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2012年 01月 30日
ブログ記事の編集
 ブログは便利なものですが編集レイアウトなどには限界や制約が多く、それをすり抜けるのにだまし合いのような苦労もつきものです。少し長い話になると何回かに分けて書くにせよ、上から読んで、次には下から上の記事に上がるという流れにはどうしても抵抗があります。先日ブログに書いた記事をコピー&ペーストで Pages でまとめなおしてみました。
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 どう考えてもこちらの方が読みやすいに決まっています。何日にも亘る連載ものはブログには向いていないことは明らかですが、止めるわけにもいかないのがジレンマです。

by my-pixy | 2012-01-30 09:54
2012年 01月 20日
不得意種目・続き
f0103459_857429.jpg 1月13日のつづきです。新年会で話題になり根充が見物だなどという意地悪な発言もありました。そうまで言われて何事かあればと、細心の注意で拡大を続けていました。症状はすっかり消え問題ないのですが、拡大は思ったようには進みませんでした。それでも3回目には少し成果がと思った時です。根管内に入れて作業していた清掃剤が突然ヘドロ色に変わりました。まさか!もしかして!と仰天しましたが、力はかけていなかったので、洗浄を繰り返し清掃剤を入れ換えました。
 あの黄褐色は何処へやら根管内は何事もなかったように戻りました。ほっとしてポイントの試適をする余裕も出ましたが、デンタルX線を見てまたビックリ。あの弯曲根管は消えてありません。根尖は遠心に移動してしまいましたがこれは能力の限界です。ヘドロがたまっていたのは上の矢印の弯曲部分だったのだろうというのが結論です。日暮れて道遠しの一幕でした。

by my-pixy | 2012-01-20 07:59
2012年 01月 13日
不得意種目
f0103459_14494375.jpg 今年の新年は不得意な3人のエンドの患者さんで始まりました。その中のお一人で49才の女性です。

f0103459_16493490.jpg 2009年にも違和感を訴えて来院されたのですがはっきりせず投薬のみで終わりました。今回は夜間下顎右即に強いしびれを感じボルタレンの投薬で緩解したが、違和感が消えないとのことで来院されました。

 自発痛、咬合痛などはなく頬部からの軽い圧痛があるがけでしたが、5番には根尖病変が見られ6番ポンティック下にはフィステルらしきものが見られました。5のエンドは必須ですがきれいに作られたブリッジが装着されているだけに逡巡しました。できれば小さな穴だけでエンドを行いたかったのですが歯根の強い弯曲からアクセスに手こずり、安全策として56間の切断に変更しました。
 
 再利用のことなども考えディスクでそろそろと切断しましたが、完了と共に5のクラウンがポロリと落ちてきた時にはびっくりしました。こんなことなら始めから切断すればよかったわけですが、まさか前方支台のセメントが完全にウオッシュアウトしていようとは予想をしていませんでした。メタルとパナビアの接着不良で片側脱離したようですが、ブリッジの強度があるため事前に発見はできませんでした。脱落したクラウンの内面を見てもリン酸亜鉛セメントでは起こりえない状態です。

 前半の先が見えない緊張状態を脱し、視野は広がって弯曲根管の処置は順調に進みました。連休後にはすべての症状は消失しましたが根管拡大には時間がかかっています。
 何年経っても臨床の意外性から解放されることはありませんが、それゆえ楽しさも尽きないようです。

by my-pixy | 2012-01-13 14:51
2012年 01月 11日
カメラの命はファインダー4
 お手本は1930年代に生まれたライカでしたから、レンズ交換時の内蔵ファインダー視野の切り替えなど、ライカの欠点もそのまま踏襲していました。レンズ交換ができることは魅力でしたが、内蔵ファインダー視野は標準レンズのものですから、ファインダーもそのレンズ用のものに変えなければなりません。まだズームレンズもほとんど無かったからよかったのですが、それでもカメラ上部に取り付ける個別、可変性のファインダーなどはうっとうしいものでした。もとよりドイツ製カメラは今でもウインドウの華で、交換レンズの値段で日本製カメラは何台も買えました。さりとてニコン、キャノンに乗り換える気にもなりませんでした。

