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2014年 05月 14日
1964年・12月25日 ホノルル 2
 しかしあのペースで遊びまわっていたらすぐに魂が抜けて浦島太郎になりかねない。ともかく底抜けの明るさ楽しさである。オフシーズンの雨期でもこれなのだから本格的シーズンが思いやられる。そういえば今日はクリスマスなので、あちこちからその音楽が流れてくるがこればかりは白々しくてピンとこない。街で逢った人にMerry Christmasと挨拶されてビックリした。それにしてもここの言葉は英語にしても日本語にしてもどうも難しい。それと日本語が話せると云ってもその底は浅いらしく、調子に乗って色々話し出すと怪しくなってくるのでどころ切り上げ所が難しい。歩き回ったのと2〜3日来の寝不足でクタクタになってホテルに戻る。しかし時間が惜しく一風呂浴びてレンタカーでもとまた出かけたが、出払って一台もなく一回りしてホテルに帰りベッドに倒れたまま1時間ほど何も知らずに眠る。

 目が覚めると辺りはすでに暗く、足は重いし靴を履くのも大儀だが時を惜しんで夜のワイキキへ出かける。つい先ほどまで裸で歩き回っていた連中が夜ともなると一応の服装をして歩いている。何か急にアメリカ的色彩が濃くなった感じだ。緑が闇に溶け込んでしまったせいかネオンのせいかともかくすっかり街の感じが違う。ローヤルハワイアンホテルはさすが老舗の貫禄で素晴らしい。南国の夜のムードを出していたが昼間と違ってヤンキーのみなので一寸馴染みにくい。建物自体は古臭いが一応貫禄があるし、庭の取り入れ方が巧みで開放的な建物とうまく組み合わされている。照明によってヤシの木が昼間とはまた別な効果をあげている。歩き疲れ食事をしようと表通りの店に入る。special dinnerのステーキの肉のまずさは苗場のカツを思わせる大変なもので、2$だと言い聞かせながら胃袋の中へ流し込んだ。

f0103459_935155.jpg12月月26日 ホノルル
 朝、ふたたび浜へ出る。昨夜は眠れず調子が悪い。しかしカメラを持って外へ出るとそれもまた忘れてしまう。浜で波乗りの真似事をしている男の子と友達になり、Sはとうとう泳ぎ始める。こちらはとてもそんな元気はなくカメラを振り回すのが精一杯だ。 少し早めにタクシーを呼んで寄り道をしながら空港に行ってもらう。ハワイアンアイでおなじみのHilton Hawaiian Village は、やはり至れり尽くせりの設備でここだけでも何日は退屈せずに写真も撮れそうだ。旅に出てから色彩効果か、何でも写真的によくまとまるのに驚いている。降りて歩きたかったがそれほどの時間もなくホノルルの市街に入る。ここで初めて遊びを離れたハワイの生活を見るような気がした。人間を除いては東京とそう大きくは違わない。銀座、丸の内あたり並みの印象だった。

by my-pixy | 2014-05-14 08:49
2014年 05月 13日
12月25日 ワイキキの浜辺を
f0103459_8362175.jpgお決まりの手続きのあと日航の駐在員らしき人の手を離れ、さてこれで当分日本語ともお別れかと諦めタクシーに乗る。下りるときチップの計算などをしている中に5$あまり巻き上げられる。日本のタクシー運賃の2倍位の感じだ。次はフロントとポーターへのチップと緊張し先ずフロントへ。ところが飛び込んできた第一声は「いらっしゃいませ」。シメタと思うより飛行機のトイレの水洗液と同じで意表をつかれて、二の句がつなげなくなった。ただその後は何かあるごとに相手を読む苦労が加わった。荷物を部屋に放り込んでカメラ片手に寝不足もものかわ直ちに外へ飛び出す。

