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2014年 05月 31日
ブンデスハイム
f0103459_18422776.jpg1月24日
 絶好とは言えないコンディションに悩まされたわれわれのスキーの最後の日。一縷の望みを託して目を覚ます。まだ明けきらぬ空ははっきりはわからないがどうやら青空らしい。9時にホルストに会うことになっているがその前に一稼ぎとばかりにバタバタと支度をして飛び出す。しかし谷間のクリストフには陽は当たらず微かに陽が当たり出した山の頂きは電線が邪魔になり写真にならない。仕方なくイライラしながら部屋で待つ。9時バルーガまで登る。途中で雲がぐんぐん増えてきてガルツィックではすべてが雲に隠され風も吹きまたZermattの二の舞かとすっかりショゲ返った。しかしバルーガへのケーブルの途中から雲の上に出ると雲1つない好天で思わず飛び上がりたくなる。途中で写真を撮っていたSとはこれ以来1日中バラバラになってしまう。バルーガから新雪の大斜面をホルストのクラスと共に滑る。写真も撮りたい、滑りたいで迷うがこれ1回はスキーと諦める。やはり晴れると流石壮大なスケールで夢のような大斜面が様々な変化をもちながら延々と続いている。ホルスト始めクラスの連中が新雪を蹴立てて滑るのを撮りたいがただ付いて行くだけでも精一杯でとてもリュックを下ろす暇はない。おじけづいていた新雪をかなりのスピードで滑れるようになってくる。勿論軽い雪に助けられてはいるがZermattの時よりは重い。しかしスキーはうまく横ズレしてくれる。途中からは調子づいてきてクラスの先頭の方を滑る。11時クリストフに帰り解散。カメラを持ってすぐ上がるというホルストを追う。ガルツィック付近で新しい斜面を探すが僅かに2〜3時間の間によくもまぁと思う斜面までシュプールが刻まれていてなかなか思うような斜面がない。それを探しながらかなり厳しい新雪の斜面を大分滑る。思ったよりうまく行く。長い谷間の緩斜面では彼を追ってクラウチングで生まれて初めてと思われるようなスピードで滑る。恐怖はほとんどない。ほとんど写真は撮れなかったが思う存分のスキーはした。ただ時間が残り少ないのが気になり、残念ながらホルストと別れ単独で写真に専念する事にする。ホテルに帰り急いで食事を済ませバルガーへ。ケーブルは混んでいて大分待たされる。朝のうちは多少雲が残っていた、天空もすっかりピーカンになりバルーガから更にケーブルを乗り継いで行った展望台からの眺めは凄まじいばかりで日本の山が山脈という名の通り一列の山並みであり線であるのに対しここでは線を見出す事は出来ない。見渡す限り3000メートルクラスのピークが一面に敷きつめたように広がっている。しばしあまりの凄まじさに呆れかえっていたが思い出してカメラを取り出す。しかしこのお花畑のように延々とそれぞれ美しい山々をファインダーの枠でカットする事はひどく難しい。目をつぶってシャッターを押しても写真になることは間違いない。しかし自分の意志で何かを撮り何かを捨てなければならないとなるとこれはまたどうしたらよいのか全くわからなくなってしまう。岩の間にシュプールが見え隠れし黒い点が良く見れば少しづつ動いている。20〜30分ほどして下り始める。あちこちキョロキョロ見回しながら時々カメラを出してはまた滑る。何とかこの壮大な山とスキー場のスケールを記録したいと思うがなかなか思うにまかせない。16時頃クタクタに疲れて帰る。黒岩君が来て暫く喋る。Bandes heimでホルストと会う。       
 
1月25日
 7時起床。名残を惜しみつつEderweissを出る。また雪、昨日の好天がウソのようだ。8:36St Anton発Zurichへ。列車の中でChurのインストラクターと色々話す。Zurichでスキーをアナカンでまた不要なものを大分苦心してSea mailで送る。これで少し身軽になる。しかしその後食事をしホテルのバーで一杯飲んだだけで1日が終わってしまった。静かなバーで久しぶりに少し落ち着いて考えたり話したりする。振り返ってみると慌ただしい毎日でほとんど何も考えたりすることのない毎日だった。ヨーロッパ最後の夜と思うと多少なりと物を考える気分になる。

by my-pixy | 2014-05-31 08:43
2014年 05月 30日
待望のチロルへ
f0103459_18144286.jpg1月21日
 6時半起床。7:30のArlberg ExpでSt Antonへ。隣りの国へ行く列車の方が遥かに便利で、昨日Zermattから2度乗り換え6時間以上かかってZurichに着いたのに、St Antonへは乗り換えもなくほとんど同じ距離を僅か3時間で着いてしまう。この辺では急行でも特急でも急行券はないし列車内はかなり良くなる。こういう列車を使わねば全く損だ。初めての国際列車で10:45にSt Antonに着く。St Antonは聞きしにまさる寒村の小駅という感じで線路のすぐ横から上越のスキー場のように広がるゲレンデがなければ全くスキーのメッカとは信じられない。やっと見つけてタクシーでSt Christophへ。ブンデスハイムでシュバルツェンバッハを探すがこれがまたひどくお粗末な建物で入り口も受付もわからず散々苦労する。ようやく12時半頃彼をつかまえる。キビキビと宿の事など面倒をみてくれる。スキー場の印象はスイスのものと異なりどちらかといえば日本的である。勿論スケールは大きいし斜面の変化もあるがスイスのそれが上に行くほど広大となり町の近くは細い山道であったのに反しここはどちらかといえば下に広がった形で幾つかのゲレンデが連絡されているという感じだ。いわばスイスのスキー場は広大な山の斜面から町まで細いコースをつけたものでありここでは前者の要素はなくなって広大なゲレンデがあるという感じである。山のスケールは大分小さくなるがコースは遥かに難しくなる。バンプが多く斜度はきつい。スキー学校はがらりと変わり同じようにコースを列になって滑るにしてもスピードは遅くかつ細かく止まっては注意しながら滑っている。スイスではインストラクターは単にコースの先導者という印象だっただけやはりこの方がピンとくる。新雪の斜面にはおなじみのシュプールがあちこちに残されている。ここのインストラクターの中にも色々程度はあるようだがそれでもさすがに格調ないスキーぶりでそれを見て滑るなかに少しきちんとしたスキーを思い出す。Christophからケーブルでガルツィックへ。そこからSt Antonへ。またケーブルでクリストフへなど2時間ほど滑って早目に帰る。どうもこのところ少しく疲労気味だ。宿の食事はあまり良くないが快適。

1月22日
 雪がさんさんと降っている。ツェルマット以来の悪天候がついてまわっている感じで嫌気がさしてきた。また眠って10時頃起きる。事情は変わらず朝食後前のホテルの床屋へ行ってくる。そして昼食。午後St Antonまで出掛ける。Mr.TachikawaのBMW1800に同乗。ご機嫌な車だ。バッチなど仕入れて帰る。時間潰しに苦労。昼寝3時間余り、これで睡眠不足から完全に回復した感じだ。夜隣のホテルのバーに出掛けて1日を終える。全くもったいない。

