2016年 05月 29日
昔は創意工夫が
f0103459_1655533.jpgf0103459_17501842.jpg 横書きはおろかひらがなも使われていないし漢字も難しいが、ちょうど100年前にもパーシャル・デンチャーは使われていた。しかし当時はCr-Bの中に足を踏み込んでいたと思われ、支台装置の多様性もあってか、赤の書き込みがしてある遊離端義歯などもこの本の中に含まれている。
 間接法の発展からブリッジとパーシャル・デンチャーの境界に迷い、講演会のテーマなどで無歯顎の補綴に対して「有歯顎の補綴」というタイトルを再々使っていたが、先人も同じ思いだったことを垣間見る思いがした。それにしてもこの出版後、毎年版を重ね手元にある物は11版になっている。

第6版の序文としては「大震災に際会して第五版の残冊及図版を焼失し且書店に蔵せる物も亦大部分烏
有に帰し各方面より本書を要するの声頻りにいたるを以て訂正の暇なく第六版を出すこととなれり読者乞う之を諒とせよ   大正十二年十二月」と書かれている。関東大震災のことだろうが苦痛のほどが思いやられる。出版は合資会社歯科学報社で、売捌所には森田歯科商店の名もある。

 後半には第四章として100ページ余を費やして可轍架工義歯について述べられている。定義に始まり、価値及び適応症、分類などの後さまざまなアタッチメントについて細かに解説されている。その中にはピーソー氏のスプリットピン、アンド、チューブ、アタッチメントも10ページを費やして詳細に記載されている。私が卒直後短い勤務医時代(1955)に実習として経験したものである。そこの院長の得意技の一つだったが、30年余を経て一人の開業医に継承されていたことは素晴らしいことである。二重金冠などとともに臨床に定着していて、私も1970年には臨床応用している。
 また咬耗症による低位咬合の処置なども、全顎、臼歯部に分けて述べられていて、まさ目からウロコの感を強くした。先人の偉大さを知るとともにスマホに明け暮れる現代に大きな警鐘となった。
 この矢崎先生からの伝承は、河邊先生を介してわれわれ同期生にも伝わっていたのだろうが、直接的なコンタクトはなく、大学では反面教師のお陰で伝承されず分断されていた。戦後の大学昇進問題などと絡んでいたのかもしれない。

当時の本はその解説にイラストによるところが多い。この本もそれにより広く読まれたことと思うが、少数ながら口腔内写真もありその努力のほどが偲ばれた。

by my-pixy | 2016-05-29 15:55


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