2006年 08月 22日
月光浴
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 朝、机の上に写真展の招待券がのっていました。メモでは先週末カメラマンの稲田さんが下さったとのことです。以前「こだわりの部屋」にぐい呑みの連載をして頂いた方です。月光浴の意味はよく分かりませんでしたが、月光写真展で少し見えてきました。

 珍しく残業のない技工室をさそって大丸12階まで出かけました。入り口を一歩入ると、足下を照らすライトがほしいような暗さに戸惑いました。始めは大きなフィルムにプリントした作品に、バックライトが当てられているのかと思いましたが、半分以上見終わってからプリントにスッポットライトが当てられているのだと分かりました。この頃になっても明るさには順応できず、ディスプレーの砂の山をけとばしたりしていました。

「満月のわずかな光だけで写真撮影し、独自の世界を創り続ける石川賢治」という解説を見たのは展覧会の帰り道のことで、不思議な空間に繰り広げられる120点の作品に圧倒されていました。ライオンやイグアナもいましたが大半は海やヒマラヤや岩など不思議な対象です。石器時代に迷い込んだような光景が、人工的な照明がないところでなければ撮影対象にならないからだ、と気づくまでにちょっと時間がかかりました。
 バオバブの写真では、おなじみのスポットに再会でき、又いきたいなー!と思いながら帰ってきましたが、実はこれらの写真を撮れる日は、好天に恵まれても満月前後の月に3日しかないという話を聞き、またまたプロのすごさに脱帽しました。

# by my-pixy | 2006-08-22 11:03
2006年 08月 16日
今年の夏休み
 今年の夏休みは30数年をタイムスリップしながらの3泊旅行でした。何度か書いていますので、ご存じの方も多いかも知れませんが、われわれのヨットライフの中心になってきたのが「わだつみ」で、この艇とのつながりで多くの方々とお付き合いをしてきました。私も40台前半でしたし多くのメンバーは20才そこそこでした。
  
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 われわれの手を離れて20年以上が過ぎ、志摩ヨットクラブで朽ちかけていた「わだつみ」を、ヨットのヨの字も知らなかった新たな40台が引き受け手になって復活させてくれました。その中核になったのは初代のメンバーの菅井氏です。彼は「わだつみ」のあとハワイでのケンウッドカップ、メルボルン大阪のダブルハンド優勝など数々の実績を上げ、現在は海遊人マリーナのハーバー・マスターをつとめながら長期クルージングの機会をうかがっています。今回はやはり70年代のクルーメンバーだった2名を加えての夏休みでした。
 回想シーンが入ったりして分かりにくいところもあるかも知れませんが、楽しかった3日間のおすそ分けです。
 
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# by my-pixy | 2006-08-16 11:54
2006年 08月 08日
空を飛びたい
 自分たちの艇でクルージングしていた頃、沖にアンカーリングしてよくやる遊びがスピンネーカー・フライングでした。追い風の時に使う一番大きなセールをマストトップまで上げ、セールの下にわたしたロープに腰掛けたりぶらさがったりして、風に吹かれてブランコのように遊ぶだけの他愛のないことなのですが、風が変わると右に左に大きくふれ回りますから、見ている方もなかなか楽しめるのです。乗り降りやコントロールのために別に一本ロープはとっているのですが、人と次第によってはいくら泣きわめいても下ろしてもらえず、飛び降りる以外になくなるのです。この時の落ち方がまたビールのつまみになるというわけです。
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 最初にこの遊びを眼にしたとき、早速少し離れたところにきて真似をしてみました。しかし乗り手はマストからだらりとぶら下がるだけで艇の外にも出られないのです。風の強い日にも試してみましたがやっぱりだめ。当時のわれわれの艇のセール面積では無理だということが分かりました。24フィートから31フィートにサイズアップしてからも、ようやく足が水面を離れるかどうか、フライイングにはなりません。数年後38フィートになってようやく空を飛べるようになりました。
 これまでのコンプレックスを取り返すべく、小型艇の集まっているところにすり寄っては歓声を挙げて優越感にひたりましたが、本当はまだちょっと大きさが足りなかったのです。気持ちよく飛び回れるのは小柄なクルーメンバーだけで、70キロクラスが空を飛ぶには40フィートが必要だったようです。
来週は志摩でなつかしいこの艇と再会しますが、頼もしい新オーナーグループがスピンネーカーに手を出せるかどうか、それが問題です。