1月23日
 相変わらず雪とガス。全く頭にくるがもう眠って暮らすわけにもいかず勇を鼓して出掛けるが面白くないこと甚だしい。上越のようにドカドカ降ってくる。1時間ほどで帰る。引き上げたい気分だが今日Zurichに帰っても明日は日曜日で店もJALも休みだから動きがとれない。土、日曜日を完全につぶされるのは閉口だ。クリスマス、正月を加えもう1週間近くを無為につぶされている。仕方のない事だが苛立たしい。昼休みにホルストを訪問する。相変わらず調子がいい。良すぎて話にならない。ともかく午後から一緒に来いという事で渋々また支度をする。雪、ガス共相変わらずしかもケーブルでガルツィックまで登ると言うので全くおじけづいてケーブルに乗る。頂上は視界10メートル位の一面の乳白色の世界でかなりの風。いよいよ怪我をしなければと祈るのみ。ホルストは生徒を待つからと言うのでMr.黒岩と滑ることになる。ホルストから早過ぎぬようにとの注意がある。全く西も東もわからないのでただ彼の後を追う。流石滑り慣れている彼はどんどん下りて行く。風に吹き固められた新雪がターンと共に小さなブロックになって崩れてシュプールが刻まれる。1人なら当然ボーゲンでもやるところだがメンツもあるし死んだ気になって恐る恐るリュックラーゲで怪しげに曲がってついて行く。彼は見事にまとまったフォームで新雪をぶち壊して行く。いくつかまわる中に少し感じがわかり恐怖心も薄れてきた。ところが今度はコブだ。彼は軽い屈伸をしながら斜滑降して行き適当なコブを見つけてヒョイとまわりこむ。その感じがひどくいい。こちらはコブの上で飛び上がって底にドスンと落ちる。膝がかたいからショックが直接上にきてつぶされスキーがパレる。随分ゆっくり滑ってくれているがこちらは真剣に追う。しかしこれも暫くすると大分良くなった。良い先導者のいることをこれほど有難く思った事はなかった。ともかく午前中はもう2度と滑るまいと思うような天気だったのに大変楽しく悪天候の中でも滑りまくった。昨日の1日を惜しく思った。


by my-pixy | 2014-05-30 08:40
2014年 05月 29日
ツェルマット
f0103459_938315.jpg1月18日
 目を覚まし外を見ると雪が静かに降っている。山はほとんど見えない。途端に起きる気がしなくなる。9時過ぎまでゴロゴロしていたが他にする事もなく渋々食事をして出掛ける。ゴーネルグラード行きのケーブルの中でまた英国人と話す。天候不良の為1つ手前の駅で降りたがそれでもひどい。仕方なくすぐ下へ下ることにする。ところが未だほとんど人が下りていないので風で固められた新雪に散々悩まされ食事に。ホテルに帰ったまま2時間ほどひっくり返る。14時勇を鼓して再度、今度はGanelgrardの終点まで登る。今度はかなり踏み固められていて快適に下りる。ひどく怠けた1日だったが考えてみれば標高差3000メートル余りを滑っているわけだ。夕方町をぶらついていた時Zermattに着いた最初の晩ホテルのフロントで一寸逢った日本人と会い、ビールなど飲みに入り話をしている所へ入り口でキョロキョロしている日本人と覚しき男。これを拾いSを加えて4人で町をぶらつく。前者はパリのパスワール研究所に勤めるハナもちならぬ変な日本人。後者はN.Y、JAL勤めのこれまた行動力に富んだ単細の日本人。この町第一のホテルに仂いている日本人がいるはずだからというので、誘いに行き午後10時彼の妻を加えて総勢6名でバー2軒をまわる。海外で生活する日本人サンプル集の如く大変興味深くまた夜のZermattも面白かった。

月19日
 今朝も悪天。昨日よりはいくらか良いようだが望みはない。ただ今日は昨夜のムッシュパリが一緒にスキーをしたいと言うのでそれをかまう楽しみがある。連日の睡眠不足で不調。これは薬石効なく閉口である。これとトレーニング不足とが重なり何とも調子が悪い。おまけに広いスキー場、良い雪に恵まれスイスの怪しげなインストラクターを見ながら滑っているのでだんだん悪に染まり日本に帰ると使いものにならなくなるのではないかと心配。ゴーネルグラート付近で電車を使って滑る。長いが単調でやや飽きる。ムッシュは大体予想通りで昨夜に比べるとひどくおとなしくなる。愉快。15時頃町へ下る。夜はホテル勤めの松山夫妻とフォンデュなどスイス名物料理を食べる。あまりピンとこなかった。ジャガイモを使ったラクレットは美味しかった。待望のマッターホーンが空に4日ぶりでやっとその姿を現す。寒いし気圧計の計も上昇しつつあり明日こそは写真が撮れそう。

1月20日
 まだ明けきらぬ空にマッターホーンがくっきりとそびえ立ちそのすぐ上には丸い月が残っている。待つこと4日目にしてようやく恵まれた晴天だけに喜び勇んで、今日こそとばかりに張り切って飛び起き急いで宿を出る。ケーブルカーの動きがひどく遅く感じられる。ゴーネルグラートに着く。少し前から空にポツポツ白い雲が現れ始める。ピーカンより写真には好都合だなどと話していたが雲はその後急速に広がりだし、ケーブルが着く頃にはモンテローザはその頂きを灰色の雲に隠されてしまった。しかし未だ青空の方が大分多いのでもう少し上へ行こうと、スキーはコース閉鎖の為置いたままストックホルンへのケーブルへ乗り継ぐ。ひどく寒く2本のケーブルでストックホルンに着いた時は冷えきってしまいそのうえ青空は僅かになってしまった。寒さに痛めつけられながら暫く待ったが事態は悪くなるばかりで遂に諦めて再びケーブルで下る。急にガックリしてゴーネルグラートからは最低のスキイングで這うようにして下る。フェルマットに着いた時、空は完全に閉ざされマッターホーンのみ灰色の空に黒々とした岩肌を見せていた。
 これでは明日も期待出来ぬと荷物をまとめてZurich経由でSt Antonに移動することにする。急な予定変更でホテルのフロントとの間に多少ゴタついたがPM2:45の列車でZermattを離れる。色々と恵まれぬZermattの4日間だった。スイスの列車はどうも細切れで乗り換えに悩まされる。接続は良好だが面倒以上によそ者にとっては難関が多く閉口だ。Zurichに21:15に着く。食堂などで定食の押し売りにあい乏しくなってきた財布から800円あまりとられたのは痛かった。


