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2011年 03月 30日
東大寺お水取り
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 この年になって自分の周囲を見回すと、すばらしい方々に恵まれて仕事をしてきたことに気づくことが多くなりました。仕事の合間に二言三言の会話で終わってしまうことも多いのですが、ゆっくりお話しをうかがいたいと思うことも多く、そんな機会をつくってみようということで不定期の集まりを始めました。歯科を離れてということ以外には何もきまりもなく、会の名称も決まらないまま「まだ名のない会」と看板には書いていましたが、だんだん愛着もでてきました。事後レポートは何度か土竜のトンネルにアップしました事もありますが、ごく身内のかたにしかご案内はしませんでした。
 今回のお話しも長くお付き合いしてきた患者さんで、いつも興味深いお話を聞かせて下さるので、不思議な方と注目はしていましたが、無知ゆえにその方が「お水取り」については自他ともに認める方とはまったく知りませんでした。著書の序文の一部を紹介させて頂きます。

「昭和42年(1967年)2月28日の午後、奈良・東大寺大仏殿の裏道を東に、1列になって粛々と近づいてくる1団を目にしたときの感動は,言葉にしがたいほど強烈なものでした。40年も経った今でも、鮮やかに思い出されます。(中略)
これが,わたくしの「お水取り」に携わる原体験となったのですが、とりたてていうべきお作法もなく、無言で歩みを進める行列に、なぜそれほど強烈な感動を覚えたのか、と自問しました。思い至ったのは、この一団を包む「慎ましやかな覚悟」とでもいうべき雰囲気でした。今時こんな世界がある、と驚き反応し、そのままのめり込んでしまったように思います。」

 このとき筆者は30台、私には想像もできないか感性です。準備が遅れていたところに大震災が重なり、少人数の集まりになっていますが、いま、われわれが何かを考えねばならない時に、その拠り所になるようなお話になると思いますので、関心がおありの方はご連絡下さい。

by my-pixy | 2011-03-30 19:08
2011年 03月 30日
帰りたいのに帰れない
 今日こそは、今日こそはといくらかでも好転を期待しながら見る夜のニュースですが、最大の当事者、原発関係のスポークスマンの発言にも態度にもいらだちを感じます。東電も保安院とやらも顔も見たくないような奴ら、さらにその語尾の悪さは格別です。日本語勉強し直せ!と怒鳴りたくなりますが、当たり散らしてテレビでも壊したら大変と気を鎮めています。間違いなく放射線が頭に回っています。
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 それでも現場でひたむきな努力を続ける方々の努力で、洩れることはあっても、爆発はなくなったようですから、水爆の被害だけは遠のいたのでしょうか。同じいわき市でも津波の被害がなかった山手の猪狩歯科は診療を再開されたようで何よりですが、この地域には久之浜から避難されている方もおられるようですからその違いは大きく、久之浜では超幸運の村岡歯科も疎開生活には先が見えません。原発から30キロ圏に入ってしまったことが、帰れるのに帰れないジレンマを生み出しています。生まれ故郷の惨状を思えばすぐにでもとんで帰り、力を合わせて再建の輪の中心になりたいのに果たせない無念さが心を打ちます。

by my-pixy | 2011-03-30 11:39
2011年 03月 28日
若手からのメール
二人の方からメールを頂きました。なるべく原文のまま加筆せず、多少短縮し掲載します。

神奈川のNさんです。
「状況はお聞きしていましたが、僕も気になったので、ミネラルウォーターなどをたくさん持ち行って参りました。常磐道では補修工事の早さに驚きましたが、何度か段差で車ごとふっ飛ぶかと思いました。いわき湯本ICを降り現地についてみると、土日だからでしょうか?人も普通にいて「ゴーストタウン」と言う感じは全くありませんでした。猪狩先生にはお会いできませんでしたが、帰りは迂回ルートを使っていわき湯本ICに行こうと市街地を通りましたが、ファミレスがやっていない程度で車通りも多く安心しました。f0103459_17321219.jpgその後、海岸通りより一本内陸の道を走っていたのですが、思いがけず津波被害にあった街に入り、その光景は僕の拙い語彙力では上手く伝える事が出来ず、ただただ恐怖としか表し様の無い光景が目の前に広がっていました。写真を撮る勇気も無く・・・何とか撮った1枚です。海なんて全く見えない場所なのですが・・・。そこを越えると再び普通の街です。何だか不思議な気分になりました。」

