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2011年 03月 20日
決断と日和見
 こうした非常事態になると、国民が政府がという言葉が度々とびだしトップの指導力が云々されます。しかし戦後の数十年をふり返っても政府の指導力は下降線の一途を辿ってきたのではないでしょうか。太平洋戦争突入の時点から怪しかった政府の指導力が、軍部に押されて無謀な戦いに突っ込んでいったことはよく語られます。そして敗戦、吉田茂や白洲次郎の活躍が伝説的に語られますが、体制が混乱していた一時期のことだけ、その後には長い自民党政権が今日に繋がる沈殿の礎を築いたのではないでしょうか。
 民主主義の浸透、マスコミの発展で、軍国主義時代よりはましかもしれませんが、ロッキードに象徴されるような闇は拡がり、基地問題も原発もその指導制の下に確立されました。自民衰退後、政治主導などというスローガンが持ち出されましたが、自分達がなくした玩具を欲しがるだけで、主導できるような人材などどこにも見当たりません。その一端を担ったはずのマスコミも今になると、政府が!政府が!と消えた偶像への責任転嫁を繰り返しています。
 膨大な赤字国債も、問題が起こることを承知でため込んでいる処理済み核燃料も、元はといえば高度成長、所得倍増に浮かれ続けてきた民主主義の産物です。バブル崩壊の後にもわけも分からず増え続けるビル群やショッピングモールも生きるために不可欠のものでしょうか。選択に苦しむショッピングチャンネルやお笑い番組は減らしても、生活を破壊する計画停電はやめてほしいと思わない人はいないでしょう。
 かって日本人の美徳とされた「足るを知る心」をとり戻せば道は自ずと開けてくるはずです。審美シンビで明け暮れる歯科界には「年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず」という言葉がプレゼントです。

決断と日和見_f0103459_9301384.jpg
 原子炉関連の3月20日午後の官房長官の発表に重要な発言がありました。「第一原発は廃炉」というものです。淡々たる話し方で口数も少なく、注水とほうれん草問題の中に埋もれてマスコミの質問もゼロでしたが,私にとっては、わが耳を疑うようなものでした。もう一度聞きたいと思いましたが、その後のニュースなどでも取りあげられることはありませんでした。21の朝刊紙面で少しだけ記事を見つけました。
 この時点でのこの発言の意義はきわめて大きいと思います。しかも現内閣のなか唯一無二の信頼すべきスポークスマン、不用意な発言ではないはずですし、野党から突っ込まれることはないことも確信しての勇気ある発言です。まさに今だから言えるる、今言わなければならない発言で、事態沈静化した時に言えばまたややこしくなるはずです。今後の原発問題を考えていくときに大きな方向性を規制する,これまでの日本人政治家にない感性として絶賛大賛成、すべてはここからスタートを期待するのみです。

by my-pixy | 2011-03-20 16:26


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