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2009年 12月 31日
大晦日
f0103459_20039100.jpg 昨夜来、西高東低の気圧配置で強風が吹きまくっていますが、雲は吹き飛ばされて三浦半島から真鶴へ月光の道が架けられています。

 明日の初日の出も大丈夫そうですが、こちらはカレンダーの予約が入っているのですでに準備済み、割り込むことはできません。明朝は半年前のマダガスカルのサンライズです。

by my-pixy | 2009-12-31 20:14
2009年 12月 26日
デジタル1眼レフの10年 4.
 Nikon D1で現在のデジタル一眼レフの原型を作ったニコンは、ソニーから供給をうけていたCCD撮像素子の都合から、35ミリと同じフルサイズは無理と見切りをつけていました。そのためD1に続く機種はすべてAPSCに統一してきました。
 これに対してキャノンは早くからCCD以外に自社製のCMOSを使い始めました。今では撮像素子のほとんどがCMOSに変わってしまいましたが、この点はキャノンはNikon以下に大きく水を空けてきました。ただ自社内で作れるという優位性が、製品体系をごちゃごちゃにすることにもつながりました。

Nikon D3      36×23.9  FXフォーマット (ほぼ35ミリ)
Nikon D300    23.6×15.8  DXフォーマット(APSC)

EOS 1D Mark3   27.9×18.6 (APSH)        
EOS 5D        36×24   (35ミリ)
EOS Kiss       22.3×14.9 (APSCより小さい)

いまは両者とも多様な製品を取りそろえていますが、Nikonが35ミリフィルムを継承するFXフォーマットとAPSCのDXフォーマットの2系列にきちんと整理されているのに対して、キャノンは上級機がフルサイズ、普及機がAPSCというわけでもなく、おなじ1DやKissのなかでもさまざまにサイズが変わるという大混乱になっています。このことは同じレンズを使用しても、カメラボディによって画角(写る範囲)がさまざまに変わるということです。旅行に行くときなどメインとサブ2台を持っていくのは普通のことです。よく頭がぐちゃぐちゃにならないものです。

f0103459_16461749.jpgニコンにしてもたいして褒められたものではありません。現行は9機種ですがブルーのマスクはものは間もなく消えるでしょう。残る6機種だけで考えても一桁のD3sとD700がフルサイズ、中級機がD90とD300s、入門機が5000と3000で、桁番号で製品を仕切ろうという夢はまだまだ遠い先の話です。

 それにしてもこの10年でカメラは安っぽく短命になったものです。私のようなややマニアックな人間でも現行製品を使う時期はいつも一瞬だけで、1年経てばいつも旧型使用中です。フィルム時代にはこんな事はありませんでした。

by my-pixy | 2009-12-26 13:13
2009年 12月 24日
スタディグループ半世紀
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 1955年大学は出たけれど,患者さん治療など何も分からなかった頃にスタートした同級生の勉強会が、細々ながら今もつずいています。もちろんオリジナルメンバーはほとんどいなくなりましたが、若手への継承は今も毎月続いています。来年3月に記念セミナーを行うことにはなりましたが、同じ月に長時間のイベントがあったりしてなんとかもちこたえられるか今から心配です。
 生来の天の邪鬼で、インプラントに流れそうな執行部案にクレームをつけ総合演題を変えてもらいました。自分では気に入っているのですが、とばっちりを受けている人もありそうです。この背景画像は今年の1月、Macのソフトを使ってCT画像解析の実習をしたときのものです。Macが20台並んだ光景は圧巻でした。その後1年、若手の方はすっかり使いこなしていますが、言い出しもとの方は置き去り状態になってきました。

by my-pixy | 2009-12-24 18:43
2009年 12月 14日
カレンダー発送
f0103459_850175.jpg 年末の大仕事マイカレンダーの発送が始まります。茶封筒に入れて郵便局に運んでいた頃に較べれば、宅急便でずいぶん楽になりましたが人手も減っているので一騒動です。
 同封するお手紙の文面を考えながら、あと一年でこの仕事は止めようと決めました。もとはといえば埋もれたままのスライドにもう一度陽の目を見させようと始めたことです。すんなり行くかと思ったデジタル印刷には思いのほか手こずり、それを乗り越えた時には始めから心配だったネタ不足に追われることになりました。一年たった13枚なのですが、海外旅行での記念写真では貯金はすぐ底をついてしまうのです。悪あがきのマダガスカルも局面打開とまでは行かず、ブログを賑わせた程度で終わりました。ちょうど10冊目になる2011年を最終版にすることにしてようやくほっとしました。