新潟のSさんです。
「久ノ浜行、お疲れ様でした。東京に非難した村岡君の様子もうかがえて、正直ほっとしています。彼の地には多少ご縁がありまして、東京や山形に住んでいる昔からの遊び仲間と亀屋という旅館(被災の程度は不明ですが)で忘年会をやったりと、2,3回訪問したことがあります。歩いたことのある場所の現状を見るに、部外者の私ですら言葉に表せません。
震災の翌日、メールで本人と連絡がついたので状況は聞いていましたが、奇蹟です。待合室など、診療中そのままの状態で今にも患者さんが入ってきそうです。仙台方面の被害に比べると、電柱が比較的残っているのが印象的で、震源地からの距離と、付近の海岸線が浜であることも大きな要因なのでしょうか。
私も自分に出来ることはしたいと思っています。日程はまだ決まっていませんが、被災地での検死作業の手伝いに行く予定です。派遣は現地の様子に応じてなので、そもそも行くかどうかも未定ですし、派遣先、交通手段、宿泊、食事、検死作業内容の統一性などなど、不確定な部分がまだ多いのは仕方ありません。不安はありますが、少しでも社会奉仕できることの喜びの方が大きいです。
今後の復興に関しては放射性物質が厄介ですが、この際、将来日本は世界の中でどのような位置づけで何でメシを食っていくのかという理念をしっかり決め、何を目的としてるのか分からない法律や税制、誰のためにあるのか分からない各種規制などをゼロから見直していくべきだと思います。そのためには国民一人一人が政府に丸投げせず、自分で考えなければ、この経験が元の黙阿弥になってしまうでしょう。」

by my-pixy | 2011-03-28 17:23
2011年 03月 27日
いわき往復12時間 .2
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 村岡歯科医院から一歩外へ踏み出せば辺り一面は瓦礫の原野です。久之浜といわれた漁業の町が根こそぎ倒壊しています。僅かな地形と津波の方向が彼の医院と神社など2〜3の家だけを見落としていったとしか思われません。9死に一生とか奇跡とかいう言葉でしか言い表せません。よそ者の私でも悲惨な状態ですから、地震当時の音や光景が焼き付き、津波以前の人々の顔や生活など思い出など一杯の当事者にはとても見られない光景でしょう。さらに町や港の中心部側は何も残っていません。火災も発生したらしくそれも通り一本で食い止められています。何という強運!!としかいいようのない現場の状況です。つい熱くなって瓦礫の中に入り込んだところで・・・
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海側に倒壊だけは免れた一握りの家が残っています。この僅かの高みが津波の方向を港方向に変えてくれたようです。間からは静かな海が何事もなかったように拡がっています。地震と津波だけならばいくら悲惨だったとしても後は再建再興あるのみです。しかしここは原発から30キロ圏内、悪魔の手はどこまで拡がるのか誰にも分からないのです。 駆け足の被災地訪問で偉そうなことはいえませんが、いわきのごく一部を見ただけでも僅かな位置の違いが大きく明暗を分けていることは分かりました。ヘリでの視察では分からないことばかりです。旅の最後は自宅待機になっているスタッフや、家族を青森に残してきた技工士の人などをまわって10時近くに帰着しました。

 もう一人の猪狩氏はログハウスを出て宮城に家族を残し昨日単身赴任されたようです。こちらも大変でしょうが水も出ているようですし、あふれる食料にも恵まれているようです。(いわきの外には出荷できないものかもしれませんが)

by my-pixy | 2011-03-27 14:28
2011年 03月 27日
いわき往復12時間
 前日デパチカで用意しておいた弁当や飲み物をもち朝7.30八重洲バスターミナルに出かけました。すでにかなり長い列で9時の便に回されるかと思いましたが、3台目増便の40人目と41人目に辛うじて滑り込みました。出発後1時間半ほどで笠間などの入り口友部のインターに入りました。路面はかなり荒れていて最後尾の座席はなかなかの乗り心地でした。

f0103459_9405267.jpg 友部を出て間もなく聞いたことのある東海を抜けると、いわき勿来というサインが現れもう着くのかと思いましたが、同時にいわきが南北に長い市で南端は茨城と接していることも分かりました。
昼前に終点のJRのいわき駅前で下されましたが、ほとんど無人の駅前広場に弁当を食べる場所も無さそうです。折しも北風は強く霰なども降ってきて屋外は無理なので,ショッピングモールのような大きなビルの入り口を探しもぐり込みましたが、そこで目にしたのは驚くような光景でした

 f0103459_10281874.jpg前夜、弁当を買ったデパチカもびっくりの食品の山です。肉も野菜も果物も所狭しと並んでいます。どれも鮮度は良さそうで自分が何処にいるのか分からなくなりました。この豊かな光景を見ながら持参の冷たい弁当を食べて腹ごしらえ、村岡氏は浅草で待つ家族へのお土産か大きな袋に買い物を始めました。
 少し落ち着いてみると昼前ということもあるでしょうが、買い物客がまったくいません。夕方までこのままだったらこの豊かな食品はどうなるのだろうという恐怖です。店の人にも聞けないし先を急ぐ旅なので、村岡歯科に向けてタクシー乗り場に移動しました。




