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2007年 01月 20日
テレスコープとインプラント
3月末発刊のヒョーロン4月号より29年ぶりのパーシャル・デンチャー連載を始めます。風呂敷が大きすぎてなかなか中身が決まりませんでしたが、須貝昭弘先生、松井宏榮先生、技工士の萩原 治氏のサポートを得て、間もなく第一回脱稿に近づきました。今後も多少の変更はあるかも知れませんが、1回8ページで進行する予定です。
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 連載目次
  第1回. 上部構造から見たインプラントの問題点        
  第2回. なぜパーシャル・デンチャーは嫌われるのか  
  第3回. 動く義歯は支台歯を揺すり装着を不快にする     
  第4回. 経過を左右するチェックとメインテナンス
  第5回. インプラントによる歯列改変             
  第6回. 片側遊離端欠損                 
  第7回. テレスコープ義歯からの移行                  
  第8回. 下顎は無歯顎にしない 
  第9回. 多様な症例への対応                   
  第10回. 欠損なき歯列保持を目指して 
    

by my-pixy | 2007-01-20 12:37
2006年 12月 13日
ペリオ ( RPD.8 )
f0103459_1818538.jpg 戦争直後の食糧難生活にくらべれば格段に情況は改善されたとはいえ、私の歯科大学時代はまだまだ空腹を引きずっていました。1955年の卒業時には肉体的な空腹からは抜け出していましたが、歯科臨床の知識も技術も戦前を引きずっていました。

当時の大学で習ったことで現在も残っている技術は皆無といってもよいでしょう。知り合い先輩を尋ねて耳学問で何かを学んでくるという、その日暮らしが10年近く続きました。同じ頃、限られた情報を増やしたいと、クラスメート間の勉強会も始めました。

 大きく流れが変わったのは1965年の海外渡航の自由化で、人と情報の流れは急速に変わりました。戦火にさらされた日本やヨーロッパが一歩出遅れる中、メタルボンドや全顎補綴など最新の技術や材料が、アメリカから一気に流入してきました。空腹の孤児達は群がってそれに飛びつきました。何といっても補綴の話題が目新しく、その吸収に追われて、歯周治療に目がいくようになるには10年ほどが過ぎていきました。

 臨床現場でブラッシング指導などは行っていましたが、あくまでそれは虫歯防止のためで、歯周病治療としての効用も分からなければ、プラークコントロールという言葉も初耳でした。そんな中で行われていたパーシャル・デンチャーですから、動揺歯に負担をかけまいと、おかしな緩圧装置などという発想に流れていったのでしょう。
 緩圧には騙されませんでしたが、ペリオの知識欠如はわれわれも同じことですから、訳も分からず痛い目にあいました。パーシャル・デンチャーを考えるには、遠回りのようでも、もう少しペリオに踏み込まなければダメだと気がついたのは1975年頃のことです。
 1979年、押見一先生を誘ってシアトルのAAPに行かれるお偉方の団体に付いていきました。補綴関係の学会にくらべるとこぢんまりしていて、器材の展示なども教室一つぐらいでした。「マイナーな学会だなー」とは思いましたが口にはしませんでした。しかし学会では重症の歯周病罹患歯の保存が真剣にディスカッションされていました。迷い込んだよそ者なので、解説をうかがわなければ細かな内容は分かりませんでしたが、今になって考えると「アメリカ歯周病学会」最後の灯火だったような気がします。ご存じの通りその後この学会は、名前はそのままに「インプラント学会」に変わり、$まみれの姿に変貌していきました。われわれがすれ違ったのは、その一瞬前のことでした。

by my-pixy | 2006-12-13 18:20
2006年 12月 08日
歯 vs 顎堤 ( RPD.7 )
 開戦記念日の話題というわけではないのですが、すれ違い咬合など(06.12.3)残存歯の咬合支持をなくしたケースでは、歯と戦った顎堤の無惨な吸収像を見せつけられていました。それが緩圧などという発想に反発する根源にもなっていったのです。
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 このケースもちょうどその頃出会った象徴的なケースです。この状態なら屹立する2本の下顎前歯にはどんなに大きい負荷をかけても許されるという考え、頑丈なサポートをつけたブレーシングアームを使いました。12年後前装レジンはすべて剥げ落ち、露出したメタルフレームで咬合接触していましたが歯へのダメージはありませんでした。
 誤算だったのは上顎小臼歯の支台装置で反体側の7との間に、典型的な回転軸ができることを緩和したいと、ウイング状にバーアタッチメントを延ばしたことです。3点支持に近づければ!などという浅はかな期待は空しく、義歯床内の空間でシーソーのように2本の支台歯を揺すったことは明らかでした。こちらも単純なテレスコープにして、年1回程度のチェックをしていれば10年の延命は可能だったでしょう。
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 上顎小臼歯は抜歯し下顎前歯部はテレスコープに変更するなどの手を打ちましたが。残念なことにその直後、84年8月71才で亡くなられました。
 アタッチメントなどに未練を残し、テレスコープ義歯に完全移行する前の迷いを残した症例ですがが、多くの示唆を得た忘れられないケースでもあります。多数ではありませんがこれらの典型例が点と点で結ばれ、より多くのケースで肉付けされてテレスコープ・デンチャーがまとまっていきました。

by my-pixy | 2006-12-08 10:40
2006年 12月 06日
維持装置と支台装置 ( RPD.6 )
f0103459_15314335.jpg ブリッジの土台になる部分が支台装置と呼ばれるのに、パーシャル・デンチャーの土台になる部分は維持装置と呼ばれることに合点がいきませんでした。どちらも失われた歯を補綴した負荷を受け止めるという目的は同じなのに、呼び名が全く違うからです。