by my-pixy | 2014-05-29 08:35
2014年 05月 28日
グリンデルワルトからツェルマットへ
1月16日
 今日はKL.Scheideggなどとは反対側のFirstへ出掛ける。宿のすぐ裏からここでは唯一の2人乗り横掛けのチェアリフトに乗る。1回700円也。ゴムびきのマントを着てホ口のかかったチェアに腰かける。途中3つの駅がありそこでは一応そのまま小屋の中にチェアごと入り、切符をチェックしてポイントのようなもので上に行く人と降りる人とのチェアはそれぞれの方向に分けられる。これは誠にうまく出来ていて感心する。日本のリフトよりかなり早いがそれでも30分かかって終点Firstに着く。ここは周囲の山が低いので10時頃なのにもう陽が当たっている。しかしやはりリフト30分はホ口やマントに守られてもやっぱり寒い。ここからまた1回360Fri(300円)のTバー(これは5回で1200円)。これは途中で2〜3回90度位に曲りながら延々と登って行く。上に着いた時は冷えきって、欲も得もなくFirstの食堂までとんで帰る。紅茶など飲んでいる間に気温も少し上がってきたらしく大分暖かくなる。こちら側はもう山に間にみな陽が当たっていてくれるので有り難い。しかしさすがアイガーユングフラウ等の迫力はない。スキー場のコースも大分楽だ。昨夜15センチ位の新雪が降ってくれたのであちこちにシュプールをつけて歩く。いい気分だが昼過ぎにはZermattに発たねばならないのでスキーはあまり楽しめない。この辺のリフトは色々な割引があるらしくそれによって滅法値段が変わる。2〜3週間の写真入りのパスなどもある。われわれは同じコースを何度も滑る時間がないのでどうしても割高になる。またチケットの種類も英語で書いたものがないのでさっぱりわからない。随分無駄をしているのだろうことは見当がつく。帰りのリフトのコースは当然ながら八方の3倍位滑ったような気がした。
14:45Grinder wald発インターラーケンSpiez Brigと乗り換えZermattへ。20:30途中食堂車などをのぞく。宿のあては全くなく少し心配だったがビューローが空いていたのでこちらの希望を言うと簡単に決まり馬ソリのタクシーで直行。このへん大分手際が良くなってきた感じだ。町の感じはGrinder wald、Wengenなどよりは都会的な感じだ。店も多く品物も豊富だ。
f0103459_919311.jpg1月17日
 少し寝坊をして8時半頃起きる。天気はあまり良くなさそう。ベランダからマッターホーンがその下部だけを見せている。あまり期待は出来ないがともかく支度をして出掛ける。マッターホーンの頂きが時折微かに見え隠れしている。大きなゴンドラを2つ乗り継ぎそこからまた長いTバーでマッターホーンの鞍部辺りに向かって登る。左手にはモンテローザがどっしり偉容を誇っている。ゴンドラで雲を抜けて来たので下は一面真白な雲で覆われている。KL.Scheideggのような変化の多い斜面ではなく割合なだらかな大きな斜面が目の前180度の広さに広がっている。そこを綺麗なシュプールを残しながらかなり大勢のスキーヤーが次々と滑ってくる。新雪に描かれるシュプールはいつ見ても美しい。スイスのスキー場へ来て始めて少し風がある。気温は高いが雪は軽く新雪も固めた斜面も大差なく滑れる。これならオーストリースキー教程などのシュプールも大して問題ではない。事実見事なシュプールを描いて滑って行くご本人のフォームやその後のスキーぶりなどを見ていると大した事はない。むしろ緩斜面でいい気になっているとスピードがつきすぎることの方が怖いくらいだ。1〜2回試してみて更に確信を深めた。固くしまった雪の上に15センチ位の新雪がふわりと均等に乗っているのだから申し分ない。こんな風だからシュテムシュヴィングも怪しげな年配の生徒を連れてインストラクターがどんどん新雪の所を滑って行く。特に新雪だからという難しさはないし転んでもボッカリ潜るなどという事はあり得ない。日本での苦労が馬鹿ばかしい。とは言ってもうまい奴は多い。特に女の人の差は大変なものでこっちの女の子は遠くから滑り方を見ただけでは男と区別がつかない。しばらくする中に風が強くなり雲が広がってきた。風が強くなると雪が軽いだけにどんどん吹き飛ばされ吹き溜まりのようになってこれが風で固められる。こうなるとさすが視界のきかない事もあってかなり厄介になる。まだ斜面が広大で林などないからキリントンのように僅か1時間位の間に1日中降った雪を皆林の中にもって行かれて残る雪はアイスバーンばかりなどという事にはならないのが幸いだがこれにはかなり手こずった。しかしこれには土地の連中も斜滑降を長くとって小さくゆっくり曲がる以外特に手がないらしかった。こっちでスキーをやり始めてからイヤというほどやらされた横滑りもこれには通じない。次第に天気も悪く風も強くなるので一応ツェルマットまで下る。あまりいいコースをとらなかったらしく途中で若干歩かされたりしたが長いことは相変わらずである。1回でゲンナリする。しかし未だ14時。渋々もう1回ゴンドラの終点まで登る。今度はコースがかなりつけられたのとかなり上手い数人のチームと一緒になりそのリーダー的な人の後を追ったことでかなり快適に滑った。この人は英語が通じず話はしなかったが見事なバインシュピールを見せてくれた。大変参考になった。朝Tバーに乗っている時3人位の人と色々話をした。スキーの事、仕事の事なら単語だけでも何とかなる。大体こっちから聞いて相手に話をさせることも慣れてきたので間があいて困ることもなくなってきた。とにかく先手をとって向こうから質問されないことである。15時半頃下りて来て町をぶらつく。グリンデルワルトと色々な点で異なりまた面白い。あれほどの家の画一性がなく色々新旧とりまぜて立っている。しかし原色を使ったようなものはなくバックの岩の色などと溶け入るような感じは同じでその為スイス国族の赤や人々の服装がひどく美しく引き立ってくる。店のウインドーは完全に都会だし歩いている人も大変多くチューリッヒなどと同じぐらい。ただ駅から先では自動車は1台も見ない。ホテルの前にもいないのは珍しい。タクシー=馬ソリで鈴を鳴らして景気よく走りまわっている。また時間を知らせる鐘が時々あちこちから色々な音で鳴り響くのが印象的だ。ホテルは食事、部屋などの内容はともかく何か大変冷たい感じでグリンデルワルトで大変家族的雰囲気を味わった後だけにいただけない。昼の弁当の豪勢な事は相変わらずか、あれ以上だ。宿泊に関しては日本の方が遥かに高い。リフト等も今日はクーポンを買ったので1200円位だった。

by my-pixy | 2014-05-28 08:23
2014年 05月 27日
グリンデルワルト   2
1月15日
 また7.30起床。今日はまずまずの天気のようだ。昨日の英国人家族の案内のおかげで今日はまごつかずKL.Scheideggに登る。アイガーもメンヒもユングフラウもみなその姿をハッキリ見せている。真正面から見たアイガー北壁の迫力はやはりものすごい。しかしKL.Scheideggまで来てしまうとやはり高さのせいもあるしユングフラウの方が遥かに美しく北壁は小ぢんまりしてしまってメンヒにも敵わない。困った事には山が高く太陽がその反対側から昇ってくるので11時頃になっても日が当たらない。これでは商売にならないのでラウバーホーンまでリフトで上がって一気にWengenまで降りる。なかなか面白いコースだ。 
f0103459_1135123.jpg Wengen近くなってコースがよくわからず初心者コースのような所を散々滑らされる。WengenはGrinder waldに比べると遥かに都会的でやはりすぐ駅の裏手の所にスケートリンクとカーリングのリンクがあり大勢の人がプレイを楽しんでいる。カーリングは年配の人が多くスケートの方は子供と女の子が多い。そのバックはスキー場で次々とスキーヤーが滑り下りて来る。全く楽しいシーンに思わず時間を忘れてしまう。その中子供達が騒ぎ始めたのでその方を見ると白熊が風船をいっぱい持って現れる。うまく出来ているのでそばに来ると一寸気味悪いくらいだ。暫く見ていると写真屋が適当な子供を見つけては風船を渡し並んで記念写真を撮るという寸法である。なんといっても町中が賑やか華やかで知らず知らずウキウキしてくるようなムードがいっぱいだ。
 
