2006年 12月 03日
緩圧という考え方が生まれてきたいきさつや、ケネディの分類誕生の背景などを知りたくて、手に入る古書をパラパラめくりで調べていました。1970年頃のことです。 こうしたときには、著名な学者が書いたテキストブックをベースにして、10年単位ぐらいで改訂版を重ねていくアメリカのシステムはすこぶる便利でした。 卒後間もない頃手にしたTylmanのTheory and practice of crown and fixed partial prosthodontics(bridge)は長い間座右の書籍で、なんと7版まで版を重ねました。SwensonのComplet denture、American text-book of Prosthetic dentistryなども同様な性格の書籍だったようです。 手に入った最も古い本の中の1枚のイラストに引きつけられました。まだ各種のクラスプなど誕生していない時代の記載です。話は変わりますが、1950年代何かの機会に、丸の内のバトラー先生が作られた二重金冠のブリッジに触れさせていただいたことがありました。その適合の感触は鮮烈な印象として残っていて、このイラストが塗り絵ではないこと、その延長線上にバトラー先生の可撤ブリッジがあったことを確信しました。 もう一つの拠り所はEichnerらの症例集です。経過はないものの200ケースの症例写真が掲載されていていますが、こちらにも板バネみたいな義歯は見当たりません。塗り絵を描いて遊んでいるヒマもなさそうでした。情けない日本の補綴臨床との訣別には何の未練もありませんでした。 120年といえば自動車の歴史と同じです。そう思うと情けないのですが、さまざまなクラスプがこの後に使われ出したことが分かったことは収穫でした。
by my-pixy
| 2006-12-03 14:18
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