# by my-pixy | 2006-08-08 13:46
2006年 08月 07日
なぜか嬉しくて
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 屋根に登ってハイになったわけではないのですが、久しぶりのドライブをしてきた愛車にハイビスカスを飾って記念写真。そして今朝嬉しいニュースです。白い車体に日の丸をつけたリッチー・ギンサーの乗ったホンダF1が優勝してから、39年になるといいますがあのときの感動がよみがえってきます。さまざまなメーカーと組んでの参戦から、単独チームになっての勝利だけにうれしさも一入でしょう。40年もの間、負けても負けても挑戦を続けるひたむきさはどこからくるのでしょう。その現場にいらした福田現社長もすばらしい「宗一郎イズム」の方なのだろうと感じました。
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 わがホンダ軍団は、同じ14年目に芝刈り機がグリーンから赤に代わりましたが、10年をこえたアルミボディはいたって健在、ドライバーなりの走る楽しさを与え続けてくれています。

# by my-pixy | 2006-08-07 09:45
2006年 08月 06日
プアマンズ空撮
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 ビールを飲みながら、日常生活の中でどうしたら視点を変えた写真が撮れるかと考えていました。ヨットならマストをすぐ思い浮かべますが、体力勝負ですしあちこち動くというわけにもいきません。
そういえば自分の家の屋根に上ったことがないな!と気がつきました。建前から屋根の吹き替えまで何度かチャンスがあったのですが、大工さん達に混じって梯子を登る勇気がなかったのです。朝はカラスの運動場になっているくらいで、雪国の建物のような傾斜もありません。それでも手すりなしで下が傾斜しているのは気乗りがしなかったのです。
 f0103459_1740593.jpgベランダや2階の窓からでも景色は変わりますから、明日こそはと心に決めました。庭仕事をしている間に屋根はカンカンに暑くなってしまい、ようやく4時頃になってスニーカーと作業ズボンで身を固めそろそろと登り始めました。梯子をはなれ手のホールドがなくなる時は大いに勇気がいりました。
 端から見ていたらとんでもない姿だろうなと思いながらも、広角レンズも持ち込んで海側の端をを尺取り虫のように歩いてきました。風もなかったのですが弱った足腰だけのホールドは思い出しても気持ちは良くありませんでした。今度はロープかけです。それでも眺めは抜群、初めてのシーンを何枚かゲットしました。

# by my-pixy | 2006-08-06 17:37
2006年 08月 04日
上顎の前歯部ブリッジ 2   Case 9
 長期的に通院されている患者さんですが、歯周病の進行を止められず大臼歯の支持はほとんどなくなってしまいましたが、咬合力はそれほど強くないらしく薄氷を踏むような状態が続いています。
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2001年上顎中切歯を喪失しましたが、大きな補綴処置にはしたくないのでこの部分だけの3歯ブリッジを考えました。唇側のエナメルを保存するために舌面板を支台装置にすることは決めていました。Case 8のトラブルはまだ経験していませんでしたが、メタルの方が無難ではあることは分かっていました。ただCase 4の記憶もあり、クリアランスには余裕があるので、エンプレス2のコア材を厚めにすれば可能なのではないかと考えました。
 撤去のことはかなり意識していましたので、接着頼みで長いポストなどは使用しませんでした。インセラムに較べれば弱体なエンプレス2ですがこの条件なら耐えられるのではないかという想定でした。
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 しかし期待は脆くも破れ、2年弱で21の連結部にクラックが入りました。破断面で引っかかっているらしく、この時点で患者さんからの訴えはありませんでしたが、実験は完全に失敗です。インセラムよりは楽でしたが接着状態は良く(時系列にはこの撤去の方が先)歯質とエンプレスの識別は困難でした。
 Case 4に較べれば、コア材の強度は2倍近いにもかかわらず短期間で破折したことは、僅かながらこちらの方が支台歯の動揺があることと、上下顎の違いと考えられました。