f0103459_1143473.jpg1台電車を見送り次でKL.Scheideggに戻る。その電車の中でイギリスの12、3才位の男の子と話す。3週間位前から来てジャンプのレースに出たのだと言う。その中一人っ子で父親はイギリスのアルペンのオリンピック選手でサンモリッツ大会に出たとか色々な話が出てくる。始めて5年目だと言うのでまあ何とかなるだろうと一緒に滑ることにする。もう13時近いのに陽はほとんど当たらない。またラウバーホルンに登り滑り出す。われわれも初めてのコースではないのだが彼は先のわからない所でもどんどん滑り下りて行く。こちらは先に逃げ場があるらしいことは分かっていても、思い切って突っ込んで行く気にはなれない。少々ヘマをやっても雪が軽いので救われるが、その代わり日本の雪に比べるとかなり良く滑る。ちょっと気を許すと自分のいつものスピードを大分超えている。斜面は滅法もなく広いし新雪の中にかなりのスピードで突っ込んでも大して問題はないのだが、身に染み込んだ猜疑心はなかなかぬぐえない。写真を撮るから少しターンをしろとか何とか注文をつけたりしながら、途中のWengernalpまで一緒に下り彼と別れWengenに帰る。
 昨日の英国人の家族といいこの少年といい強いことは滅法もなく強くスピードも早い。これはほとんど全てのスキーヤーにいえる事で長距離を続けて滑ることになれている。コースには50〜60代位の年配の人も少なくないが彼らも手堅く、侮りがたいスピードもで滑っている。このとてつもないスキー場を滑るとすれば当然のことだが。見た目にキレイだなと思うような人はほとんどいない。みな適当な格好で滑っている。土地のインストラクターも形はあまりいただけない。しかし昨日やって来たばかりのわれわれでも、こう広大なスキー場では細かなことを考えて滑ろうなどという気はほとんどなくなっている。Sが斜面滑降のフォームなどをちゃんとやっているのがどうも辺りの風景とマッチせず、よせよせと言いたくなる。スキー場のスケールを説明するのは、日本のそれとの差があまりにも大きく一寸難しい。やはり八方が一番似ているが桁が違うし、また各コースとリフト、ゴンドラ、電車などとの組み合わせがいいので短い時間でもあちこちのコースを滑れる。もし歩いてやる気なら新雪の斜面が気が遠くなるほど沢山広がっている。ここだけで日本のスキー場のコースは、全部入ってしまうのではないかと思うくらいだ。

f0103459_1139593.jpg 食事は電車を待つ時間に済ませ寸暇を惜しんで歩き回る。14時近くなってやっと陽が当たり山々の美しさは一際増してくる。もうスキーはやめにしてカメラに専心する。アイガーグレッチャーへ、ラウバーホーンへと結局17時頃まで休みなしに動きまわりやっとスープにありつく。もうとてもGrindel waldまで辿り着く元気はなくBrandeggで下りの電車。そこからはタクシーで這うようにして18時半、宿に帰る。
 夜また別なイギリスの60才位のおじさんから話かけられ、生花のこと波勝の野猿のこと等々から始まって、この家が150年前のもので200年位前の家具が沢山あると色々説明される。そういわれるとなかなか興味深いものが多い。ところが話しがカーリングの話しがことになると、あれはスコットランド人の始めたものだとケチをつけ始める。マンガによく出てくる英国人対スコットランド人の反感がそのままで面白い。とうとう椅子から立ち上がってその格好の真似まで始める始末だ。この家はこういう顔馴染みの人がほとんどで今夜のお客の大半はイギリス、ドイツ、フランス等の家族連れで子供だらけだ。この家の家具などにも見られるようにヨーロッパ人は大変物を大切にする。コペンでもT型フォードやそのクラスの車がどんどん実用に使われていた。家にセントラルヒーティングなどは取り入れてもその他のものは先祖代々という感じが多い。この辺りの新築の家も古い家の型をそのまま建てられていて、古い家に対しいかにも遠慮がちで、新しいものを誇るというような感じはない。スキーの道具にしてもリングはとてつもなく大きいし木目の見えるクナイスル、ライメックス、アッテンフォッファーなどをしばしば見かける。