 クラスプにはリテンション、ブレーシング、サポートの3つの機能がある、という説明はイロハのイの字です。しかしその呼び名はリテーナーで日本語では維持装置です。維持力をコントロールする方法にはたくさんの記載がありますが、支持について稀にレストの厚みが書かれているくらい、把持にいたってはI-Barのガイディングプレーン以外には見たこともありません。
 3つの機能をきちんととればテレスコープそこのけのリジッドサポートになるはずです。そこをすり抜けてコネクターや床に小細工をした結果どんな効用がもたらされたのか、レポートは皆無ですべて読者の空想に任されています。

 大事な3つの機能といいながら、実はきちんと考えられてこなかったようです。最大の力を受け止めるサポートには何よりも頑丈さが要求されます。薄紙のようなレストが付いていればよいということではないはずです。これに対して一番話題になるリテンションは、義歯が落ちてくることを防げればよいわけですから、それほどむずかしいことではありません。サポートがキログラム単位とすればリテンションは数十グラムぐらいのものでしょう。

 ここで大きな役割をするのがブレーシングです。その決め方によって義歯の着脱方向は規制されますから、きちんと設定されていれば小さなリテンションでも不自由なく使えますが、塗り絵のようなブラブラ設計では患者さんから「まだ緩い!まだ外れる!」といわれて、どんどん強めなければなりません。最近流行のマグネットにしても、ブレーシングのあるとなしでは大違いなのですが、そうした配慮はあまりされていないようです。

 パーシャル・デンチャーを安定させるための装置を、維持装置と呼ぶことが間違いのもとなので、私はクラスプもテレスコープもすべてを支台装置と呼んでいます。図は3つの機能のうちサポートが一番大切で、ブレーシングがその次、この2つがきちんととれればリテンションは最少でも大丈夫という関係を表現したものです。SBRが風林火山にかわる私の旗印です。

by my-pixy | 2006-12-06 15:32
2006年 12月 03日
120年前のイラスト ( RPD.5 )
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緩圧という考え方が生まれてきたいきさつや、ケネディの分類誕生の背景などを知りたくて、手に入る古書をパラパラめくりで調べていました。1970年頃のことです。

こうしたときには、著名な学者が書いたテキストブックをベースにして、10年単位ぐらいで改訂版を重ねていくアメリカのシステムはすこぶる便利でした。


 卒後間もない頃手にしたTylmanのTheory and practice of crown and fixed partial prosthodontics(bridge)は長い間座右の書籍で、なんと7版まで版を重ねました。SwensonのComplet denture、American text-book of Prosthetic dentistryなども同様な性格の書籍だったようです。

 手に入った最も古い本の中の1枚のイラストに引きつけられました。まだ各種のクラスプなど誕生していない時代の記載です。話は変わりますが、1950年代何かの機会に、丸の内のバトラー先生が作られた二重金冠のブリッジに触れさせていただいたことがありました。その適合の感触は鮮烈な印象として残っていて、このイラストが塗り絵ではないこと、その延長線上にバトラー先生の可撤ブリッジがあったことを確信しました。
 もう一つの拠り所はEichnerらの症例集です。経過はないものの200ケースの症例写真が掲載されていていますが、こちらにも板バネみたいな義歯は見当たりません。塗り絵を描いて遊んでいるヒマもなさそうでした。情けない日本の補綴臨床との訣別には何の未練もありませんでした。

  120年といえば自動車の歴史と同じです。そう思うと情けないのですが、さまざまなクラスプがこの後に使われ出したことが分かったことは収穫でした。

by my-pixy | 2006-12-03 14:18
2006年 12月 03日
緩圧 ( RPD.4 )
f0103459_13383860.jpg 咬合圧を受けても沈まない歯牙と変形する粘膜、パーシャル・デンチャーはその両方に跨る構造物で、ブリッジが歯牙負担であるのに対してパーシャル・デンチャーは混合負担である。

f0103459_13404518.jpg テキストブックはこの分かったようで分からない説明で始まり、最先端の研究もこれに沿って行われていました。
 何かがおかしい!。こんなことで臨床は片づかない!という思いで一杯でしたが、象徴的な事例として立ちふさがったのが「すれちがい咬合」でした。

 何をやってもうまくいかない難症例との苦闘の中で気づいたことは、パーシャル・デンチャーの設計のランドマークと考えられてきたケネディの分類が、対顎のことや咬合関係などを全く無視した絵空事だということでした。