 JRのいわき駅は高台にあるせいか緩やかな下り坂の両脇には整然とした街並みが続き、テレビで見ていたような被災のあとは見当たりません。タクシーメーターはだんだん上がり数千円になる頃、平地になり海が近づいてきた感じがしました。通行止めで迂回ルートの相談などをしています。
 少ないながら片付けられた瓦礫も見かけるようになった頃、目的地に到着しました。相変わらず人の姿はほとんど見かけません。広い空き地の奥にスライドで見たことのある歯科医院と、ほぼ同じくらいの自宅、特大の車庫などが並んでいます。空き地はきれいに整理されていて津波の後では無さそうです。
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タクシーを降りたところでも車も人影もまったく見当たりません。物音も聞こえず不思議な静寂が拡がっています。つい2週間前あんな大事件が起こったなどとは思えません。駅前のショッピングビルとは人の香りは残っていましたが、ここにはそれもなく不気味な感じさえします。

広大な駐車スペースは何台、駐車できるのかも分かりませんがその奥が村岡歯科医院、画面左手手前自宅、その間の森は神社のようです。この一塊の向こう側は1本の道をはさんで海ですから、どうしてここで津波が止まったのか不思議です。



医院の中も慌ただしく避難されたらしい様子はあるものの床はピカピカ、水さえ出れば今すぐでも診療再開できそうですが・・・。






ただ玄関を出て10メートルも前に進むと車が3〜4台流れ着いています。後ろの建物はいわき市久之浜大久支所で後ろには火の見やスピーカーが見えます。津波情報などが放送されたのでしょう。

by my-pixy | 2011-03-27 09:36
2011年 03月 25日
悲しみは忘れず立ち上がる
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 あの日から二週間が経ちます。一瞬にして身内を失われた方、家や故郷を無くされた方には心からお見舞いを申し上げます。
しかし私たちはその悲しみを分かち合いながら立ち上がらなければならないのです。

 悲しみ苦しみは心にひめ、この2週間に身につけた優しさや反省を決して忘れず、新た一歩を踏み出さねばなりません。激動の2週間われわれはほとんど傍観者でしかなかったかも知れません。しかしこれから待ち受けているであろう長く苦しい復興の道を支援することはできると思います。そして必ずこれまでにはなかった日本を作り上げて行きましょう。

 この日がくることをすべての人は待ち望んでいたのでしょう。今朝の地下鉄、通勤者の人波は一気に戻り、足どりもいつもの気ぜわしさになっていました。原発事故落着にはほど遠いにせよ、放射能汚染などがひとけりつくのを待ちわびていたみんなの思いが伝わってきました。

 水もなく住人も残っていない町にいつ戻るか迷っている村岡氏のお供をして、何もできないかもしれませんが長距離バスで明日いわきに行ってきます。

by my-pixy | 2011-03-25 08:41
2011年 03月 24日
いわき市の二人からのメール
猪狩氏
 「その後私たち家族は無事ログハウス生活に入ることができました。那須の朝夕はかなり寒く、暖炉に必要な薪の準備が私の仕事です。二酸化炭素は排出しますが、節電効果にはなりそうです。震災で家を失い避難所生活をしている方々が多い中で、このような不自由ない生活をさせていただいていることを考えると大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 昨日放射線の心配はありましたが、往復のガソリンが確保できたため、いわき市の自宅や診療所の様子を見に行ってきました。報道でもあるように町はスラム街化し、ほとんどのスーパーやコンビニガソリンスタンドが閉鎖しており、自宅は未だ断水状態でした。