by my-pixy | 2014-05-27 08:19
2014年 05月 26日
グリンデルワルト 1
1月14日
f0103459_19501365.jpg f0103459_19441572.jpg
7.30に起こしてもらう。まだ薄暗い。すぐ支度、食事をして9時の電車に乗る。ガスはなく山はみな見えるが快晴は望めそうもない。間近に仰ぎ見るヴェッターホルンなどの巨大な壁の迫力は何とも一寸表現のしようがない。瀟洒な家々のすぐ背面に屹立する様子は壮絶である。これでアイガーの北壁などにお目にかかったらどうなるかと心配になるほどだ。昨夜Sが少し話をしてきた英国人の家族4人が案内してくれるというので、これ幸いとついて行くことのする。37分かかってKL.Scheideggに登る。登山電車を使ってのスキーは初めてだが広いし暖房も良く効いているし大勢の人を眺めたり話も出来るからリフトやゴンドラなどよりは遥かに快適である。上はやはり少しガスがかかり雪がちらつきアイガーなどもその下部が見えるだけだ。
 途中で冷えないせいもあるだろうが、アメリカのスキー場やボストンなどの寒さを経験した後だけに暖かく感ずる。事実少し動くと汗ばんでくるし軍手一つで充分なのだから気温はそう低くないはずだ。そのうえ風が全くない。土産物屋を冷やかしていると早速、槙有恒氏の名前が出てくる。やはりここでの彼はそれほど有名なのだろう。それに商売がおんぶしている感じだ。
まずラウバーホルンのTバーリフトに乗る。ガスで凹凸や新雪の場所などが全くわからないので時々エアポケットのようにストンと落ちたり、新雪の所へ飛び込んだり散々苦労して何とか下に降りる。次いでユングフラウヨッホの方へ登る。電車で二つ三つ先の駅まで登りそこからまた別のリフトの出発点へ滑り下り、リフトでまた登ってKL.Scheideggへなどと滑る中にすっかり疲れてしまった。滑降量が大きい事もあるだろうが今シーズンまだほとんどスキーらしいスキーをしていないこと、慣れない長い(1000メートル位だろうか)急なTバーリフトで休まる暇が少ないことが原因らしい。
 昼食は宿から渡されたお弁当にスープを頼んで食べる。ところがこの弁当がまたすごい。バターをたっぷり塊のまま塗りつけ2塊のチーズを添えたパン、サラミと焼豚様の肉をサンドしたパンがそれぞれ1つずつ。それにゆで卵、リンゴ、オレンジ、更にクラッカ、ウエハースなどの小さな包みが1つでとても1人では食べきれない。
 昨夜もそうだったがこの辺りで暖かくして食べるものは皆白い陶器の深い大きな長方形のお皿の様なものの中に携帯燃料のようなものが入れてあるらしくマッチで火をつけその上にお皿を乗せて運んでくる。ともかくなにかにつけ心憎いばかりだ。例えば2度目にKL.Scheideggから乗った電車にしても綺麗にニスで外側を塗りあげそこに真鍮の金具やマークが光っているといった具合いだ。コースの標識は色分けしたポールが、危ない所には三角旗を並べたような形の柵が作られている。午後Wengenの方に半分ほど下る。これがまたご機嫌の斜面だ。晴れていたら涙が流れそうだ。反対側のWengenから登ってくる電車でまたKL.Scheideggに戻る。雪が次第にひどくなってきたので少し早目だが諦めて降りることにする。ところが暫く滑ると雪も小やみにガスも晴れてきた。良さそうに
スキー学校の生徒が10人ぐらいずつまとまって気分さそうに良さそうに飛ばして行くととても帰る気にはなれなくなる。午前中は何も見えず不意にコブから突き落とされて蛙の様に潰されそうになったり、そのブザマさはキリントンの再来だった。イモだと思っていたイギリス人の家族4人が意外と強く、危く置いて行かれそうになったのもショックだった。暫くするとうまい具合いに電車の途中駅にすべりこめたのでこれ幸いともう1度滑る。Sとは途中ではぐれてしまった。今度はKL.Scheideggから1発で降りてやろうなどと目論んだが、野心を抱くと得てしてうまくゆかないもので、何度かコース外に飛び出したり、ひと休みしようとすると同時に滑り出した女の子に追い抜かれたりしてヨレヨレになる。更にこの辺からは雪がかなり固く小休止を繰り返してようやく下に着く。
 Grinderwaldの駅の前では小さな子供達が広いリンクでスケートを楽しんでいる。ニス塗りの自転車型のソリがたくさん実用で使われていたり、店のウインドウにはヨダレの出そうなものが一杯に並んでいる。あちこちひっかかりながら宿へ帰る。夕映えが美しく夕食もまた快適。毎日、何か名前もわからぬものを出されるが食べると皆それぞれうまい。今夜は青のりにニンニクを加えペースト状にしたものだが洋風な味だった。夕食はパンよりじゃがいもを炒めたものが主食だ。スキー場でもこれを皿に山盛りにして食べていた人がいた。色々ウマそうな物を食べている人がいるのだがこちらは弁当で手一杯なのが残念だった。
 月明かりの中に見える山々の姿は昼間の何倍も美しく荘厳だ。この感じは文字でも写真でも映画でもその何分の1も表現出来ない。明日の晴天を祈る。書き忘れたが今日アイガー氷河を見た。美しくものすごい。
宿以外の電車やお土産などはかなり高い。

by my-pixy | 2014-05-26 08:06
2014年 05月 25日
Grinderwald、Zermatt、St.Antonに行き先決定
1月13日(水)
朝8時まだ重い体をムチ打って起きる。不充分ながら昨夜は6時間ぐらいは眠ったので少しは回復した.もうこれ以上無駄な日は使いたくないが、相変わらずスキー場に行く交通も、そのスケジュールなども皆目分からない。ホテルで少し聞き日航に行く。こういう時のJALのオフィスは救いの女神だ。St.Moritzの近くにいる田島とかいう人にTelしてくれたのでいろいろ聞き大分様子が分かる。さらに旅行社、駅のinformationなどと渡り歩いて、大体のまわる順序だけは決まる。やはり2週間という期間では3ヶ所位にすべきだと、目をつぶりGrinderwald、Zermatt、St.Antonのみに絞る。Holiday ticketが有利とのことだがそれを作ってもらうのに2時間ほどかかるというのでカメラを持って街へ。コペンよりは充実してきれいだ。フランクフルト較べると街も人も感じがよい。靴屋などは欲しい靴でいっぱいだ。

13.20分の列車でルツェルン、インターラーケン経由でグリンデルワルトへ。初めての列車の旅。改札口はまったくない.ポーターが1個70円位で荷物はみな車内に運び入れてくれる。広軌とはいえそれ程広いという感じはない。2等車のシートは日本のものよりは簡単だが、少し広くきれいな仕上げだ。しかし何といっても目を見はるのは、発車後2〜3分すると両側に拡がる風景だ。重苦しく曇ってはいるが その美しさは素晴らしい。緩やかな起伏で続く緑の斜面と点在する家々、さらに小さな湖なども入り混じって延々と続く。 その何処を切り取ってもカレンダーの写真になりそうだ。ルツェルンまでの1時間、左右の車窓にこうしたシーンが趣を変えながら走り去っていく。その美しさは文字通り表現すべき言葉がなく沈黙する。東海道線なら品川を過ぎる頃から、小さな駅は緑の中にポツンと置かれるようになり、周囲には店舗も看板も何一つなくなる。あるものは唯、緑の斜面と渋い山小屋風の家、小さな点景として置かれるこども達の服装ぐらいである。もし晴れていたらこの美しさは倍増するだろう。これは本当に恐ろしいような事実だ。
 日本での33年間も、そして今回日本を出ての2週間もいろいろ美しいものを見てきた。サンフランシスコの住宅街とコペンハーゲンの女性にはひどいショックを受けた。世の中に少なくとも形の上では完璧というものがあることを知らされた。しかしこの車窓からの眺め、ルツェルンの待ち合わせ時間、駅前で見た湖と町の姿はさらに美しいものがあることを教えられた。SFOの美しさは建物の調和によるものだったが、ここでは更にその上に手入れされたゴルフ場のような自然と、一軒一軒の家の家の美しさまでがプラスされていた。

f0103459_1105734.jpg ルツェルンからの2時間は単線で狭軌だが、玩具の電車ような可愛い車両で走る。途中からギアを入れて登り始めたらしい音になる。Griderwaldにつく前に日はすっかり暮れてしまった.明るければ恐らくアイガーやメンヒの岸壁がぐんぐん近づいてきていたことだろう。6時半到着し教えられたビューローに行くがすでに閉店。仕方なく店じまいをしていた食料品店の人に尋ねるとまだ殆ど空いているらしい。こちらの希望をいうと3Fr.出せば電話をかけて送ってくれるという。なかなかドライで面白い。OKというと電話をかけ店じまいも早々にトラックで荷物と共に送ってくれる。5Fr.渡すと喜んで帰って行った。ホテルというより民宿か季節旅館的な感じだ。といっても志賀高原高天原に並ぶロッジのような感じのよい家で、マダムと思われる人のほか数人の女性が迎えてくれる。アットホームな感じだ。
 われわれの部屋は1階だが、食堂などは2階でこちらがGround Floorになっているので、外を回る。日本でいえば離れ家式で、バス以外は全部つき3食でTax.Service料こみで2100円とのこと。その安さにびっくり。早速、夕食に出かけるが、その豊かさ美味しさにまたびっくり。これだけでも東京なら2100円だ。
すっかりご機嫌で、もう他へ行くのは止めようかというような気分になる.家族的で暖かな雰囲気で言葉の壁がなければ天国だ。