f0103459_1224534.jpg そうこうしているうちにカメラメーカーでもない旭光学から35ミリの一眼レフが出てきました。面白いなとは思いましたがファインダーは2眼レフと同じで左右は逆になりますから動態撮影は無理。申しわけのような透視ファインダーはついていてもピントなどが見えるわけではなく、何よりこれで製品?といった仕上がりでした。
 しかし5年後、ペンタプリズムを内蔵し、名前もペンタックスAPと改名して再登場してからは、一気に庶民のアイドル的存在になりました。左右逆だったファインダーは正像に変わり、シャッタを切ると真っ暗になる問題もミラーのクイックリターンで克服されました。
 ライカ型に血道を上げていたニコンもキャノンも置き去りにする快挙で、価格は1/3位だったと思います。この後、東京オリンピックの年に出たSPからは、僅か3万円でマルチ目的に使える中核カメラになりました。

 急ターンして後を追うことになったニコンも、出遅れたキャノンも一眼レフグループに加わり、元祖ライカ、コンタックスは骨董カメラになりました。敗戦から僅か20年目の大逆転劇です。ワイドでも望遠でもズームでもレンズを変えれば、それぞれの画像がくっきりファインダーに見えるという当たり前のことが実現してまもなく50年になります。
 もしフィルム健在でデジカメ時代にならなければ、HOYAやリコーに買われたりせず独自の道を歩んでいたでしょうが、コダックもフジもコニカもミノルタも大ツナミの前には無力でした。

by my-pixy | 2012-01-11 08:35
2012年 01月 10日
カメラの命はファインダー3
f0103459_19375421.jpg キャノンはライカをコピーしニコンはコンタックスをまねて35㎜カメラを作り始めました。一番下のニコンS2が朝鮮戦争でマグナムなどの報道カメラマンに評価され、一気にドイツ製と肩を並べるようになった話しは有名です。
 この後、長いニコンFの時代を終えデジタル一眼に軸足を移していった2000年頃になって、レプリカモデルが限定生産され、瞬時に売り切れたことからも当時の熱気が半端でなかったことが分かります。

 この時代は日本の二大メーカーもライカ型のドイツ製35㎜カメラを模倣しながら、35㎜カメラ製作のイロハを学習していた時代で、他にもニッカ、レオタックスなどライカのそっくりさんが世に溢れていました。

 われわれといえば、箱形の大きなボディや上からのぞき見るしかないファインダなど2眼レフの限界は感じていましたが、36平方センチから 8.6になるフィルムサイズの減少が最大の懸念材料で両者を併用していました。

 この時点では口腔内写真撮影のことなどはまったく考えていませんでしたので、スキーや雪山撮影が主な被写体でした。


 

by my-pixy | 2012-01-10 19:02
2012年 01月 10日
カメラの命はファインダー2
f0103459_11222593.jpg 同じタイトルで2008年5.9 にも書いていますが、ミラーレス機などの横行で手を前に伸ばして背面モニターを眺めながらの撮影は増えるばかりです。カメラ設計もファインダーなしが当たり前、まれに電子ビューファインダーをつけたものが出てくるといった有様です。
 さすがにレンズ交換可能な一眼レフには光学ファインダーを備えていますし、カメラ教室ではカメラブレを起こさぬようわきを固めてシャッターを切れと教えられています。両者の差を日本語では「眺める」と「狙う」とに区別しているようです。
 戦後、私の学生時代に日本のカメラは急速に進歩しました。高級カメラといえばすべてドイツ製だった1950年頃ツァイス、ライツ、コンタックス、フォクトレンデルといった牙城に果敢に挑んでいったのです。ニコン、キャノンなどが揃ってドイツ製35㎜コピーのようなカメラでスタートし、朝鮮戦争で認められるようになるまで10年はかからなかったと思います。
 映画用のフィルムを使う35㎜のカメラはこの頃から急速に伸びて行きますが、われわれカメラマニアの主要フィルムは 6センチ幅のブローニーフィルムで、その旗頭が 2 眼レフといわれた画像のようなカメラでした。このカメラの上半分はファインダー用のレンズと遮光用のフードで、撮影時にはカメラの3/4を占めています。