 ただ幸いにも診療所は水が復旧しており、この間に患者さんから何本か電話をいただきました。自主避難せずいわきに残った患者さんから「いつ診療は始める予定ですか?」との問い合わせがあり、自分ばかりが避難してこのままログハウス生活を続けていくわけにはいかないと思いました。仕事の再開も自主的な行動にまかせられている状態ですので不安は残りますが、週末には私だけでもいわき市に戻り診療を再開したいと考えております。」
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 一見優雅なカントリーライフのようですが周囲に人家はなく夜は真っ暗。とても家族を残して単身赴任は不可能で、3ヶ所目の避難場所から、明日には宮城経由でいわきに戻る準備中のようです。

 一家で浅草に避難中の村岡氏には地元の写真仲間からメールが届いたそうです。
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「そこには、私が目を背けてしまった地元、いわき市久之浜町の港の姿が写されていました。この方は用事があり、おととい宇都宮のご自宅から一旦いわきに戻られたそうです。写真を見ると、戻りたいような戻りたくないような…。複雑な気持ちになりました。」

by my-pixy | 2011-03-24 17:13
2011年 03月 24日
後始末 政府と東電
 まだ行方不明の方が亡くなられた方を上回っている状態で、こんな話題を持ち出すことは不適切かもしれません。しかしニュージーランドの地震でもまだ不明者はなかなか分かりませんから、万単位の方々の消息は容易には分からないでしょう。

 そんな中で時だけは流れ、次々と重大事件が判明してきます。直接的地震の被害者だけでなく、原乳やほうれん草などを廃棄処分にせざるを得ない生産者もやりきれない気持ちだろうと思いますし、風評被害拡大防止も大切なことです。ただ次々に緊急な対応を迫られる政府に、それをきちんと処理していく能力があるのでしょうか。世論やマスコミの顔色に流されていないでしょうか。

 いちばん心配なのは東電との関係です。どちらかといえば大半の出来事の加害者であるはずの社員がある時はあまりにも無神経に,ある時は政府の代弁者のごとく発言する様子に恐ろしさを感じます。正確には覚えていませんが、東海村の事故の幕引きもJCOとかいう子会社に、ほとんどの責任をなすりつけて遁走したと多くの人は理解しているはずです。今回も政府が引き受けた膨大な補償のほとんどを猫かぶりして、天の声のように計画停電や節電を命令してくるような気がします。そうした会社に育てたのも歴代政府なのですから強くはいえないのでしょうが、ツケは膨大にふくれあがって国民に確実に戻ってきます。

by my-pixy | 2011-03-24 08:59
2011年 03月 23日
いわきの悩み
f0103459_8112180.jpg 探していたわけではありませんが、ようやく歯科臨床の話題が見つかりました。内容の普遍性に違いはありますが、大地震から10日目という点では、昨日の話題と少し共通なところもありそうです。
 患者さんが身内ということや、現地か避難先かという点でニュースバリューには雲泥の差があります。しかし避難中のいわき市の2人も、できれば帰って復帰の一助に!という強い気持ちは持っていますし、もしかしたら猪狩氏は今頃、ようやく落ち着けたログハウスから単身いわきに向かっているかもしれません。
 陸前高田と違うのは原発の存在です。村岡氏は30キロ圏にかかっていますし猪狩氏にしても大差はありません。地震直後から村岡氏は家族を避難させて単身残留を口にしていましたが、揺れ動く二人の子供たちの心を思えばその選択はとれなかったでしょう。放射能汚染がいわきの人たちの気持ちに重く重くのしかかっています。家族を含む安全の問題と原発廃炉後の地域崩壊の問題です。多くの甚大な自然災害を受けた被災地の中でも特異な状態です。

by my-pixy | 2011-03-23 08:47
2011年 03月 22日
10日が過ぎて
 あの日から10日が過ぎました。今朝の通勤電車にはいつものサラリーマン達が戻ってきて、ラッシュ状態でした。また計画停電には悩まされるでしょうが、一歩ずつ復帰には近づいているような感じもします。

f0103459_12333476.jpg 自主避難であっても避難生活が長くなれば何かと問題が出てくるようです。ご家族の下顎6番にハイブリッドインレーの破折が起こりました。有髄歯ですからたまりません。
 さいわい主治医つきでしたから対応は速やかでしたが、7番のインレーは何事もないのに困ったものです。主治医の方はこれを機会にセラミックの技工を経験して、復帰後に備えるなどといっていますが、いかがなものでしょうか。
 このひと逆境には滅法強く、マダガスカルでパスポートを無くした時も、青くなったのは周りのわれわれの方でした。今回も避難所近くの月とスカイツリーのきれいな写真を送ってくれましたが、まだ公開は差し控えさせて頂きます。

by my-pixy | 2011-03-22 09:25