 水族館でも見ようかと歩き出したが、物珍しさから立ち止まる頻度がだんだん多くなり、8ミリフィルムはどんどんまわっていく。あちこちで初めてお目にかかるサーフィンが気になるが一寸距離が遠すぎる。反対側は一面に広がるヤシ、ソテツなどの木々や芝生の緑が目に痛いようだ。そのヤシの木立の間を写真でしか見た事がなかった車が流れていく。ムスタングがアルファロメオがバラクーダがコルベットが、片面4つドアーのリムジンも面白い。なんと云ってもスポーツカーがやたら多く気が散ることおびただしい。なかでもムスタングがスポーツカーの中では圧倒的だ。バラクーダのリアウインドーはヤシの実でも落ちたらと気になる位大きく美しい。ブルバード次いでフェアレディもちょこちょこお目にかかるが他の日本車はあまり見かけない。その中でベレルを見つけた時はガッカリした。なにも海外まで恥をさらすこともあるまいに。とにかく車種の多さは全く驚くばかりだ。レンタカー1日5$というのはすごい安さだ。それもれっきとしたシーヴーなどだから、たとえマイル当り5$とかのチャージがあっても、1日乗り回して10$位だろうからタクシーの料金とはひどくアンバランスだ。  
f0103459_12283245.jpg ヤシの木の背の高いことに驚く。大きなのは10階の窓位まで達する。あれから実が落ちてきたらと心配する。何しろ街中でも店の屋根に丸い穴など開けて繁らせるくらいそこら中ヤシだらけなのだから、時には頭に当たって急死などという人もでるのではないかと思うのだが。ソテツも奄美で見たのとは大違い。奄美のものが台風で痛めつけられ、殆ど幹がなかったのにここではヤシと同様野放しに育っている。浜を歩いて磯の臭いがまったくないのは不思議だ。岩場がなく海草類がないせいだろうか。砂がすごくきめ細かく淡いベージュ色をしてる。砂の細かさはザラメと普通の精製糖位の違いがある。そのせいか足が潜らず大変歩きやすい。多分これは砂のもとになるものが珊瑚だからだろう。

 浜で体いっぱいに陽をあびて多様な人種が思い思いのポーズを繰り広げている。最近の日本の海水浴場はよく知らないが、こういうシーンは映画や写真でよくお目にかかってははいるが、現実にその中に自分をおいてみるとやはり肌に感じてくる何かがある。夢中でカメラを振り回しているとだんだん酔いがまわるように彼らが味わっている気分が体の中に染み込んでくる。しかし裸足で裸の人間しかいない浜を、重い革靴、冬のズボン、シャツで暑さにフーフー言いながら指が痛くなるほどカメラをまわしている奴は、完全なストレンジャーである。カメラなど放り出して海パンで頭にバスタオルを敷いて、サーフィングボードなどを乗せてやってこなくては駄目で、街を歩いてもダークな洋服は全く冱えない。最低、半ズボンにアロハである。車といい着ているものといいカラフルなのでわれわれの服装はポリスかそれ以下だ。後で思いついたことだがせめてスキー用のブルーのエラパンで裸足で歩けば良かった。こんな風だから例のムームーなどというやつが、ひどく派手な色彩をまき散らしてもちっとも気にならない。そのムームーもわれわれの知っているようなのとは違って全部裾を引きずる位長く、かつ巾も大変たっぷりしている。いうなればアロハイブニングドレスだ。

by my-pixy | 2014-05-13 08:40
2014年 05月 12日
1964年12月25日 羽田
f0103459_14352342.jpg大勢に見送られゲートインする。ゲートから22番までの距離はきわめて長く途中よりカバンを床の上を引きずりながら歩く。タラップを登るときSがスキーの持ち出し申告を忘れたことに気がつき慌てたが時間なくあきらめる。搭乗後約15分でスタート。大変遠くまで曳航された後Uターン、スタートし一瞬の中にぐんぐん加速、空中に浮き上がる。助走の短さは外から見る時と同じで、全く一瞬にして何の予告もなくあっさり地面を離れ、右に傾いて旋回しながら急上昇していく。全く何の不安感もなくスポーツカーでシフトダウンしていっぱいにアクセルを踏み込んだ時と殆ど同じ感じで、気がついたら地上を離れていたということだけだ。一二回耳抜きを繰り返す中に、後方に見渡す限り灯の海が拡がる。一面に色々な光の点が散りばめられている。交通事故を表示するマップのピンの色やアレンジを思い出す。鋭角の翼の線がこの灯の海の美しいレーンをトリミングしていく。
 真下には灯台と船の灯が一塊になっている。きれいだなーと思っている中にガスで一度二度消えやがて翼の下で点滅する赤い灯を残して一面の闇になる。時折、少し揺れるが飲み物の注文やら色々な書類などがまわってきて忙しくなる。スタート後30分あまりするとかなり寒くなる。PM11:00食事がくる。機内は思ったより狭いがシートなどは、ほぼ一等車並みだ。サービスはとても列車の比ではなく最高にご機嫌。Sはスコッチ水割りが¥180だと気を良くしている。外でゴーゴーと云う音と時たま揺れる以外とても空を飛んでいるとは思えない。
 芝居のセットの中にでも座って効果音が流れているようで、時速800kmで飛んでいるなどという感じはまったくない。乗客は座席のちょうど一割位だろうか。かなり少ない。眠ろうと思っていたらスチュワーデスが別のシートの間の肘掛けを外し3つ分のシートに横になれるようにして毛布、枕など用意してくれる。これは快適と思ったが、暑かったり寒かったりでほとんど眠れぬ中に物音で起き上がると朝食が運ばれてくる。なかなか美味しく快適に食べられる。

