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2015年 12月 30日
テストフライト
f0103459_11403851.jpg とても画像のような感じにはなりませんでしたが、農機具エンジンの軽飛行機の後ろでバタバタやっている「グース」という映画のシーンを思い出しました。応援の親鳥たちの目の前で、しきりと羽を動かしたり走ったりしていましたから、そのうち何とかなるでしょう。言葉とイメージに橋を架けたいという思いに間違いは無かったと、ニセ親鳥はかなり満足、年末休暇の仕事は見つかりました。

by my-pixy | 2015-12-30 11:41
2015年 12月 25日
症例分析からデンチャーイメージへ
f0103459_12164153.jpg 一時、頓挫していましたが、気を持ち直してケースの差し替えなどもすませました。欠損歯列マンダラでもやもやしたイメージだったものが、実用性に向けて一歩踏み出せたと思っています。 KA367活用後の具体的指針になることを期待しています。もくあみに向けてテストフライトは3日後です。

前のものと大して変わっていないようですが1日かけていますから微妙にあちこち変わっています。
ただマイナーチェンジで直しきれない画像や文言もあちこちです。年末の大改造は必至です。

by my-pixy | 2015-12-25 15:11
2015年 12月 24日
Merry Xmas
f0103459_1158221.jpg ぐちゃぐちゃしていて何のことやらと思われるかもしれません。横に並べた欠損4段階のプレートは1987年の臨床ファイル2以来のものです。当時、かき集めたパーシャルデンチャーの100症例を見やすくするために考えました。まだEihnerの分類から抜けだし切れてはいませんでした。1行目のタイトルは正面玄関に表札ですが、イェロー文字(ブリッジとの選択、欠損の補綴、咬合の回復、犬歯の保全)などは木戸口につけるようなネームプレートでした。3行目は2000年以降になって気がついたEichnerのグループとの相関性でした。 その下の表題、片側遊離端、ブリッジタイプなどは、全く別な動機で義歯の形だけからから仕分けしたものでしたが、今回並べてみて上段との類似性が見えてきました。これぞ「機能と形だ!」と気をよくしていますが、もともと生まれ育ちは違いますからまだまだです。

by my-pixy | 2015-12-24 13:45
2015年 12月 23日
片顎3分割からオーバーデンチャーへ
f0103459_11525854.jpg1970年ペリオに苦しみながら、緩圧全盛時代に逆らってEichnerのアトラスの見よう見まねで可撤ブリッジに踏みだしました。複雑な装置には頼らず、術後の欠損額堤との対話の中で多くのことを学んで「義歯の機能と形」は一歩ずつ前進してきました。
平和な時代に恵まれて、あれほど猛威を振るっていたカリエスもペリオもいつしか収まり、方向性は少しずつ見えてきました。そのすべてはともに年を重ねてきた患者さんのお陰ですが、40才にしてブッリッジからパーシャルデンチャーへ軸足を移してきたことも、両者にとって良かった思っています。そして今もトンネルの先に見える景色を楽しみにブログを書いています。

 もちろん多くの人が無歯顎を経験するわけではありません。しかし咬合支持の低下、すれ違いなど、悪いコースに押し流されていった場合、その時々にどんな義歯の形態をイメージしつつ対応すべきかのまとめです。全体的にはブリッジに寄り添い少数歯欠損の時はコネクターや大きな床に依存せず図のような片側処理で頑張ります。しかし多数歯欠損になればコネクターの活用が避けられなくなります。

 次の曲がり角はすれ違い寸前など咬頭嵌合位が危機に瀕した時で、歯牙負担だった補綴物を義歯床依存に切り替えねばならない時です。患者さんにとっても最も辛いときで、審美性を含め固定性への執着との戦いになりますが、この段階ではもう一つのメジャーチェンジが避けられなくなります。
 支台歯、補綴歯すべての咬合面を義歯側に移すことです。支台歯部分だけを先に補綴し、残りを別途パーシャルデンチャーで補綴する2分化は通用しなくなるからです。製作時の技工的にも咬合採得などが困難ですし追加処置もむずかしくなるからです。コーノスが使われている多くのケースで、それが無難に行っているのは咬合力が弱い場合だけです。それ以外は支台歯と補綴歯の段差拡大などで再製や困難な修理を強いられています。残った残存歯はこれまで通りの内外冠で可撤部を安定させることはできます。しかし変化のつけとして生じてくる咬合の変化は、義歯の人工歯に逃がすオーバーデンチャー型への転換が必要なのです。人工歯の咬合調整量は大きくなっても義歯全体の動揺は極力抑えるべきです。それが顎堤の変化量のバロメータだからです。咬合崩壊症例などを含め、この段階では頼るべきは欠損顎堤で少数の残存歯は感覚的には役立ってもSuportの主役ではないのです。

