2016年 07月 24日
歴史ヒストリア
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1964年の東京オリンピックで東海道新幹線ができて、関西との往復もずいぶん便利になりました。NHK歴史ヒストリアで取り上げられた「大阪万博」も医院旅行として出かけましたが、動員数の多さにおじけづいて、会場にはほとんど行かずじまいでしたが、50年の歳月を経ていろいろなパビリオンやできごとを目の当たりにしました。なかではタイから参加した16頭の象が大阪港から徒歩で参加し、途中の川で水浴びして元気を取り戻し、お祭り広場についた話しなどは秀逸でした。


大阪滞在中にはパビリオンの行列に並ぶ代わりに、スタッフ達とは分かれて単独で片山恒夫先生のご自宅に入り浸っていました。万博ついでにくるとは怪しからんといわれながら、Goldmanのイニシャル・プレパレーションの考え方の変遷、ご自身のポストインレーを使った永久固定の経過などを熱っぽく話して下さいました。ご自宅に新卒の歯科医を住み込みで研修させるさせるなどという構想もうかがってびっくりしました。その後、片山先生のご活躍は少し距離をおいて見聞きしていましたが、この2日間は万博以上の大収穫があったことはまちがいありません。ちょうどGoldmanが来日する少し前のことでもありました。

 この頃、自分の臨床では「すれ違い咬合」のケースが最大の関心事でした。欠損形態、咬合支持、支台装置の機能など過酷なニーズと取り組みながら、ペリオの改善にも目を向けないわけには行きません。その初期の症例報告が進行していたのも1970年頃のことで、タイトルを巡っても「すれ違い」「ゆきちがう」の何れをとるかに大いに迷っていました。何も分からない中の暗中模索は万博と取り組んでいた人たちとまったく同じことでした。

by my-pixy | 2016-07-24 08:40


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