 飛行機は乳白色の空に貼りついたかの様にやはり全く動かない。翼にはプロペラもないから何万馬力かの分からないエンジンがガソリンをバリバリ喰っていることも分からない。トイレのドアーを開けて驚いた。広くはないがおよそ考えられる総ての物がまわり中にビッシリ組み込まれている。シートの紙カバーから資生堂の各種化粧品までが全く要領よく収まっていて文句のつけようがない。最後に水を流そうとボタンを押したらインクのような液体がザーっと流れ出したのには全く予想しなかっただけ度肝を抜かれた。こんなトイレはどんな一流ホテルも到底、太刀打ち出来まい。とても一度では全部は楽しめない。また改めて出直そう。飛行機はときどき乱気流にでもぶつかるのか暫く揺れることがある。その揺れ方が船が波に揺られるような感じとは全く異なって、淡々とハイウェイを走っていたスポーツカーが突然砂利道に飛び込んだ時のようにガタガタと小刻みに揺れる。普段が大変静かなだけにあまり良いものではないが気分の悪くなるような揺れ方ではない。

9時頃雲がきれて下にかなりの大きさの島が見え少しづつ高度を下げ始める。やがてオアフ島とおぼしき島が現れる。あこがれのハワイ航路だ。Sがカメラを引きづり出してソワソワし始める。こちらも付き合いで撮り始めようとしたら怪しげな音がしてカメラはストップ。慌ててダークバッグ。その後は恐る恐るだったが一応順調で一安心。島はどんどん近づき人家や軍用飛行機場などの上をかすめるようにして無事着陸。ブレーキの効き方なども感じのよい車のブレーキと同じで高速から低速まで同じように良く効く。停止前に乗降口が開けられ停まるとすぐ乗客はぞろぞろ降りて行く。スピーディーだがこれでスチュワーデスの笑顔の見送りでもなければすこし味気ない。タラップの前にwiki wikiと書いた、ふざけた絵のついた一見電車風の二両編成のディーゼルカーと覚しきものがきている。走り出したかとたかと思ったらほんの200m位で一時停車。かと思うと皆がぞろぞろ降りて行く。羽田のゲートからタラップまでの1/10位の感じだ。
預けてあったスキー等を受け取り手押し車に乗せて、また数メートルで税関。どうもテンポが合わない。税関の奴はエラそうな顔をしていたが、板から外してコートのポケットに入れていたビンディングは、最後まで何のものか良くわからなかったらしい。まあ無理もなかろう。

by my-pixy | 2014-05-12 11:24
2014年 05月 11日
1964年・$500と¥30000の旅
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 考えるところあって50年前の旅の日記帳をブログに連載することにしました。当時は8ミリムービーに熱中していたので静止画像は多くありません。そのためどちらかというと文字主体になります。長くなったらHPの方に移動するかもしれません。1ドル360円時代の貧乏旅行でしたが旅の相棒は同級生の須佐美康治氏です。原文を尊重し訂正は最少に止めました。

 学生時代からパスポートなしで行ける海外旅行だなどといって、ニセコにスキーにいったり、本土返還になった奄美に出かけたりしていました。ヨーロッパのスキー場のパンフレットなどは貴重品のように取り扱っていました。1950年代に入るとトニーザイラーアルペン3冠王、猪谷千春のアルペン入賞、自分自身のスキー連盟指導員などが続いていました。

 時を同じくして歯科臨床の方ではタービンやエアーモーターが導入されて、長い間歯科用ユニットのてっぺんに鎮座していた電気エンジンが消えて座位診療への移行が始まりました。診療室の設計は抜本的に見直されることになり診療システムの変革が急速に進み始めました。1964年東京オリンピックは社会全体の変革の節目でもあったのです。 こうした流れのなかで1967年に新築移転を控えていたわれわれは、情報収集と技術導入のラストチャンスを迎えようとしていたのです。