# by my-pixy | 2006-08-04 11:20
2006年 08月 03日
上顎の前歯部ブリッジ  Case 8
 前回上顎前歯部のオールセラミックス・ブリッジについて少しお話ししましたが、その代表例を提示します。1990年頃からオールセラミックスによる修復を始めるようになりました。古い歴史のあるポーセレン・ジャケットクラウンの延長線上に将来性を予感したからですが、現実はそう甘くはありませんでした。オリンパスOCCに代表される新素材はトラブルだけを撒き散らかして数年にして全面撤退しましたが、残された患者さんをかかえたわれわれは、その後始末に10年以上の年月を要しました。
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まだその痛みも消えない頃ですが、オールセラミックスの夢は捨てられずに、次の挑戦を始めていました。インセラムを開発したマイケル・サドゥーンという人をパリで紹介されたことが始まりで、その研究室や専属のラボに出入りしていました。(1〜3)後にシステムはビタ社に売却されるのですが、この時はさまざまな試作品がテストされていました。
 日本に導入されたのは1995年頃のことで、私の第1症例は上顎123の1歯欠損のブリッジでした。(4)このブリッジは10年をこえ現在も使われています。
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 ところが2年後の211のブリッジには想像もしなかったトラブルが起こりました。1950年生の女性で、メタルボンド・ブリッジの色調に対する不満が主訴でした。両側支台歯とも有髄歯でオールセラミックスに打ってつけの条件でした。1998年3月に処置が終わり十分満足していただいていましたが、6年後の2004年7月破折を訴えて来院されました。

 前歯部の一歯欠損は適応症といわれていましたし、数少ないものの前例もあって安心していたのでショックは隠せませんでした。撤去が困難になることは分かっていましたので、午後からの数時間をあけてスタートしました。メタルよりはるかに固いインセラムのコア材は、唇側にスリットを入れるだけでも容易ではありませんでした。支台歯を傷つけないよう舌側までスリットを入れてもメタルのように開いてはくれず、さらに細分化してほとんど削り落とすような状況になりました。
 事件は最後に起こりました。中切歯切端分の1/4ほどを剥離しようとしていたときです。小さな音とともに何かが外れました。そこには血が凍るような光景がありました。コア剤とともに近心隅角部の歯質が欠け、髄角から出血しているのです。長い開業医生活ですがこれ以上のショックはありませんでした。近くの方でしたら覆髄も考えられるのですが、新幹線で通院されることや露出部の大きさも考えると抜髄止むなしと判断しました。
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ブリッジにオールセラミックスを使ったこと、安全度を見るつもりで接着を使ったことが致命傷を呼び込むことになりました。この日のことを思い出すと、今後、ジルコニアなどを使ってさらに強度をあげようとは思いません。
 オールセラミックスは単冠で小臼歯止まり。それ以外はメタルボンドに戻しました。唯一の例外は下顎前歯ということが今の結論です。このことを補足する症例を次回に提示します。

# by my-pixy | 2006-08-03 15:58
2006年 08月 01日
8月 ボラボラ 93
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 珊瑚礁をバックに移り変わるエメラルドの海を求めて南の島に出かけるのですが、ヨットから見る景色は一線で交わる海の青と空の青でしかありません。いくら爽快だ!美しい!といっても現場にいなかった人にその美しさは伝わりません。ロマンティクな水上コテージだって、水面から見ればお粗末な建て売り長屋です。
 1週間のクルージングでも写真撮影でもっとも歩止まりがよいのは、たった10分間のヘリの遊覧飛行なのです。名人望月さんでも、空撮と脚立を取り上げられたらかなり苦しまれるでしょう。