by my-pixy | 2014-05-25 18:10
2014年 05月 24日
欠航とオーバーウエイト
1月12日 f0103459_8201093.jpg
 9:45分発のSASでFrankfrut Muenchen経由でBadgasteinへ。待望のスキーが出来る事で嬉しいはずなのだがそれがさほどでもない。コペンでの深夜にわたる日本語談義で体は重い。真っ暗な朝8時に起き出発、空港で3日間愛用したボルボと別れ、ナポレオンを4.75$で買い込む。リアジェットのカラベルのお腹の下から乗り込む。飛行中の音が低く快適。ところがFrankfurtで乗り換えの待ち合わせをすること2時間Muenchen行きは天候が悪くて飛ばないという。すでに1時半、慌てて荷物を取りに行くやらSASと話をするやら大騒ぎとなるが、こうなってくると舞台はドイツ、怪しげな英語の能力が俄然問題になってくる。それでもどうやら列車への振替、一等乗車券、急行券などをもらって駅行きのバスに乗り込む。ほんの少しだがAutoバーンを走る。名神なみと見た。駅に着いてからまた一騒ぎ。結局すぐExpressに乗ってもBad着は夜中の3時頃になるとの事。ここでわれわれの英語の能力の限界にきた。根本的対策を相談すべくJALのオフィスを探す。今までのように一応レールの上に乗った旅行や誰かの力を頼れる時はともかく、こういうケースで、時間がギリギリときては不案内なな土地のことでもありgive upである。幸いJALのオフィスがすぐ見つかったのでそこに泣きつく。結局例の列車に乗るか夜の8時頃まで待ってZurichに飛びBadを諦めるかということのなる。時間は3時半。睡眠不足のうえ大きな荷物と喋る苦労に疲れ果て,そのうえ夜中の3時まで列車に乗って翌朝全く未知のスキー場でスキーのバッケンつけから始めてデモの場所を探して本番の撮影。これではとても無理と涙をのんでBadは諦める。朝からほとんど何にもありついていないのでこう決めると空腹がどっと襲ってくる。切符の変更等に約1時間ほどを要し5時頃やっと昼食。ところがこれが肉はともかく他のものはハワイ以来のヒドさときて更にイラつきやっと立食いでソーセージなどを食べて小康を得る。
 荷物を預けて散歩する。今朝コペンを出る時はTWAの何人かのスチュワーデスを見かけたが彼女達がひどく野暮ったく見えた。ところがここドイツとなるとまたそれより数段悪い。ただデカいだけで取得がない。隣り合わせた国同志のようでも随分異なるものだ。これで3つ目の国だが身体はそのいずれでもそう大きいとは思えない。もっと大きな人間に取り囲まれ若干のコンプレックスを感じるのではないかと思っていたがこれは意外だった。6時頃にSwiss Airのオフィスへ行く。ここのオフィスは今までの中では最も感じが良くない。大変ガサツな感じだ。そのうえここの今夜のチーフと思われる禿あがったユダヤ的顔付きで眼鏡を鼻先までずり落とした男が荷物がover weightだと言う。
 確かだが1人当り3㎏である。しかも今朝のSASで来たままの状態であることは相手も解っている。それでそれにchargeをするため延々40分余りにわたって書類をかき回すやら、あちこと電話をするやらして料金を調べ出した。こちらは静感、40分後やっと全部で2マルク(180円)だときた。一応承知した様な顔をしていた。するとどこの金で払うか、マルクは持っているかと言うからマルクで敵が計算していることがわかっていたのでとぼけて持っていないと答えた。この間も他の若い連中はしばしばこのチャージに反対しているらしいが彼は全然蛙の面に水である。その感じからこれは絶対免れる見込みはないと考えた。そしてそれなら出来るだけ面倒をかけてやろうと決心した。その中Sがスキーは1台かと聞かれうっかり2台と答えたためチャージは倍になる。
f0103459_822519.jpg ビンディングなしで1つのケースに入っているので一寸解らなかったのに。これでいよいよ決心はかたく2人のEXESSのチケットからそれぞれ2マルクづつとるようにと言ってチケットを出す。明らかに狼狽が感じられ少し気を良くする。なぜならわれわれのチケットは$で、わずか180円のために面倒なチケットを2通作り直さなければならなくなるからである。重ねて現金はないか空港へのバスで2マルク必要だぞ、などというから半分通じないような顔をしてとぼける。とうとう敵は諦めバスの発車寸前までまた40分ほどかかってチケットを作り直した。その間こちらは嫌味を言う文句を考えておいた。自分の会社の飛行機で自分の国へ金を落としに来ていること。その朝同じ荷物でコペンからSASで来ているお客に対してのこの態度は我慢がならなかった。他の仕事を放り出して1時間半もかかって僅か360円もらってお客をカンカンに怒らせる。こういう馬鹿はどこにでもいるものだ。最後の文句は完全な口ゲンカになったがこの時ほどタイミングよく次々と言葉が感情を込めて出て来た事は今までになかったことだ。大変満足。JALでも若い男が言葉ばかり丁寧だがヤル気が全くない男に頭にきたが、日本語で喋れる事で我慢に我慢をした。しかしここではドイツ人の小母さんが彼の至らぬ所を十二分に補って色々ホテルの予約、キャンセルの事まで面倒みてくれ感激した。お互いに不自由な英語の会話なのに。
 Swiss Airの飛行機は年代物のDC-3。日本ではとっくにお蔵になっているJALスタート以前のもので少々心配。ZurichのAir Portでまたまたスキーで40分余りも待たされる。どうもスイスの第一印象、特にSwiss Airは良くない。Zurichの空港も羽田以下。JAL手配のホテルがまた最低。床は一歩ごとにギーギー。フロントのオヤジは感じ悪くベッドはツインのはずなのにダブルと補助ベッド。部屋は汚く明かりは暗い。せめてナポレオンでもガブ飲みして眠ることにする。

by my-pixy | 2014-05-24 18:06
2014年 05月 23日
コペンハーゲン
1月9日
 ヨーロッパ、コペンハーゲンはやはり楽しみだ。1時間ほどウトウトしただけで2度目の食事もそこそこに雨のコペンハーゲンに着く。出迎えのDr.Kには無駄足をさせたようだ。電文が一寸わかりにくかったらしい。税関は何のチェックもなし。欧州車のレンタカーという事でボルボを借りることにする。シーズンオフなので係員がいなかったりで一寸時間をとる。ボルボは噂以上に快調。特に加速、ギアシフトなどはご機嫌そのもの。メルクールホテルでDr Aと会い4人で話し込み昼頃外に出る。雨がひどく食事をしただけでDr.Aのアパートに帰る。一見した所コペンハーゲンの街は古く小さくBostonから新しい建築を除いた感じに近い。空港もハワイ程度でアメリカの各都市のものとは比較にならない。しかし気のせいかやはりアメリカの都市にはない雰囲気を感じる。ただ1日が短く北国特有のどんよりした重い空が午後4時には真っ暗になってしまう。ウイスキーを飲みながら話をしたり自炊の夕食を作ったりしている間にすっかり夜になってしまう。昨夜ほとんど眠れなかっただけにクタクタで疲れきって早目に眠る。