by my-pixy | 2015-12-23 16:11
2015年 12月 19日
全力投球からの曲がり角・2
f0103459_12575559.jpgf0103459_11122866.jpg 待ちかねていた矯正治療が終わりボールはこちらに回ってきた。これから始まる全顎処置の各ステップはこの日を待ってすべて確認済みだったが、気負いとの背中合わせだったことは否定できない。なかでも全顎印象はスタートの山場と予測していたが、28本の印象には同じ数のTEKの脱着と有髄歯の浸麻が必要で、それを含めてすべての処置を時間内に完了することがこれほど厳しいとは予想していなかった。すべては日常行っていることと何も違わないし、チームワークも申し分なかったが「数の重圧」はそれを上回った。
何とか終わらせたものの何度印象を見直しても、これで物語を始める気にはなれなかった。半日をかけた印象は次の個歯トレー用の印象にしかならなかった。40年以上の年月が過ぎてもこの日の落胆は決して忘れられない。
 なぜこんな話をもちだしたかというと、来年予定されているエントリー10症例はペリオによる欠損があっても10〜20歯が残っている。どんな設計になるにせよその大半は要補綴歯である。しかし、その中にはKA367で小文字で表記されたグレーな歯が多く含まれている。保存か抜歯かも決まらないものまで引き連れて旅に出ようというのだ。さらに咬合が低下したケースやプロビジョナルもあやふやで慌てて出掛けようとしても楽しい旅になるはずがない。いつ雪が降ってもおかしくない時期にスニーカーで登山しようというのに似ている。古いと言われても、われわれは予後がほぼ確定できるか、術後の対応がはっきりしない限り補綴設計はできない。それまでは暫間固定でいくしかないと考えている。

by my-pixy | 2015-12-19 11:15
2015年 12月 18日
歯の絵が描けない歯科医
f0103459_8473688.jpg 幼稚園の頃には図画の時間に表彰されたりしたこともありました。しかし小学校に通う間にそんなことは二度と無くなりました。きっと軍国教育がそうした芽を摘んでしまったのでしょう。
大人になってからも旅先でスケッチができる人がどんなに羨ましかったか分かりません。しかしトライと失望をくり返す中に夢は消え、写真への傾斜を強めて行きました。スライドでプレゼンをするようになってからも、タイトルや説明にイラストは必要でした。出版社の人たちから紹介してもらったりもしましたが所詮他人頼みで、思いやイメージはあってもそれを絵に描けないジレンマは続きます。イラストレータというソフトを使っても自由な曲線を描けないところでストップしPhotoshopにのめり込むだけでした。
 ある歯科大学の技工部の先生に「補綴医局員が義歯の設計だといって、作業模型に鉛筆で落書きをしていくので困る。」といわれたことがありました。ひどく耳の痛い一言でずっと忘れられませんでした。今も金属床の外形を描こうとすると線は二重三重になってしまいます。鋳造冠のワックスアップやジャケットクラウンの陶材築盛は歯科医入門の第一歩だったのに線を描く才能は蘇りませんでした。昨日のクリスマスプレゼントもそうした悲哀の蓄積ですが、絵の描けない歯科医がCADで「変身」できるとは思えません。

by my-pixy | 2015-12-18 08:16
2015年 12月 17日
全顎補綴・調節性咬合器からの撤退
f0103459_11332955.jpg1960年代は下の図の6番にたどり着くことを最終目標に多くの懸案を処理することに総力を挙げていました。しかしその結果は余りに無残でした。(臨床ファイル1)術後20年はフォローしましたが1991年をもって終了にしました。最大の問題は結婚後のプラークコントロールの崩壊でしたが、その他技術的にも多くの問題が明らかになり、システム変換を迫られました。
最大の問題だった全調節性咬合器使用の意義もはっきりさせることはできませんでした。その原因はあまりに多くのことを一気に進行させることの無理で、6の方法で行き詰まって2.や3.に後退してからは無難な結果を残せるようになりました。 ただ1970年代後半からはよりニーズが高かったパーシャルデンチャーに目標が転換され、咬合再構成の必然性はその局面の中で再検討されることになりました。パントグラフを使った運動経路の再現などよりも、クラスプをテレスコープに変えたリジットなパーシャルデンチャーが中心課題になりました。咬合面がすべて可撤部分に持ってこられる可撤ブリッジの方が、トータルで見て臨床的には魅力でた。もちろんクラスプデンチャーから可撤ブリッジへの転身も未知なことばかりで、紆余曲折も絶えませんでしたが、すべてが患者さんのニーズから発してもとに戻っていくという中で、難解な咬合についての葛藤も書籍を抜け出して身近なものになったと思います。

