2021年 02月 10日
時は1984年のことですから、ずいぶん昔のことですが心なしか海の色もフィルムの色も昔の方が美しかった様な感じがします。タオルミーナのホテルは眺望もよく大満足でしたが、この後も未定だったので、買い物がてら街に出てサルデニアに渡るスケジュールを決めました。日本で言えば晴海から伊豆大島に渡るぐらいの距離感で、ローマ周辺の人たちが家族連れで、休暇を過ごしにいく様でした。この後いくつかのリゾートホテルなどに宿泊し、素晴らしいヨットクラブや、アメリカズカップの挑戦艇などを目にします。われわれの香港マニラレース挑戦は1974年のことでしたからほぼ10年が過ぎていました。 #
by my-pixy
| 2021-02-10 12:03
2021年 02月 08日
姿かたちの面白さに惹かれてレンタカーで探し歩きましたが、いざたどり着いてみると、それほど深みもなく、綺麗に手入れされている幾つかを見て歩くと、目的は達成されてしまいました。 同行者は一人でしたので、イタリア半島を北上し、次の目的地探しを始めました。これといった決め手もなく、エトナ山近くのタオルミーナに1泊して情報収集の上、フェリーで地中海に点在するサルディ二ィアに渡りました。
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by my-pixy
| 2021-02-08 14:13
2021年 01月 16日
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by my-pixy
| 2021-01-16 11:02
2021年 01月 11日
それまで香港マニラ間のチャイナシーレースなど、ヨットレースにかけていたヨットの乗り方に変化が起きてきました。沖縄ー油壺間の沖縄レースや小笠原クルージングなども経験し、もう少し気楽なセーシングに転向せざるをえなくなってきました。 最大の問題は、これまでも自分の能力の不足を、チームのメンバーの総力に頼って運営してきたことが限界になったのです。長距離のクルーズは職業的にも無理でしたが、この夢を満たすにはチャータークルーズが最適なことも分かってきました。 職業的にはセミナーハウスの運営が重要度を増してきたこともこうした流れを助長しました。私のブログのタグの重要項目である「スキー、ヨット、隠れ家」の中での変換が必要になったのです。 この写真の中央にある、キャンバスを貼った小型なヨットを引き取りに宮島まで出かけた時の記録です。オーナーはお友達といつも二人で乗ってこられたようで、これからのわれわれに良い示唆になりましたが、西と東にお別れした岡山の牛窓のヨットはバーでは、心なしか寂しそうにしていらしたのが気になりました。
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by my-pixy
| 2021-01-11 13:06
2020年 12月 31日
ここに上げた3枚の写真をご覧ください。1982年のニセコのスキー場です。その何もがスキーにとってこれ以上ない環境です。昨日のブログでご紹介したチセヌプリのロッジもこの中のどこかに写っているはずです。一番下は当時のわが技工室の菅野君ですが、おそらくこれ以上の環境でのスキーは経験していなかったでしょう。その後何度もスイスやチロルなどを訪れた私にとっても、スキーのために生まれた様な美しい山々を誇らしく思います。(近年外来者によって大分崩されてしまいましたが・・・)
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by my-pixy
| 2020-12-31 14:33
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