by my-pixy | 2009-12-14 11:17
2009年 12月 07日
日曜美術館 続11.29
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 昨夜、待ちかねていたサルガドさんの業績を取りあげた日曜美術館を見ました。すでにドイツ版の写真集も手にしていたので少し余裕があったせいでしょうか、インタービューではいつもクールな司会のお二人が、異常に緊張されていることに驚きました。しかしそれによってサルガドさんの写真への思いや時間的経緯などはよく分かりましたので、あの不思議とも思われる白黒の写真の謎は解けてきました。

by my-pixy | 2009-12-07 20:54
2009年 12月 07日
Wadatsumi 忘年会
f0103459_18425293.jpg 先週の土曜日は油壺で恒例になりつつあるヨット仲間の忘年会でした。ほかの会とぶつかって欠席の人も少なくありませんでしたが、神戸や伊勢からの参加者もあってなかなか楽しい会でした。

われわれの艇の全盛期、社会人1年生だった主力メンバーも次々還暦を迎える時期になりましたが、レースの話になると途端にボルテージがあがり、クラッシュして沈んでいくヨットから救命ボートに乗り移って九死に一生という話まで飛び出して大騒ぎでした。(私の艇ではありません)この中の3人はそろそろ子育てを終えて、これから海外クルージングだなどと準備を進めているのですから手がつけられません。
 上の木彫りのプレートはわだつみの船尾についている船名を、マダガスカルに連れ出した元永君がチークに彫ってくれたものです。Wの字が木目と重なり面白い効果を上げています。実は彼が今回の還暦の主人公でした。

by my-pixy | 2009-12-07 19:32
2009年 12月 06日
デジタル1眼レフの10年 3.
 初期のデジタル1眼レフ色調再現が思うまかせななかったことは前に書きました。ニコンもキャノンも画像はイエローがかっており、そのコントロールができないことが最大の問題でした。
 デジタル1眼レフのもう一つの問題は、フィルム時代には確立していたリングストロボによる自動調光が正常に機能しなくなってしまったことです。これまでは当たり前だったオート撮影を取りあげられて近接撮影専門の歯科医は大騒ぎになりました。始めはすぐに新製品が出てくるだろうとタカをくくっていましたが、期待は裏切られ小口ユーザーは切り捨てられてしまったのです。

 35ミリ一眼レフはユーザーの多様な要望に応えるためレンズからファインダーアクセサリーまで多数な製品を揃えシステムカメラとして認められてきたのです。それにも関わらずデジタル化以降は、不採算の少数生産品はどんどん切り捨て、大量生産が見込めるものだけに集約するというスタンスに豹変してしまいました。長い時間をかけて成熟したシステムカメラという敬称を多収益カメラに変えてしまったのです。
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 さらに一見35ミリ一眼レフという形をとりながら、フィルムに相当する撮像素子の大きさを35ミリより小さいAPSCと言うサイズに勝手に変えてしまいました。同じ大きさにできない,コストがかかりカメラが大きくなるなど製造にまつわる都合でしかないのです。どのメーカーも口裏を合わせ明言は極力避けていましたが、これは別シリーズの小型バージョンなのに35ミリデジタルカメラといい張るために画角問題などで混乱を呼び込むことになりました。(35ミリ換算○○ミリ相当などという表現はこうして持ち込まれました。)

 10年を過ぎた今でこそ35ミリフルサイズを謳った機種がでてきましたが、始めからこれを作らなければならなかったのに「35ミリもどきAPSC一眼レフ」を売りまくり交換レンズも2系列にしてしまったのです。デジタル1眼レフが35ミリではないと明言したメーカーはありませんでした。業界を挙げての詐欺集団と言うしかありません。

by my-pixy | 2009-12-06 10:36
2009年 12月 05日
デジタル一眼の10年 2.
f0103459_1081369.jpg 1990年 Photoshopでフルカラー画像の製作が可能になり、文字やイラスト、グラフなども自在にプレゼンに組み込めるようになりました。口腔内写真を並べるだけだったこれまでのプレゼンに較べれば雲泥の進歩で、新たな表現手段を手にして熱中の数年が過ぎました。
しかしこの時代、プレゼン本番にはスライドプロジェクターを使うしかありませんでしたから、コンピュータの画面をカメラで撮影するか、フィルムレコーダーという装置でスライドを作ることは必須のステップでした。