 ようやく訪れた海外渡航には総力を挙げて、仕事から遊びまでどん欲に取り入れたいと正月休みを延長して欲張った計画を立てました。カメラは3台、重量制限でスキーのビンディングは外してコートのポケットにいれるなどしてワイキキの浜を歩き、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ニューヨーク、ボストンを経由し、コペンハーゲンからスイス、オーストリアのスキー場を巡り、最後は南回りでバンコック、シンガポールで途中下車して、1964年クリスマスから翌年1月末までの40日間でした。吞みすぎだ、睡眠不足だ、と泣き言はしばしばでてきますが、何とか無事帰ってこれたのは33才という若さだったからでしょう。
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 上の画像は当時もっとも影響を受けた小田実、スキーの片桐匡さんの著書と、最後のポスト型のユニットとなったCenntury unitと先端を走り始めたスペースラインで模索していた仮オフィスです。長期休暇が取りやすいこと、スキーをしたいことで躊躇なく暮れから正月を選びましたが、このことが様々なネックになって目的遂行をさまたげることになりますが、タイミングだけはベストでした。

by my-pixy | 2014-05-11 12:08
2013年 07月 22日
個展 ?
f0103459_1635328.jpg 患者さんからのリクエストで古い風景写真をB1サイズ(103X73センチ)10枚にプリントしてもらいました。スライド、デジカメ半々ですがフレームつきだと1枚9000円になりますし、後始末のこともありますから自分ではおいそれとはできません。何かの展覧会などといっても1枚か2枚ですから、10枚揃っては生涯初めての経験です。同じビルの中のシオの会社なので塩田の写真が多くなりましたが、マダガスカルも半数ほど選に入りましたので、お金はかからないちょっとした個展ムードでした。よその会社の中ですから皆さんをご案内はできませんが、またいつか次のご注文が来ることを期待しています。

by my-pixy | 2013-07-22 16:57
2013年 02月 01日
2月  ベネチア 
f0103459_841374.jpg 少し季節は早いのですが、病院通いなどが多かった今年の1月が終わってほっとしています。そんなせいでこんな写真が出てきました。
 実際には5月の連休のことで一泊しかしていませんが、何となく目に止まったのはこのところの気分に合ったからかもしれません。体勢は整ったので今年の連休にはなどと思っているからでしょう。もちろんスライドからのデジタル化ですが、症例写真はほとんど処分しても旅のスライドだけは、そのままファイリングキャビネットに入っていますし、カレンダー製作もあってパソコンにもたくさん入っています。月替わりの記事は彼らの出番です。

by my-pixy | 2013-02-01 08:58
2012年 12月 01日
ホバート   1972
f0103459_13491847.jpg 最近はすべての事情が変わってしまいましたが、かつては世界各地に伝統と歴史を誇るヨットレースがありました。クリスマスにシドニーをスタートし新年にホバートにフィニッシュするレースはそうした中の一つで、ホバートの港では地元の舟をすべて退避させてレース参加艇を受け入れます。町の人達はヨットのマストが立ち並ぶ情景をお正月の飾り付けのように楽しみにしているようでした。
 1972年日本からも参加するヨットがあり、その観戦をかねてオーストラリアに出かけました。

by my-pixy | 2012-12-01 09:41
2012年 09月 01日
9月・ 遠くへゆきたい
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 新しいカメラも手にはいったし、たまには新幹線以外にも乗ってみたいものと思っていたら、ドイツ経由で帰ってくる人、海外からのメール、沖縄クルージングのお誘いなど、どどっと良い風が吹いてきました。
夏休みでしばらく放り出していた語る会事後抄録、今夜にでも片付けて身辺を整理しておかなければなりません。

by my-pixy | 2012-09-01 19:44
2012年 08月 01日
フィヨルド
f0103459_7523892.jpg8月、ノルウエーフィヨルドの町。この二人は民宿の兄弟で、釣りの仕掛けに熱中していました。1997年のことでしたがフィヨルドを巡ってヨーロッパ最北端ノルドカップを目指していました。

by my-pixy | 2012-08-01 07:48
2012年 07月 01日
7月 撮影地不明 ネパール
f0103459_15491570.jpg オリジナルが Penta 6×7 であることは分かっていますが、ポジネガ両方を使っていたこともあり、その後のデジタル化もあってもはやインドかネパールかもはっきりしません。動物の種類からすればインドの可能性ありなのですが、先月の画像と一緒になっていますからポカラの帰途だろうと思っています。

 そんなことよりもあと一週間、何度も組み換えて頭がグシャグシャです。一番の悩みはエンディングをどうするかです。

by My-pixy | 2012-07-01 16:06