2006年 03月 01日
3月 サントリーニ
 1971年の写真ですからもう35年も経っているのですが、ペンタックス6×7の大判スライドのおかげで見事に蘇りました。カリブ、南太平洋と並んで世界の3最大クルージング・スポットといわれていましたが、その中で最も行きやすかったのがエーゲ海でした。この時もドイツの学会デンタルショーと半分半分で計画しましたが、日本での情報はまったくなく、アテネに入ってからあちこちの船会社を尋ね回って、1週間のクルーズを選びました。もちろん始めてのことですから見るもの聞くもの珍しく、寝る暇も惜しんで寄港地、船内を徘徊していました。
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# by my-pixy | 2006-03-01 16:51
2006年 02月 24日
たった一つの金メタル
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大会も終了直前になって荒川静香さんが金メダルをゲットしました。ご本人にとってはもとより日本チームにとってもかけがえないメダルです。深夜ではなく得意な早朝の時間帯でしたから、かぶりつきでライブを見いっていました。
 ショートプログラムで、はじけるようなコーエンの演技の前では、ベテラン2人はちょっとかすんで見えないではありませんでした。しかしフリーでは明暗は分かれました。今シーズン、ミスなし完璧の演技を憎らしいほど続けていたスルツカヤに輝きはなく、ガラスのコーエンはお伽の国に帰りました。
 女子シングルは華麗であると同時に過酷なスポーツです。ライバル2人をここへ追い込んだのは、昨年末からの荒川の靴音だったような気がします。この時点で彼女の演技はバラバラで切れも悪く、これで何とかなるだろうかという印象でした。しかし自分自身を見る目は的確で、こつこつと問題は解決されていったようです。ライバルの耳には靴音はだんだん大きくなり、ショートプログラムでは耳に響くほどになっていたのでしょう。並ばれてしまえば追われる方が辛くなるのは当然のこと。最終組がリンクに登場したときに勝負は決まっているような感じがしました。ミスを避けこれまで通り着実にやっていけば、メダルは必ず向こうからやってくるという確信が、荒川を支えているような感じがしたからです。ライバル二人はその靴音に怯え自分の音楽も聞こえなかったかもしれません。
 長野、スクオバレーでの雪辱を!という言葉は良く耳にしましたが、荒川の口からは聞かなかったように思います。8年かけて高校生が女王になった素晴らしい朝でした。
 一つ気になるのは世界最強を誇る日本チームの将来です。真央ちゃんは大本命としても、もう一人の成長株中野を今回のメンバーから外したことです。選手団全体としても、長野組がボロボロになってもしがみつかざるをえない現状を、どう考えればよいのでしょうか。選手個々の問題ではない連盟、体協などに何かがありそうです。

# by my-pixy | 2006-02-24 16:49
2006年 02月 20日
ピアノ
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f0103459_18162423.jpg 真鶴の家に小さなグランドピアノがありました。いつの日か水割り片手にみんなと談笑しながら一曲!という情景を夢見いたのです。楽器など何もいじったことはないので、現実には無理だろうとは思って自動演奏の装置もつけてありました。

 2~3回、演奏者に来てもらってミニコンサートなどということもありましたが、あまりさまにはなりませんでした。それどころかBGM的に聞くには音量が大きすぎるので、自動演奏のボリュームはいっぱいに絞って・・・ということですし、自分の練習など始めようという気もないままでした。20年近くも放りっぱなし、調律も3回だけで朽ち果てさせるのは可哀想になってきて、嫁入り先を探すことにしました。
 当院の技工およびオークション担当の萩原氏がWebでポータル・サイトにのせてくれたところ、2~3日で数カ所から見積もりが入ってきました。かなりばらつきは大きくメーカー直系のところが最低でした。もっと面倒かと思っていましたが、これで上限のところに決め引き渡し日を決めると、その前日には代金が振り込まれてきました。
 どこから出すのだろうなどという心配はよそに僅か1時間、脚を外されたピアノは空を飛んでクレーン車で旅立っていきました。 身軽になってこれでもう一度マダガスカルに行けるかどうか・・・・