 そんな折も折、40年前のネディの分類をトレースするような出版物が登場します。執筆依頼などはありませんでしたが、企画段階からその内容は分かっていたので、伝手を頼っては反対運動を展開しましたが、チンピラ開業医の意見などは見向きもされず、補綴学会のお歴々の名を連ねて1971年9月24日、私の40才の誕生日に出版されました。

 100頁にわたる塗り絵集は「すれ違い咬合」などには何の役にも立ちませんでしたが、私にとって最大の反面教師として、長く抗戦エネルギーの源になりました。

by my-pixy | 2006-12-03 13:46
2006年 11月 30日
可撤性ブリッジ ( RPD.3 )
 私にとっても、初めてのパーシャル・デンチャーは67欠損でした。ブリッジにできない欠損をどう補綴するかという悩みは長い間続きました。45が健全歯であればまずはクラスプで対応するというスタンスは今も変わっていませんが、支台歯の歯冠修復が可能という条件に恵まれると、かえって迷うという状況は今も変わっていないかもしれません。
 ただ、45をクラウンなどで一次固定してクラスプ・デンチャーを装着したり、連結冠の遠心にアタッチメントを使うというような設計はとりませんでした。負荷が小さければ何事も起こりませんが、大きければ連結しても5にトラブルを生じ、その時の対応がむずかしくなるからです。多用してきたテレスコープでも問題を起こしたことはあります。しかし連結されていないので早期に異常を発見しやすく、トラブル後の対応も容易でした。
f0103459_17104421.jpg  同じような理由で動揺歯の連結や、大型ブリッジも使わずに済んだのは、テレスコープによる2次固定が有効に機能していたからです。

f0103459_1711988.jpg 私のパーシャル・デンチャーは、前回掲載した可撤ブリッジとバータイプの義歯、そして今回のブリッジタイプとプレートタイプの何れかに区分されます。
可撤ブリッジとブリッジタイプは片側か両側かの違いだけで同じグループです。欠損の形態や歯数によって義歯の形は変わっても、一次固定しない支台装置で組み立てられていることに変わりありません。

 補綴の講座が総義歯、パーシャル、クラウンブリッジ3つに分かれ、それぞれの間につながりがないことには大きな違和感を感じていました。一人の患者さんにクラウンブリッジとパーシャル・デンチャーが必要な場合、クラウンブリッジ装着可能なところを先に補綴し、残りをパーシャル・デンチャーで補綴するという通法には腹立たしささえ感じていました。その意思表示として、講演の機会には無歯顎の補綴に対応して「有歯顎の補綴」という演題を好んで使いました。

 現在のようにすっきり整理はされていませんでしたが、全体が同時に機能するためにはパーシャル部分の可動性を認めるわけにはいきまでんでした。1960年代のことです。当時の主流だった緩圧、被圧変異などという理論には訣別して、固定性可撤義歯を指向始めるのはこの直後のことです。

by my-pixy | 2006-11-30 17:12
2006年 11月 28日
パーシャル・デンチャーの三悪 ( RPD.2 )
f0103459_1933205.jpg 最後臼歯などをなくしてパーシャル・デンチャーが避けられなくなった患者さんに、嫌われるものは外から見えるクラスプ、舌感を妨げるコネクターと大きな義歯床です。

f0103459_8435186.jpg  支台装置を工夫したり、「外形は失われた組織の範囲内に納める」ことを心がけ、かなり成果を上げてきましたが、元ただせば1本の支台歯を無くしただけというケースは少なくなく、その代わりにインプラントを使おうとしているようです。

インプラントが使えなかった頃の私のパーシャル・デンチャーを並べてみても、可撤ブリッジ型で無難に受け入れられた義歯と、バータイプの義歯になって苦情が耐えなかったものとの違いは、遊離端に1本の支台歯があるか無いかの違いでしかありません。遊離端義歯は間接維持装置を使って両側性設計!などというおかしな定説が、たくさんのパーシャル・デンチャー嫌いの患者さんを生み出したことは間違いないのです。

 いま1本のインプラントが植立できれば、上の写真の9症例はすべて下の写真と同じ補綴方法に変えることができるのです。もちろん外科的な処置を嫌われる方もあるでしょうが、経済的負担はむしろ少なくなるでしょう。そんなことは当たり前!
どだい今頃パーシャル・デンチャーがああだこうだいってるヤツがおかしいんだという方も多いでしょう。

 でもちょっと待って下さい。たしかにオステオインテグレーションタイプになって、インプラントの安定性は大きく向上しました。しかし大きな努力はフィクスチャーの安定に向けられ、その上部構造については、これまでのクラウンブリッジの手法が流用されているだけではないでしょうか。ビス止めがすたれてメタルボンドになり、ポーセレンが破折して硬質レジンに緊急避難しても、本質は何も変わっていません。

 残念なことに多くの患者さんと歯科医は固定性にこだわるために、こうした可能性に門を閉ざしています。そのために多数のインプラントが必要になったり、上部構造のセメンテーションなど厄介な問題を背負い込むことになっているのです。
一次固定をしない!。ロングスパン欠損には可撤性ブリッジ!。を旗印にしてきた私のパーシャル・デンチャーは大きなボーナスを手にしつつあります。

by my-pixy | 2006-11-28 19:41