ここまでくればパソコンから直接画像を映写できる日のくることが遠くない予見されましたから、ビデオプロジェクターに色目を使ったりしながら、その日がくることを待ちました。それが実ったのはD1と同じ1999年のことで、自信満々のデジタル化宣言になったわけです。

f0103459_1051585.jpg右の2枚はパソコンによるフルカラー画像製作に熱中していた1900年代前半のもので、上はその機材購入のために、欲しかった車用の資金がすべて食い尽くされてしまった悲劇を、下は火曜会40周年記念セミナーのスタディグループ紹介用ものです。

1995年頃のことで次に目指すものははっきりしていたのですが、フィルムという制約はカメラにもプロジェクターにも重くかかっていました。今はでプロジェクターといえばパソコン用のものに決まっていますが、この時はスライドプロジェクターに決まっていました。

by my-pixy | 2009-12-05 14:07
2009年 12月 04日
デジタル一眼の10年 1.
f0103459_1091860.jpgデジタル1眼レフが誕生して10年が過ぎました。1999年に始まった興奮と混乱は2004年まで続きました。この間に Nikon D1、Fuji S1Pro、Nikon D1X 、Nikon D100、Pentax IstD、Nikon D70、 Canon 20Dと7台のカメラを使いました。作りや操作性の悪さもありましたが、最大の問題はスライドのような色が出なかったことです。
 しかし2005年から事態はがらりと変わりました。この5年間はD200、D80、D300の3台だけでそのすべてがいまも現役です。前半の7台は影も形もありません。画像はその象徴 D1Xで、D1を補うべく2001年に登場しましたが、太平洋戦争の武蔵、大和と同じで、まったく日の目は見ないまま処分することになりました。後半の3台はこれ1台で購入できたのですが。

 前半、後半を大きく分けたのはRAWの実用化でした。これによって画像調整はまったく新たな次元に入ったからです。その感動を伝えたいと歯界展望にも連載しましたが、実用して頂けた方はごく少数だと思います。JPGでも良くなってきた。データが重い。そこまで面倒だ。衛生士には無理。などというエクスキューズがほとんどで、自分の画像が一変したなどという、うれしいコメントは聞こえてきませんでした。

 カメラとしては素晴らしい仕上がりながら,色は出なかったD1にもRAWはついていました。しかし当時のCapture NXというソフトは未成熟、カメラ、パソコンの処理能力も低く実用にはなりませんでした。しかし2004,2005の時点ではそのほとんどが解決され、すべてのカメラのRAWてデータJPGと同時に作製されPhotoshopで処理できるようになりました。RAWソフトも選択に困るほど豊富になりました。

f0103459_1355762.jpg露出の過不足やそれによる色調のくずれもRAWデータで容易に改善されることを知って欲しいと、先週、若手の数人の方々に処理の現場を見て頂きました。ほとぼりがさめればまた元の木阿弥かも知れませんが、この夜だけは反応があったのでちょっと期待しています。(プロジェクターは使わなディスプレーを多用したのでみんな立ちんぼです。)

by my-pixy | 2009-12-04 11:30
2009年 12月 01日
12月 ザルツブルグ近郊
f0103459_16192785.jpg ザルツブルグから車で1時間ほど山に入ったマリアアルムという村です。われわれのスキーインストラクターで来日されたこともあるヘルマン・ヘルツォーグさんの故郷だったので、スキーシーズン以外にも何度か遊びに立ち寄りました。
 倒木や古い切り株を利用してチロルの人たちの表情を彫り込む民芸品が盛んで、その素朴な風合いに惹かれて行くたびに何人かを連れ帰っていました。この家もそうした職人さんの作業場で、手前のお年寄りのわきが玄関で、奥の立木にはチロルの谷を見渡しながら大勢の人たちが群がっていました。

by my-pixy | 2009-12-01 08:36