# by my-pixy | 2006-08-01 00:10
2006年 07月 27日
下顎の前歯  4     Case 7
少しお休みしていましたが下顎前歯の話題です。これまでの3ケースで、下顎前歯部はあまり大きな力を受けることもなく、上顎前歯に較べると力の方向も有利なことが、好結果につながったと推測されます。f0103459_1910620.jpg  今回のケースも下顎前歯の補綴物の経過ですが条件は大分異なります。1925年生まれの男性で現在81才です。臼歯部咬合支持はなく、このブリッジが上顎のブリッジと対向しています。術前の状態も厳しかったのですが、ちょうどエンプレス2が使える状態になったところだったので、テストケースの了解を得て4支台6前歯のブリッジを装着しました。

 これまでのケースと較べると経過は短いのですが、6年の間に右下の4が失われ、3は鉤歯にもなっていますが問題は起こっていません。この後に処置した上顎1歯欠損のブリッジで(エンプレス2、インセラム)破折が生じたことと較べると、やはり何かが違うことは明らかです。オールセラミックスのブリッジは総数10ケース以下で、このケース以外すべて上顎の1歯欠損ですが、4ケースに破折が起きています。
f0103459_19234193.jpg幻の戦艦大和も(オールセラミックスのブリッジ)建造はしましたが進水は思いとどまりました。このとき考えた推論は「セラミックスは圧縮には強いが引っ張りには弱い。一方、下顎前歯の補綴物には圧縮が、上顎前歯には引っ張りが働く。」ということでした。

# by my-pixy | 2006-07-27 19:15
2006年 07月 26日
次の弟分はD80?
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 ショ−トリリーフだったD100をはさんで、2004年3月以来まがりなりにもD1Xの後を担ってきたD70ですが、後継機にバトンタッチの時期が来ました。次の機種名の公表はありませんが、私はD80以外にあり得ないと思っています。発表は8月9日ですがメガピクセル機で激戦の最中への登場ですから、好評のD200の弟分としてふさわしいスペックになるはずです。発売は9月に入ってからのことになるでしょうが、暫くはD200一台で頑張ってもらってD70はオークションに旅立つことにしました。

 D100、D70とも、D1、D1Xの栄光はかなぐり捨てて、ニコン再建の矢面に立ってきました。安普請は目に余るものがありましたが、後手に回ったデジタル一眼の普及機として善戦敢闘、特にD70は良くやってきたと思います。そのけなげな働きがなければニコンの再起はなかったでしょう。特筆大書すべきは機敏な動作と省エネ設計にあったと思います。大きな飛躍を遂げてニコンらしいカメラに返り咲いたD200ですが、省電力という点だけはD70に遠く及びません。バッテリーは小さくなりましたが、大食漢の血筋はD1Xから引き継いでしまったようです。

 二桁数字のD80(?)は、貧乏所帯で頑張ったD70のつましさを思い出して、誕生して欲しいものです。デジタル一眼はAPSCでフルサイズ化は目指さないことを決断したニコンは、その枠の中での設計に徹するでしょうから、10万円以下で兄貴を脅かす内容が期待できそうです。発表までは量販店でも予約は受けてくれませんが、オークション資金を手に発売日にはレポートします。

# by my-pixy | 2006-07-26 18:39
2006年 07月 25日
うぐいすとキノコ
 今朝、新潟のお友達からキノコが届きました。タラの芽などでもご紹介した山の達人です。手紙が添えられていましたのでご紹介します。
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 「来る日も来る日も雨また雨。こんな梅雨は生まれて初めてです。そんななか妻が長年飼っていたウグイスを自然に帰してやりたいというので、山へ行ってきました。・・・・・・残念ながらウグイスはよく飛ぶこともできず、放しても生きてはいかれないと判断したので、また籠に入れて連れ帰りましたが、思いもかけずアンズタケがたくさん出ていましたので採ってきました。傘の赤いのは玉子テングタケです。シーザーが好んだと伝えられています。オムレツに入れて色を楽しむのもよいかと思います。」

