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2019年 07月 17日
いくつかの幸運が重なってテレスコープがRPDの中核に
1981年1月頃のことでした。ペリオの成り行きも少し見え始めて、暗中模索ながらテレスコープを使い始めました。既成アッタチメントには限界を感じていましたが、Eichnerの症例集などの見よう見まねで、クラスプサベーヤーだけが頼りでした。最大の適応症は67欠損の片側遊離端義歯でしたが、そん中にこんなケースも混ざっていました。
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既成アッタチメントには限界を感じていましたが17年後、思いもかけずこのような経過に再会し、テレスコープの信頼感は不動のものになりました。海賊版のミリングマシンなどを整備し、二次固定を目指したパーシャル・デンチャー時代が始まります。1998.12.25定期的なリコールもままならず、17年の年月が過ぎました。切端咬合だった前歯部などでは設計の不備も見られますが、装着時の思いはほぼ果たされていました。その後再び長いトンネルで次の経過は見られませんでしたが、この時の状態からは前回にような破局には至っていないことを確信しました。メタルフレームの作り方など細部の改良を続け、テレスコープを使用するパーシャル・デンチャーは着実な進化を続けてゆきます。
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by my-pixy | 2019-07-17 11:47


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