさまざまな思いがこめられていました。すでにすれ違い咬合などの雑誌原稿は書いて数年が経ち、自分の路線には確信をもっていましたがその足場をさらに確かめたいと考えていました。ちょうど藍稔先生が医科歯科大学部分床義歯の講座主任となられた時でしたので、ご相談しながら大学を中心に著者を選定しました。

 当時はそうそうたるメンバー揃いで、明日の補綴臨床は必ずここから生まれると確信をもっていました。しかし今、目次を見直すと30名ほどの著者の中には亡くなられた方も少なからず、30年余の年月の重さを感じざるを得ません。さらにそれぞれの後継の方に引き継がれた様子も、うかがい知ることはできませんでした。

by my-pixy | 2016-05-26 08:44


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