 キノコ博士とも言われて、地元でもみんなが問い合わせに来るような人です。間違いなどあろうはずはないのですが、華やかな赤に目をとめたスタッフが玉子テングタケと聞いてチェックを入れてきました。ネットで調べても紅テングダケとともに猛毒だというのです。どうやらテングは悪者のようです。手紙にはたしかに「玉子テングタケ」と書いてあるので、念のためそれとなく電話をしてみました。

  No problemとは言われませんでしたが、馬鹿なことをとばかりアハハと笑うだけで取り合ってももらえません。どうやらご本人はすべて実物勝負で、毒キノコなど目にもかけていないからのようです。話しているうちに玉子タケ、玉子タケになってしまいました。たしかに赤とはいっても美味しそうな赤で毒々しい感じはまったくありません。シーザーもキノコで暗殺されたわけではなさそうですし安心してご馳走になります。

# by my-pixy | 2006-07-25 17:17
2006年 07月 24日
雨の海の日
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 通常ならば海の日の頃には梅雨も明け、夏の日差しが溢れているはずなのですが、春先からの異常気象は一向に回復せず、1年前から計画していた夏の合宿も真っ向からその影響を受けました。青い海を見ながら芝生でバーベキューの予定が、ベランダにキャンバスをかけて!!に大変更、ずぶぬれの作業になりました。(1)
 2日目は幸運にも僅かな晴れ間に恵まれました。(2〜4)曇天で海が青くないなどと文句をいいっているヤツもいましたが、僅かに陽が差してくれただけで感謝々々でした。余興と言うにはちょっとお粗末な気合い入れも(4)飛び出したりして大いに盛り上がりました。
 平均年齢30才という若い集団はきびきびした動きが気持ち良く、このところ体感しない2日間でした。ただプレゼンとなると元気余って、ショッキング・イエロー、エキサイティング・バイオレットなどのオンパレードに目が痛くなりました。使う方も使う方ですが、ああいうテンプレートはキーノートにはないはずです。

# by my-pixy | 2006-07-24 15:10
2006年 07月 19日
X線投影装置 からす
語る会、基本ゼミでお疲れだったこともありますが、M社製「2本の角」の正体暴露作戦も多忙だったのです。
f0103459_8574265.jpg 1. 正面観での上唇の影は「つの」でも同じ事ですから、これは問題にしないで口腔内や技工物の撮影に使えるかどうかがスタートです。あまり知的なテストではないので下請けに依頼しました。もちろん一眼レフでの撮影はマスターしている人間です。しかしウスノロ・オートフォーカスに翻弄されただけですぐに放り出されてしまいました。f0103459_858016.jpg

2.この種のカメラのオートフォーカスにはいつも手を焼いていますから、私自身はこの段階では手は出しませんでしたが、投資家としてはこのまま「やっぱり!」でお蔵入りにすることはできません。簡単な動画に使えることは分かりましたが、これでは投資額に見合いません。

3 .接写には強そうなので、エルモ後継X線投影装置への活用を考え始めました。(06.4.電子手鏡)昔なにかに使ったガラクタの発掘から突破口が開けました。フードを介してアクリルのブロックに取り付けると、2センチ程度の接写距離に固定されます。一眼レフとアクリルチューブを組み合わせていたのと同じ手法ですが、カメラが軽いので小型、安定性は抜群です。背面モニターを開くと羽を拡げたカラスのような形でバランスは一段と良くなります。