1月10日
f0103459_7563843.jpg 昨日は土曜日と雨と疲労から何も出来ずに終わってしまったので明日こそはと思っていたのだが、約束の10時にDr.Kに起こされるまで何も知らなかった。多少の雪が散らついているが青空が次第に広がりつつありすっかり雪化粧した町が一際美しい。バタバタ支度を済ませてDr.Aと4人でボルボでクロングボルグ城へ出掛ける。ドライバーが左側通行に不慣れなところに道案内が歩行者的感覚で、かつ時々意見が対立するという始末で、運転の方は益々おかしくなりなかなかボルボ544の良さを楽しむまでに至らない。道路の両側に散在する家々は雪をかぶって全く北欧というイメージにピッタリの姿になる。道は日本のいい所と較べれば大差ない。小1時間走って目的のお城に着く。お城それ自体よりもその堀の周りの斜面でソリで遊ぶ子供達が大変可愛らしくその方に興味を惹かれた。また門の所にある彫刻も城の壁面をバックとして美しかった。食事をして少し回り道をして帰る。ボルボのほとんどは素晴らしいがやはり腰高な感じには免れない。
 コペンハーゲンに帰り着くともう暗くなってしまう。もっと色々見たいのに恨めしくなるほど陽が短い。夜ビヤホールに出掛ける。来た時は空いていたが1時間程で満員。若い連中がほとんどで中央の金の手すりの中で踊り始める。この手すりを通して中の連中を見るとどうも滑稽だ。しかし女の子の美しさは大変なものだ。アメリカでの2週間でそう簡単に金髪には騙されなくなったつもりだったが、ここの女の子の美しさには完全にお手上げだ。アメリカではちょこちょこ大変美しい人にお目にかかった。しかし一方には随分ひどいのも多かった。しかしここでは俺も外国に来て2週間で早くも頭がおかしくなり始めたのではないかと思うほど、ほとんどがスタイルブックの挿画から抜け出して来たような美しさだ。顔の造作には多少のバラつきはあるが格好の良いことは驚くべきものだ。町を歩いていた時から多少は気がついていたが分厚いオーバーを脱いだ時の彼女等の素晴らしさを見せつけられて、なぜか今までどうしても感じなかった日本との距離感をひどくハッキリと感じた。また同じ白色人種の中でもここの連中の白さは生の白魚のような透き通るような白さでDr.Kの言葉を借りれば「ロー人形のような感じ」さえする。この後ここのビートの溜まり場とかいうバーへ連れて行かれたが、こちらは何か濁った目つきで膚の色艶がないような連中が多く、店の感じもイヤな感じで早々に引き上げる。

1月11日
f0103459_862115.jpg 土日で2日間お預けを喰らった買い物。むしろハワイ以来ずっと我慢してきた買い物をしょうと張り切って起きる。ところが9時だというのに空は明けきらずおまけに雨がシトシト。これでもう少し撮り足そうと思っていた8ミリも諦め車を使って買い物に出る。ところが案内者がいないのでParkしては歩きまわってくると何処にParkしたのかわからなくなるなどあまり効果的ではなかった。17時半までの営業時間を気にしながら1日中あちこち歩き回ったがさして面白いものも見つからなかった。夜はDr.Kにコペン最高というペッパーステーキをご馳走になる。テーブルのすぐ横にワゴンを持って来て肉を焼きブランデーをそのフライパンの中に注ぎ込む。それが燃え上がる美しい火を見ながらの食事はなかなかゴージャスなムードだった。ここでは酒、煙草はひどく高く米国のフィルタ付は20本入りが250〜350円もする。アル中増加防止策との事だ。Dr.Kと食事をしながら日本の母校内部のこと、歯科医師会のこと、社保のこと、コペンの大学の単位や教授の資格のこと、彼の研究のことから人生観に至まで長いことかたい話をする。0時近くまで。彼を送ってホテルに帰る。これで丸3日間のコペンの生活を終えたわけだが考えてみるとこれといってまとまった事は何もない3日間だった。見物をするでもスキーをするでも仕事の見学をするでもなく3日間が終わってしまった。なんといっても陽の短いことが致命的で本当に使えるのは10:30〜14:30位でその中昼食に1時間をとられてはほとんど何も出来ない。オマケに土日にぶつかった事。10日を除いて雨・雪などに降られ9日はほとんど前夜の不眠で元気がないとあっては致し方あるまい。女の子の美しさとは引き換え街の方はあまり強い印象を受けなかったのはアメリカから渡って来た旅行者の通例なのだろうか。

by my-pixy | 2014-05-23 18:00
2014年 05月 21日
三度N.Y.へ戻りデンタルオフィス見学
午後4時のEastern Air LでN.Yに帰る。BostonではDr.Hに色々お世話になった。色々な点でやはり案内者のあることは楽だがやはり思うようにならない事も多かった。Bostonでの食事の中では直径1m程もあるピザを8つ切りにして出してくれる店に2、3度通った。六本木辺りのものより遥かにうまく2切れにコーラが付いて80 ¢前後とすこぶる安くご機嫌だった。

 ラガーディア空港着。M氏のアパートに立ち寄った後Peggyを誘って夜のグリニッジビレッジ見物に出かける。”As Spanish As Spain”というキャッチフレーズのELCHCOとやらで食事をする。どうもアーニーなどとBostonで食事をした時のCHIVASの痛飲がたたったらしく胃の具合がおかしく飲めない。貝や海老が殻ごとまざっているチャーハン様の食事がうまかった。21:30からショーが始まったが1時間にわたって少しも退屈させないのはさすがだし、小さな店であれだけのショーをやってかなりのんで4人で47$とかいうのは日本のクラブなどよりはるかに安い。ショーの途中で引きずり出されたのには閉口。終わると白髪のお年寄りが自分は東京や京都で大変楽しかったなどとわざわざ話にやって来る。お客は10組位でそのほとんどが年配の夫婦だったが、見ていて大変気持ち良く彼らのダンスは正確で美しかった。

 ショーが終わりここを出て他のバーに移る。ここは皆かなり年配のウエイターで、彼らが店の中央のグランドピアノの所へ来てオペラの一部や民謡などを歌ういわばジローのアメリカ版のような所だ。よくわからないが皆なかなか良い声で本格的な歌い方だ。そして他のウエイター達がそれに合わせて合唱になったり掛け合いで歌ったりもするが、そのタイミングの良さなども心憎いばかりだ。店は古いビヤホールのような簡単な造りだが、しばらくいると言葉がよく分からなくてもぐんぐんその雰囲気に引き込まれていく。60を越すのではないかと思われるようなお婆さんのウエイトレスも、自分の出番を待ちかねるようにしてハミングしたり一緒にコーラスに加わったり、先ほどのCHICOと同じく全くアットホームで気持ちの良い雰囲気だ。こういったものや若いアーティストやビートなどからグリニッジビレッジは形作られているらしく楽しい町だ。銀座のオバケ座敷のような雰囲気はどこにもなかった。0時過ぎMに送られ帰る。

