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2012年 08月 31日
リオの話しは出なかった
f0103459_1202124.jpg なにか技工室がにぎやかと思ったらパラリンピックと入れ換えにロンドンからのお客様でした。
 あまり競技の話しはしませんでしたが、さすがにリオにという話題よりも愛馬の身の振り方やご本人の居住拠点などが話しの中心でした。私も真鶴に置きっぱなしのポンコツマーチの扱いには迷っていますが、愛馬の帰国はそんなこととは比較にならない大仕事です。しかしそうなれば本人も少しは日本滞在が長くなるでしょうからスキークラブとしては大歓迎です。
 お酒大好き人間ですが彼の健康管理は常に最先端ですから、またまたPET、胃・腸の内視鏡検査検査から白内障までいろいろ情報提供していただききました。

by my-pixy | 2012-08-31 12:28
2012年 08月 30日
元気なスタディグループ
f0103459_1410943.jpg むかし新潟で10年以上連続セミナーを行っていたご縁で、今なお元気なスタディグループとのおつきあいが続いています。先月15周年記念誌をまとめられたNDの会もその一つですが、最近とみに元気なのが新潟市の「無門塾」です。古いメンバーは新大第2補綴の人たちが中心でしたが、低迷期を抜け若手の成長ぶりが顕著です。今週も2日連続でそのメンバーと長電話をしていましたが、昨日、納涼をかねて夕方から全員発表をするという話を聞きつけました。
 ちょうどアポイントも空いていたので「それじゃこれから見に行くけど」と有無を云わせず16.30分の上越新幹線に飛び乗りました。7時からの発表は「2級窩洞」とかいう珍しいテーマでした。さらに私が驚いたことはその大半がCR充填の発表だったことです。後半の年配組ではセラミックスやCRインレーの話しなども出てきましたが、30代の人たちは、そのほとんどがマトリックスとフロアブルを使ってのレジン充填でした。始めは違和感がありましたが、30代の若手にとっては、患者さんの年齢も考えると関心のある問題なのだろうと理解できるようになりきました。

 全員とは話せませんでしたが基本ゼミのOBなどもちらほら、きっと今後10年は上昇気流に乗って飛翔するでしょう。古巣だった大学の教室に明日はないことは共通認識ですから、それにかわる自分達の居場所を求めているようにも思えました。暮れにはNDの会と合同コンペも企画中とか、嬉しいような淋しいような複雑な気持ちです。

 この地にくると相変わらずチェックインは12時過ぎで、睡眠もそこそこに始発電車で帰ってきましたが面白い体験でした。

by my-pixy | 2012-08-30 14:10
2012年 08月 27日
フィルムカメラとの訣別
 いったんはお別れしたつもりで交換レンズもそれなりに整理してきた35ミリフルサイズ(FX)でしたが、タイの洪水問題などで遅れに遅れていたD800の実機にふれてコロリと変わってしまいました。
 口腔内写真用のカメラとしてはとんでもないスペックで無用の長物間違いないのですが、1999年以来あれこれ引きずり回されて、ようやく35ミリ1眼レフが戻ってきたという安心感はなにものにも変えがたいものでした。「いまさら!」「このまま終われるの!」という葛藤の末、回帰大作戦に入っていきました。その発端になったのはカメラボディの重量です。フィルムのF100は900グラムでしたが,その前のF4は重量級でした。その後モデルごとに重さは変わりましたが、D7000で800グラム、今回のD800はフルサイズなのに1000グラムですから少なくとも重量級ではありません。
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 ここに並んでいるのはすべてがフィルムカメラです。それぞれには独特のキャラクターがあり「愛機」と言う呼び名にふさわしいものでした。しかしデジカメになってからはあのD1ですらそうした雰囲気はなくなり、思い入れがあって手放したくないものは、すべてフィルムカメラということになりました。フィルムを現像しその結果を見ることもないものは一括して整理することにしました。

by my-pixy | 2012-08-27 11:16
2012年 08月 22日
D800.散歩用にはちょっと重いけど
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 28〜300のズームはさすがに肩に食い込みましたが、描写の美しさは感動的でした。 2012.4.02参考   
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 これから始めようとしているのは昔の写真談義です。1900年代も最後の10年にデジカメが誕生するまでは、フィルムとメカ中心のゆったりした流れでした。最後に登場した使い捨てカメラで新たなユーザー層は広がりましたが、今になって思えば、線香花火の最後の1ドロップ、フィルム時代の終わりでしかなかったのです。
 ここでもう一つ重要なことはフィルムの消滅が、ブローニー、35ミリといった規格の崩壊に繋がってしまったことです。ここまではブローニーの横幅は変えずに6×6、6×7、6×4.5などに使ったり、35ミリを1/2にして使うなどということはあっても、システムカメラという宿命もあって、無法地帯にはなりませんでした。
ただ、変えたくない35ミリというフォーマットと、フィルムとは異なる自在なCCD、CMOSなどのはざまで2分化は密かに進行して行きました。伝統を継承しようとするFXと、デジタル時代に適応しようとするDXです。

by my-pixy | 2012-08-22 18:47
2012年 08月 20日
デジタル1眼レフ15年
 本格的なデジタル1眼レフが登場したのは1999年だが、その後2〜3年間はデジタル画像の混迷期が続いた。35ミリスライドの撮影機材は1980年代には成熟していたにもかかわらず、デジタルへの移行がスムースに行かなかったのは、フィルムに代わる撮像素子にまつわる技術開発が試行錯誤状態だったためである。この時期のデジタル一眼レフに愛想をつかして、スライドからスキャンニングというステップを踏んでいた人も少なくない。
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 私自身もやや強引にデジタル一眼に踏み切ったものの、2003年頃までは幾つかのメーカーの間を右往左往することになりフィルム時代のF100を懐かしむことが多かった。 デジタル一眼もう一つの問題は、カメラメーカー各社が35ミリだと称しながら、撮像素子の大きさを一回り小さいAPS-Cというサイズにしてしまったこともある。このためにレンズの焦点距離や画角の決まり事もグシャグシャになってしまったし、ファインダーも小さく見づらいものになってしまった。
 製造上の理由で勝手に決まり事を変更しておきながら、数年が過ぎるとこれまでの35ミリは「FX」新しいAPS-Cは「DX」と呼び名を変え2つの規格にしてしまうとは横暴としか云いようがない。この点はニコンもキャノンも裏でしっかり手を組んでいるようです。

f0103459_17385024.jpg 一時はこの作戦を察知して35ミリはすでに亡き者と諦め、すべてを「DX」にしようと心に決めていたのですが、結局、敵の術中に陥ってしまいました。
 それにしても片やフィルム、片や最新デジタル、両者の間に20年近い年月が過ぎているとは思えないそっくりさんです。とくに好きなのは左側のダイアルに埋め込まれたボタンのレイアウトでD1にも使われていましたが操作感、グリップ感なども快適です。
 ただ口腔内写真にこのD800を切り替えるつもりはありません。ただ2000年よちよち歩きを始めたデジタル一眼レフがどこまで進化し、われわれに何を与えてくれるのかを確認しようと思っているだけです。余計なお節介の準備はできましたから実際の確認作業に入ります。

by my-pixy | 2012-08-20 20:16
2012年 08月 01日
フィヨルド
f0103459_7523892.jpg8月、ノルウエーフィヨルドの町。この二人は民宿の兄弟で、釣りの仕掛けに熱中していました。1997年のことでしたがフィヨルドを巡ってヨーロッパ最北端ノルドカップを目指していました。

by my-pixy | 2012-08-01 07:48