4.一眼レフではないので撮影しないでも画像はテレビに投影できます。ウスノロ・オートフォーカスと付き合う法も見つけましたし、画像の濃淡は露出補正で変えられます。ビニールカバーの反射もカットできるので、昔のX線フィルムにも手軽に使えて、すべての点でエルモ資料提示装置を超えました。

新種「つの昆虫」退治や、板の間稼ぎカメラにイライラされている方には、せめてものプレゼントです。アクリルブロック開発予定はありませんが、1.フードを介してアクリル板に固定する。2.トレーレジンでブロックを作る。3.ミニ三脚を利用するなどそれぞれの条件に合わせた活用法が考えられるでしょう。

# by my-pixy | 2006-07-19 18:09
2006年 07月 13日
板の間稼ぎ
f0103459_1035673.jpg 先週の臨床歯科を語る会の器材展示コーナーで見慣れぬカメラを目にしました。小型デジカメの内蔵ストロボ光を、アクリルの棒でレンズわきに引いてくるものです。同じような試みは個人的に行われていますが、歯科用CTまで開発している大メーカーが、Mブランドで売出したことがトピックです。これでY.S.G.M歯科界4大メーカーの「板の間稼ぎカメラ」が出揃いました。(Gだげは極限的な外部圧力をかけてつぶしました。)
 太いアクリルの棒を屈曲するのは苦労したらしくレンズの横まで届いていません。さらに左右の屈曲はばらばらで技工室で直して上げたいような代物です。カタログ画像でも上唇の影がはっきり写っていますから、大半のストロボ光はカメラ本体のところで漏れているのでしょう。二本の角はなんの角・・・・と童謡になりそうです。    
 ただカシオのデジカメ自体はまんざらでもなさそうなので、今週になって調べてみました。Exlim EX-P505という機種ですがすでに製造中止。量販店、ネット通販いずれもほとんど見当たりません。ビッグカメラもすでにメーカーに返品済みとのことでした。(返品はつぶしか歯科用かこれも問題です。)そうなるとちょっと悪戯したくなります。

 何かちょっと気になる形だったのですが謎はすぐ解けました。あまり実用にはならなかったのですが愛玩用としては最高だったPentax 110と何となく似ているのです。もちろんこちらはメタルボディ、レンズ交換型の本格的一眼レフですが。
 横浜ビッグカメラ・パソコン店の店頭セールに数台残っていると聞き遠征してきました。素人細工のM社OEM 89000円はとんでもありませんが、1万7000円なら何かに使えます。
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# by my-pixy | 2006-07-13 10:39
2006年 07月 12日
抄録
f0103459_15525911.jpg f0103459_1637938.jpgブログのことを考えるうちに20年ほど昔のことを思い出しました。ケースプレは今も昔も大差はないのですが、当時も主旨の分からない発表や、だらだらしたプレゼンには悩んでいました。槍玉に挙がったのが臨床歯科を語る会で、何とかもう少し内容をきちんとした形にしたいということで、抄録のフォーマットを決めました。スタディグループでテストして実行に入りましたが、キーワードと結論で何かを言いたいのかをはっきりさせることと、英文タイトルをつけることで長々しい演題を規制しようとしたのです。

 フォーマットは今も生き残りほかの会でも使用されいますが、当初の目的は必ずしも達成されていません。キーワードの目指したものは、ブログのカテゴリーやタグと同じなのですが、主旨が伝わらずタイトルより広範なものが少なくありませんでした。英文タイトルの方も本人が翻訳できずに、日本語を再考するところへは追い込めませんでした。

 2枚目の表は2006年の分科会の17名の演題ですが、全体的には長すぎるものが多数を占め、症例という言葉が20回も繰り返されています。タイトルですからキーワードとは違いますが大きすぎる演題も気になりました。