# by my-pixy | 2006-02-20 16:48
2006年 02月 16日
玉砕トリノ
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 せめてこの2週間ぐらいは、ライブドアや建築偽装のニュースなしでいられるかと思いきや、天国アテネから急降下メダルなしも夢ではなくなりつつあります。勝負は時の運ともいいますから仕方ないのかもしれませんが、負け方が悪すぎます。いつもスキー場でにらみ合っているせいもありますが、日本のボーダーってあんなものなのといいたくなるような情けなさでした。
 これから浅田真央を欠くフィギュア陣が登場しますが、あまり見たいという気にはなれません。スルツカヤ、コーエンの残りに一人が入れれば上々でしょう。いろいろ問題はあるのでしょうが、その最たるものがマスコミだと思います。トリノ五輪が始まる前、栄光の長野オリンピックや今年のグランプリ・シリーズの録画をどれほど放映したでしょうか。有力選手の密着レポートも限りなく、この撮影にどれほどの時間がかかったろうとも心配になりました。あれだけちやほやされてはアスリートがタレントになっていくのもやむをえないでしょう。いざ本番、蝶よ花よの世界からいきなり勝負の場に連れ出され、金縛りになってなっているような印象を受けたのは私だけでしょうか。実力主義の欧米勢と温室育ちの日本勢の違いは予選のあるゲームで際だちました。予選は通過することが第一と確実さ優先で事を運ぶ選手達と、エンジン全開で一発勝負をかけ次々玉砕していく日本勢と違いが際だったのはハーフパイプでした。

# by my-pixy | 2006-02-16 16:46
2006年 02月 07日
トリノに思う
f0103459_1822073.jpg それにしてもこれらの街々を思い出すとき、残念に思うのは無個性な日本の都市で、その象徴が新幹線の駅舎です。世界に冠たる京都駅にしても新幹線側は日本統一規格そのものです。スキーで通い慣れた長野駅にしても、善光寺口側ぐらい残すかと思いきやオリンピックを機会に跡形なく建て替えられ、正面はエスカレータや交番、レンタカー、お土産屋などに占拠されてしまいました。効率は良くても雰囲気のあるパリのターミナルなどとはとんでもない違いです。しばしば映画の舞台にもなったヨロッパの終着駅ですが、新幹線の駅をベースにしてはどんなドラマも考えられません。それどころか居眠りして発車寸前に気がつけば、名古屋を京都と間違えることさえありそうです。

 同じようなことはスキー場でも起こります。昨年話題になったPホテル、日本中のスキー場でもあちこちで大型リゾート開発を行いました。その中の奥志賀高原、ニセコ、富良野、雫石などには何度も通ったことがありますが、ホテルを中心に和食、中華のレストランとゴンドラを配置するというスタイルはすべて共通です。奥志賀、ニセコには毎年のように出かけましたが、富良野、雫石はそれぞれ1回ずつだった思います。しかし今はそのすべての記憶がごちゃごちゃで、同行したメンバーと話しても、いつの何処のことだったかさっぱり分かりません。自分たちの記憶の衰えを棚に上げるわけではないのですが、戦前や戦後まもなく、欧米人を意識して建てられた赤倉観光ホテル、志賀高原ホテル、白馬東急ホテルなどはいずれも特色ある良いホテルでした。そしてその記憶ははっきりしていることを考えると、やはり無個性な建築の罪はありそうです。

# by my-pixy | 2006-02-07 16:44
2006年 02月 06日
トリノ・オリンピック
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今週末には第20回の冬季オリンピックが始まります。日本で行われた札幌、長野2回の大会にはそれぞれ思い出がありますが、なかでも長野オリンピックの時には、診療中にもちらほら見られるようにと、2台のハイビジョンを設置して万全の準備を整えました。ところが2度目の急性膵炎に見舞われ、皮肉にも期間中すべてを病院のベットで過ごすことなり、今なおその悔しさは忘れられません。2台のディスプレーはその後、環境ビデオ、患者提示用として働いてはくれましたが辛い思い出です。