by my-pixy | 2015-12-17 12:38
2015年 12月 16日
テレスコープに生きる
f0103459_11132482.jpg今朝、ブログのレポートを見ると2006年のSBRがトップに踊り出しています。好きな画像ですがオリジナリティにかけるので作ったのがこちらです。近年は禁煙!禁煙!とうるさいので、出番が少なくなっていますが本人は今も変わりなしです。柱を入れ替えたのが右ですが面白みには欠けます。禁煙するとこうなるのです。
もう一つさまざまなパーシャルデンチャーを並べた画像も、再三臨床ファイルに掲載しましたが、ブリッジ、バー、プレート3つのタイプの何れを見ても支台装置はテレスコープばかり。時に登城するのはシングラムレストと線鉤、自称テレスプだけで、もう何十年もテレスコープに生きてきたのです。もっと早くにテレスコープ・デンティスト宣言をすべきでした。私に楯突くなら、双歯鉤、間接維持措置、アイバーなどといえば良いのです。
1.エーカース鉤のアームの太さについては詳細な記載がありましたが、レストの厚みなどについてはさっぱりです。維持装置だから引っかける維持力は大切だが、支持なんか大したことではないということでしょう。しかし エーカース鉤で壊れるのは咬耗によるレストの消失がNo1です。
2.テレスコープにして支台装置を強化すると外冠からのマイナーコネクターが破折します。クラスプをまねて脚を作っただけですから当然です。少々強化してもダメで二重構造(?)にします。
3.今度は脚周辺のレジンが割れます。欠損第1歯目をブリッジのポンティックのようにしてそこから脚を伸ばし一件落着ですが、67欠損なら2歯を金属咬合面にして粘膜面はメタルレスにした方が、強度も稼げレジンの破折もなくなります。
4.こんな対策がとれず咬めば頬側の2腕が開いてしまう双歯鉤なんて・・・・

by my-pixy | 2015-12-16 08:36
2015年 12月 15日
戦後70年
f0103459_105830100.jpg今年は戦後70年ということでか、第一次世界戦争に明け暮れた今世紀の記録映像などが放映された。遅れること30年とはいってもその始まりの方も想像できないでもない。さらに今回のようなテーマを考えていくと100年はそう遠い昔ではなく、駆け出しの頃イロハを教えて頂いた先生方は1920年時点で活躍されていた。特に戦争で分断された20世紀は20年遅れで考えてみると完全に私の時代になってくる。前回東京オリンピックが何を考えるにも起点になるが、最初のスタートラインになるGnathologyは1920年頃と言われている。このラインから飛び出すことに熱中していた自分たちの視点でものを見ていくと、昨日の画像もずいぶん身近なものに書き換えられる。
何といっても歯科疾患自体ではなくその週末処理を受け持つ補綴領域が、今で考えれば技工的な手技を追って先行していたことは間違いない。Gnathologyも総義歯の咬合確立を目指していたとのこと、当時の最先端の歯科医自体が無歯顎の悩みを抱えていらしたことからも、その必然性は明らかである。
 歯周病領域となるとわれわれでも目を背けたくない状態が延々と続いていた。転機が到来したのは独自の道を歩まれていた片山先生のカリスマ性に朝日新聞が洗脳されたり(1977.歯科110番事件後)Goldmanが来日した1980年以降のことだ。1979年、初めてシアトルのAAPに参加したり、臨床歯科を臨床歯科を語る会、歯周病談話会がスタートしたのも1981年のことである。
学会らしい静かな雰囲気だったAAPが、2000年のホノルルでは商業主義の館に豹変していた。

by my-pixy | 2015-12-15 13:03
2015年 12月 14日
一次固定と二次固定
f0103459_10523737.jpg 来年の企画をめぐってテーマに使う用語で迷っています。ことの始まりは歯周病を背景にした欠損補綴の手法として、残存歯に固定する方法をとるか、パーシャルデンチャーを利用して可撤性にするかという問題なのですが、こんなとき2人寄れば呼び名はそれぞれ違います。
 初めはその歯科医の年令か、出身校か、得意科目かなどと考えていましたが、どうやらそんな単純なことではなさそうです。問題は対象領域が補綴と歯周治療の領域にまたがっていること、それぞれの分野でのドメスティック、インターナショナルな歴史的推移なども絡んでいるらしいことが分かってきました。考え出すとこの文章を書くことさえ困難になります。
 昔のことですが補綴学会の理事会で「補綴」という言葉は一般の人になじみがないから、改名すべきだという提案が持ち上がりましたが、結局、審議らしい審議も行われないままお蔵入りになりました。その後歯科大学の教室名の変遷を見ても名前を変えることの難しさはよく分かります。
  個人的には書名として使わざるをえなかった「パーシャルデンチャー」という文字数の多さには生涯、悩まされました。それでも今回もあちこちできっと話題になりますから、事前に砂を吐かせておいたほうが良さそうです。2つの分野にまたがるのでそのそれぞれで2分されますが、その時々の時代背景や、有名学者や研究者、そして歯槽膿漏から歯周病への呼称の変化も無視できません。それぞれ自分の所属には美しい名称をつけたがります。「歯周補綴」などは大風呂敷の象徴でしょうが、今回演題のタイトルの原点となれば「暫間固定と永久固定」でしょう。暫間、永久に数字が入れられるかどうか、修理、改造、再製などをどう評価するかということと、目的は固定なのかには疑問が残ります。

by my-pixy | 2015-12-14 07:44