# by my-pixy | 2006-07-12 16:38
2006年 07月 10日
なまえ
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「亀の甲より年の功」で会の命名などをよく依頼されます。自分たちで考えた方が良いに決まっているのですが、仲間内では最終決定がむずかしいからでしょう。
 私たちのスタディグループも長いこと無名のままでした。ほんの一時在籍した同級生が誰も賛成しないのに一人で勝手に決めてしまって、代案がないうちに居着いてしまいました。
 スタディグループの母体になっていたスキー仲間では、何度も相談して「シコレン」という名に決まりました。お世話になっていた弘前のスキーグループが、千回転べばスキーも上手くなるということで「コロセン」という名前でした。そこの名人達に「お前らのスキーはしこっているナー」とよく言われたものです。「しこっている」はぎこちないとかギクシャクしているというようなことのようでした。子供の頃から下駄っこ(弘前辨では何にでも「こ」がつく)のようにスキーをはいてる人と同じにはなりっこない!と開き直って「しこった連中」「シコレン」は誕生しました。

 ここらまでは慎重審議した方ですが、最近はかなり無責任になってきました。「新潟デルタ」「ゲッポ」などは飲み会の会話の中から、「とんぼ」「ボーフラ」は水生昆虫が空を飛ぶようになる成長過程からでしたが、だんだん虫も少なくなると「ミジンコ組」「ありじごく」と無責任ぶりも著しくなります。お祝儀袋に「ミジンコ組」じゃ困るとなると、中部歯科臨床研究会「ミジンコ組」と書けばよいと、訳が分からなくなってきます。

 ヨットの名前も「カティサーク」「こぶし」「波勝」「わだつみ」「ゴブリン」とまったく節操ありませんでした。「臨床歯科を語る会」は26年前の大まじめでの命名でしたが、今年の席上、またご依頼を頂きました。ただし今度は注文がついて、もっと壮大な夢がある名前、例えば新撰組のようなということでしたので、浸潜組かなといったら白けてしまいました。

# by my-pixy | 2006-07-10 17:18
2006年 07月 09日
臨床歯科を語る会
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 私にとって毎年、夏最大のイベント通称「語る会」が終わりました。2日間の泊まり込みで、イチローと競っていたブログ連続アップ記録が途切れたのは残念ですが、実りはある集まりでした。
 スタディ・グループの総会を目指してきた集会で規模は大きくありませんが、大半が固定したグループとメンバーが集まるのでレベリングは保たれています。少しづつ若返っていく中でオリジナルメンバーは孤立を深めてはいるのですが、「七夕会」のニックネーム通りクラス会のような役割も果たしています。

 全員発言を悲願に26年も続けてきましたが、長老の前では発言できないムードは圧倒的です。今回は70数名の分科会でその壁に挑もうと、3時間180分で17名の発表者、一演題につき発表5分ディスカッション5分というプログラムを作りました。これだけで従来にはない発言者は確保されていますから、一演題に2〜3名が発言してくれれば目的が達成できるという皮算用です。発表者も有名、無名の差もなく、症例の経過の長短も問わず一律5分としました。中には多少オーバーする人もいましたが、続く5分のディスカッションのなかでは調整でき、小気味よい運営ができました。司会から突然指名された若手の発言もよくまとまっていて、会を盛り上げてくれました。物怖じしない若手の台頭はこれからが大いに楽しみです。

# by my-pixy | 2006-07-09 13:11
2006年 07月 07日
フィノさんの年賀状
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 キーワード3番目のフィノ氏は世界的に最も有名なヨットのデザイナーで、日本にもファンクラブがあるような方です。建築から始まって環境問題にも長年取り組まれたという多能な方です。白石さんもどうしても彼のデザインの艇に!と固執されたようでしたが、私はフランスの友人に連れられて北フランス、ブリタニーのフィノ氏の別荘に泊めて頂いたり、彼のデザインしたヨットでクルージングするという幸運に恵まれました。1987年のことです。何年か後にはティーニュのコンドミニアムを相互訪問して、スキーや夕食を楽しんだこともありましたが、ここではヨットの話に戻します。f0103459_8291789.jpg
長いこと楽しんだわれわれの「わだつみ」が進水したのは1972年のことです。それまでのヨットは細身でしたが、わだつみはタンブルフォルムという中央部が膨らんだデザインでした。風上に切り上がる性能を極限まで追及しながら、ヨットの美しさを尊重した米国ヨット界大御所のデザインでした。 その後、暫くはこの形が主流でしたが、やがてヨーロッパやニュージーランド気鋭のデザイナーが台頭してきます。