1月7日 NYU デンタルオフィス見学
 Dr.Fと待ち合わせてN.Y.U.のHospitalに。Under post graduate courseの補綴部門を中心に見せてもらう。口蓋破裂の処置が切札らしくしばしば話に出てくるが時に目をひくものはない。基礎を忠実にやっているという事は解るが技術的にそう感心するようなものはない。レジン前装のベニアクラウンがやたらに多いが、医局員はあまり実際にはタッチしていないらしく仕上がりはどうも頂きかねる。帰りがけ見せられたオーラルリハビテーション後の顎運動をX rayで撮ったの16ミリは実用になれば結構なことだと思った。
 キャフェテリアで食事をしてプライベートオフィス見学に出かける。No1.は名前は忘れたがタイムススクエアに近くの大きなビルの8階辺りに親子でオフィスを持っている人で、1人が1日30人位づつの患者を見るので、他のDr.と3人で100人近くの患者を見るとの事で、5つのO.Pはほとんど日本並みの設備でRitterのCentury unitのjunier型にMotor chair、Caritron sound masking 麻酔器以外に特に変わった設備はない。RitterのひどくclassicなX rayすら補助的ではあるが使用されている。アメリカの水準をやや下回ると思われるごく月並みなオフィスで早々に退散する。

f0103459_1231037.jpg 次はDr.Silverman Pan AMのビルの近くのオフィス街の1階に独自の入り口をもちその入り口に植え込みなどを持った感じの良い外観で、中に入ると短い廊下の正面は待合室に、横にHygの部屋に通じる別のドアがある。待合室は管理学会などの説通り絨毯を敷きつめた落ち着いた部屋で、表通りに面した所以外には窓がなく落ち着いた部屋である。暫く待つとDr.が現れる。典型的なアメリカのDentistという感じの人でBostonのDr.Gavelとはまた異なった仂き盛りという感じで気持ちの良い人だ。N.Y.U.の補綴の主任教授院長だけのムードを身につけた人だ。そして順次中を案内していただく。いくつかのO.Pはブルー、サーモンピンク、アイボリーなど一つ一つ異なった色彩で統一されている。そして色彩以外はキャビネット、ユニット、椅子など全部がいずれも同じ物に統一されている。一つ一つのO.P Labなどは色彩的なコントロールなどの点を除けばさほどのものはない。ただここの良さは全部の部屋が始めから理想的な状態にアレンジされていることだと思う。そしてそれぞれが皆かなり高い水準でそれぞれの部屋の必要を満たすように作られている。Dr.のプライベートルーム、アシスタント達のrest room、待合室、escape doorなどすべてそうである。患者で忙しそうな合間を見ては大変親切に説明して頂いた。

f0103459_1295268.jpg 次いでDr.Mittelmanのオフィスを訪れる。ドアを開けるとすぐかなりの広さの待合室でその一部に受付用の大きなデスクと必要なの事務用品がありアシスタントが坐っている。待合室のテーブルにはパンフレットやSound maskingがお得意とみえてその切り抜きの貼ったアルバム、そしてわれわれにもおなじみのSimplification in D.Practice.が置かれている。マークされた所を開くとこのDr.の原稿と写真が載っている。self P.R.のうまい人を予想する。現れたDr.は大体想像通り小柄で頭の真中が禿げ上がったちょっとずるそうな目つきの人で、早速Sound m.に関するパンフレットを渡される。彼のオフィスは今までのものと異なって一つのO.Pがかなり広い。そして同じく広い壁面には一杯に淡い色彩の画が書かれている。その反対側の入り口に近い部分にcontor cとDentimo L型のキャビネットなどが接近して置かれている。従って画に近い方にはかなりの広さの空間がありその一つの隅に彼のデスクが置かれている。O.Pはこれ一つで暗室などを挟んでもう一つのHyg用のO.Pがあるがこれもほとんど同じ広さ空間をもっている。ここにはテレコと連動するオートスライドが椅子のすぐ横にあり、またSound m用のテープが各種並べられている。それには各種の音楽が録音されそのところどころに口腔衛生普及用のナレーションが挟まっている。Sound mの講釈をHygから一式聞かされる。アメリカではLab、Hygなどが早くいえば大変威張っている。特にHygはほとんどが自分のO.Pをもちネームプレートなどをそこに張り付けている。Dr.の治療ぶりを拝見する。L型キャビネットの一部が移動式になっていて彼はそれをすぐ横に置き椅子を水平に倒し排唾管を入れて上顎のPreparationをやっていたがなかなか具合が良さそうだ。Hygは別のO.Pに、アシスタントは受付の方にいて彼は全く1人で治療をしている。したがってDr.のまわりをC.Tray、 M.Cab、Dentimoなどがとりまいている。SuctionのMouth tipはミラーの柄の中が中空になって鏡の部分で開口しているものが使われている。面白い。Kilpatrikなどと同じグループらしいところが随所見られる。今まで見てきたものの中では最も進歩的で面白かった。
 次いで日本に交換教授として見えていたDr.Landaのオフィスに行く。大変喜ばれたが内容はご高齢の方で何もなく早々に退散。18時頃ホテルに帰りMと会いPeggyの所へ出掛ける。地下鉄に初めて乗る。ブレッソンの写真を思い出す。大変便利な乗り物で15¢で何処までも早く行けるし終夜運転だとの事だが、階段を降りて行くと鼻をつく悪臭と電車の汚さは大変なものだ。また猛烈に沢山の線があるので一寸案内者なしでは利用出来ない。Peggyのアパートは1つのフロアを3人で利用していてMのように綺麗ではないが広さも設備も充分だ。食事をしながらまた食後にも色々話す。途中から帰って来た彼女の友人が大変面白い人で結構面白かったが、会話の難しさは1対1の場合より大勢になるほど大変だ。結局ついていけず黙ってしまうことになる。いい経験だが大変くたびれた。明日はスキー場で会ったTed達がヘリコプターでN.Y見物をさせてくれるとの事で楽しみに帰る。

1月8日
 朝目を覚ますとひどいガスと雨。がっかりして何をする元気もなくなる。昼近くまで色々整理などして約束の時間にMのオフィスに行く。地下鉄で逆に3倍もの時間がかかる。ここでTomに会い食事をご馳走になり、その後彼の案内でウォール街などを歩く。忙しくなったMとは途中で別れる。雪がないのは残念だったが大変お世話になった。2時間ほどウォール街を歩きまわってTomと別れる。N.Y空中見物が流れたのは全く残念だった。M宅に帰り荷物をまとめ彼の車で清子夫人に送られて空港へ。
 飛行機は満席。ひどく窮屈だし前の中国人らしい2人連れが大変不愉快だ。スチュワーデスは頑張っているが満員になるとさすがサービス満点とはいい難くなる。7時半に出て9時着(翌日)だからかなり時間があるようでも、7時間の時差があるから2度の食事などでほとんど眠れない。隣りのスウェーデンの人と色々話しをする。ひどいなまりだが割合よく解る。スチュワーデスやスチュワードの英語も大変わかり易くかつ通じ易くなりぐっと気が楽になる。

by my-pixy | 2014-05-21 16:10