 今回の会場となるトリノは、その南側になるニース、カンヌ、ジェノバや、北側になるシャモ二、バルディゼールなどを何度も訪れ、ミラノからスイスやオーストリアへのルートとしても、すぐ横をたびたび通過しながら立ち寄ったことがないのです。フェラーリ、マセラティの本拠でもあり、ピニンファリナのデザイン工房の所在地でもあったのに!と、トリノの紹介番組を見ながら悔しがっています。
 工場見学といった気はないのですが、毎月行われているという公道上のレースや、それに熱中する土地柄には大いに興味があります。また街の内側から北のアルプス南のリビエラという、たぐいまれな自然環境を体感してみたかったのです。

# by my-pixy | 2006-02-06 16:43
2006年 02月 02日
撮影地
  憑かれたようにシャッターを切りまくって1ヶ月、だんだん元の生活にもどりつつありますが、一方では「夢よもう一度」という気分も消えてはいません。写真を撮るという動機には、前回も書いたような観察的なものもありますが、やはりびっくりするような感動の方がインパクトが強いに決まっています。
 1964年の海外渡航自由化以降、なけなしの小遣いをかき集めてはヨーロッパを歩き回ってきたのは、国内旅行では味わえない景観や異文化との遭遇があったからです。といっても初めのうちは何年かに一度が精一杯で、1年に複数回になるのは80年代以降のことです。中心部のドイツ、フランスなどを皮切りに一つずつ目的地を絞り、北欧やイタリー、ギリシャ、スペインなどに日数をかけるようになりました。ジブラルタルでは、すぐ対岸はアフリカというところまで接近しながら、足を踏み入れる勇気はありませんでした。植民地問題などもあるのですが、あの強烈な音楽や色彩などに出会うことに、得体の知れぬ怖さを感じていたからです。
f0103459_115923100.jpg 同じような怖さはネパールの帰途に立ち寄ったインドでも感じました。長い間あこがれの山々だったヨーロッパ・アルプスが、ヒマラヤを見た後は急に箱庭のように萎んでしまったのです。衝撃はそれで十分でガンジス、ベラナシなどを受け止める余裕はとてもありませんでした。
 いま行ってみたいと所といえばアフリカか南米です。しかしどちらも遠く大きく強敵で、時すでに遅しの感は否めません。手近なところではパプアニューギニアなどですが、何となくバオバブのようなロマンの香りがなく、強面な現地の人たちにも怖じ気づいています。(特別意味はないのですが、最近熱中している場所や樹の名前がよく似ているので図にして見ました。Bが五つ、Aが四つ、Oが三つ、Rが二つで何か不思議なのです。)

# by my-pixy | 2006-02-02 16:38
2006年 02月 01日
2月 ライアテア
 
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ヨットを泊めて島の入江を入っていくと、そのまま川になっていることがあります。遡っていくとだんだん川幅はせばまり、頭の上までマングローブが生い茂ってきて、ちょっとした探検気分になってきます。ところが実際は川からは見えないだけで、両岸にはパパイヤなどの畑が広がっているらしいのです。突然、朽ちかけた舟着場でたくさんの犬がに吠えられたりすると、探検気分は吹っ飛んでしまいます。

# by my-pixy | 2006-02-01 00:37
2006年 01月 01日
1月 プーケット
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2001年の正月にプーケットからピピ島周辺をクルーズした時の一枚です。ヨットは浅いところには入っていけませんから沖でアンカーリングしてディンギーで上陸します。そのために通常はゴムボートを曳いてあるくののですが、ここプーケットではロングテールボートが発達していますから、こうした入江に出かけるにはそちらを利用するほうが便利です。そのためにクルージングの有難味が薄れてしまうのが問題です。

# by my-pixy | 2006-01-01 16:35
2006年 01月 01日
2006年 カレンダー
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# by my-pixy | 2006-01-01 00:27