 水の抵抗を徹底的に減らすフラットな船底、薄いキール、バラスト、徹底した軽量化、太めな船尾などが特徴でした。87年に乗せて頂いたフィノ氏のボートにはそうした兆しが見えています。そして今回の白石艇は同じデザイナーながらその傾向はさらにはっきりし、タケノコのような線型になっています。わだつみと87年のアルミ艇は38フィート、白石艇は40フィートで大きな差はありませんが走りはウサギとカメでしょう。

でも、ヨットらしいラインや、木の暖かみはやっぱりクラシックボートのものです。

# by my-pixy | 2006-07-07 15:36
2006年 07月 06日
生涯素人
f0103459_18485123.jpg 私がヨットに踏みこんだのは、現在の開業場所が決まった1967年のことです。改築前の場所に戻ることが約束だったにもかかわらず、この間にビルのオーナーが関連企業に変更され、地下に押し込まれてしまいました。何か気晴らしがなければやっていられない!という思いが海への傾斜を強めることになったのです。

 しかし30代後半になってのスタートでしたから、学生時代から続けてきたスキーのような訳にはいかず、20数年後に撤退するまで終始、他力本願なスタンスから抜け出せませんでした。海外への遠征や数々の長距離レースも経験しましたが、私の役割はチーム作りとまとめ役でヨットマンとしての体力、技能ではありませんでした。
 唯一の単独航海はまだ駆け出しの頃、伊豆西海岸の松崎の近くの雲見から下田を回って小網代湾に帰ってきた時で、何も知らなかったからできた航海でした。雲見にはダイビングなどで陸から何度か通ってお友達もいましたから、松崎はなじみの場所だったのです。

 直接お会いしたことはありませんが、多田雄幸さんは松崎で個人タクシーをされていて、オケラ号というヨットと経験豊かなヨットマンとして有名でした。白石さんは18才でこの多田さんに弟子入りし、26才の時には単独無寄港世界一周を成し遂げられるのですが、多田さん以来の人脈がシングルハンド世界一周ヨットレースを支援するバックにもなったようです。

# by my-pixy | 2006-07-06 18:51
2006年 07月 05日
Spirit of Yukoh
f0103459_18134352.jpg 2〜3日前の晩、偶然シングルハンド世界一周ヨットレースのテレビ番組にぶつかりました。2002年から3年にかけて行われたレースでHP上で白石康次郞さんの活躍ぶりは垣間見ていました。

 ただ気ままに艇を走らせるだけでも大変なのに、未知の海を他の艇と競いながらの航海がどれほどのものかは想像もつきません。思わぬアクシデントでマストトップに上るといっても走りながら独力でですから、停泊時にみんなに引き上げてもらって、上で「下ろしてくれ!」と泣きわめくのとは訳が違います。

 さらにすさまじいのはその一部始終をビデオで記録し、インターネットで画像を送ってくる、小学校の子供達とメールで交信する、締め切りに追われる連載原稿を書くということですから信じられないパワーです。
 こうした冒険へのチャレンジには、多くの人や企業のサポートなしには考えられません。その見返りに多くのことが肩の上に降りかかってくるのでしょうが、マネージメントはともかく作り出していくのは一人しかいないのです。

 まったく次元の違う物語なのですが、この人の話には私にとって少なくとも三つのキーワードが出てきます。1.多田雄幸 2.西伊豆松崎 3.ジャン・マリー・フィノですが、それらについては次回のネタにします。

# by my-pixy | 2006-07-05 18:15