f0103459_1836397.jpg さすがにこれはアンバランスだと撮影用のレンズとファインダー用レンズを一体化する試みは続けられましたが製品はなかなか誕生しませんでした。ここでいいたいことはそれほどまでファインダーは大切にされてきたということです。
 下の画像はドイツ製の2眼レフを精いっぱいまねた日本製2眼レフのごく一部です。ローライコードなどとても買えないわれわれも、フィルムと同じサイズのファインダーを覗きながら写真を撮っていました。こういったコピー商品は大メーカーも臆面もなく製造していました。敗戦国ということで大目に見られていたからでしょう。

by my-pixy | 2012-01-10 11:32
2012年 01月 08日
三連休は白馬
f0103459_15361712.jpg 新年仕事始めと思いきやたった二日での三連休に閉口し、むかし懐かしい白馬八方尾根散策に出かけました。
 最盛期はほとんど毎週、金曜日の夕方クルマで東京を飛び出し、高速道路もあまりない中央道をひた走り大町経由で白馬村へ、初期にはゴンドラもリフトもない黒菱までスキーを担いで上がっていました。滑るコースもスキーの長さの倍ぐらいしかない難所もありましたが、今は広大な斜面に変わっています。現在の天皇ご成婚のテレビを見ていたのもこの白馬村のゴンドラ乗り場だったことを憶えています。

 そして98年の長野オリンピックの時は2度目の急性膵炎で40日の入院中でした。あの歓声に埋まったジャンプ台には人影一人なく施設の管理も大変そうでした。兎平からのノンストップ滑降など今や夢のまた夢ですが、山麓から眺めるだけでも楽しい時間でした。再挑戦はしませんが、一ヶ月後には淋しくなったスキーグループに、平均20才は若いヨットグループを注入し白馬さのさかまで戻ってきます。

by my-pixy | 2012-01-08 15:15
2012年 01月 05日
5本のクレーン
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 昨年の暮れ頃から東京駅八重洲口の工事が最終段階に入ってきたようです。外見的にははりめぐされていた工事用の囲いがめっきり減り右側のデパートになるらしいハコモノは増えましたが、真ん中は空が広がり5本の大クレーンが何やら動き回っています。一階や地下では新しい通路やエスカレータが増えるのはよいのですが、改札の位置も変えるつもりらしく、新幹線を降りてから乗車券だけをもっていつしか丸の内に向かっていたり、地元でも油断は成りません。

by my-pixy | 2012-01-05 14:49
2012年 01月 03日
今日は箱根駅伝
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 関係者ではありませんが帰路すぐお近くを通って下さるので、応援団の太鼓の音にも誘われてちょっと見物に出てきました。チェアリーダーまでおそろいで気合いの入っている中にもぐりこむのはいささか気が引けましたが、往路復路ともダントツで帰って来た東洋大が東海大ではないことはよく分かりました。チェアリーデイングの全日本などは何度か見ていますが、グランドでもない屋外のコンクリートは足に好くないのではと心配したり楽しい一時で、さびしかったお正月はすっかり華やいだものに変わりました。(実写画像、拡大可)

f0103459_8423686.jpg ただ車に取り囲まれたランナーを撮るチャンスが一瞬しかないことは想像以上の厳しさで、もし独走でなければ観衆との競り合いも出てもっと大変だったでしょう。
 それでも30分パソコンを離れただけで、体に残るブラスバンドの響きはすばらしい息抜きでした。

by my-pixy | 2012-01-03 15:50
2012年 01月 01日
2011.1月
  あけましておめでとうごさいます。

f0103459_12344724.jpg これまで月初めに使ってきたカレンダーの写真がなくなるので、口腔内写真ばかりになることを懸念していましたが、元日は雲が多く早速マダガスカルへ援軍コールです。

 正月休み用に、食品ともども仕事のデータもハードディスクに詰め込んでいたのですが、出がけにバタバタして置き忘れてしまいました。取りに戻ることも考えましたが、観念してテレビッコに徹することにしました。幸いにして、世界で一番遠い島トリスタン・デ・クーニャ。世界で一番大家族の島コロンビア、イスロデ島。サンゴ世界一奇跡の海、赤道直下インドネシア。北極海ヨットクルーズ。などなど2時間クラスの長時間ものに恵まれ退屈はしませんでした。

 これからもホットスポット、ワイルドライフなどのスペシャル版が続くようです。

by my-pixy | 2012-01-01 12:12