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2019年 07月 31日
1999・どう進む日本の歯科臨床
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昔のデータの調べ物をしていて面白いデータが出てきましたが、もう20年も昔のことで、何をやったかの記憶も定かではなくなりました。ちょうどカメラもデジタルに変わる1999年頃のことで、面白がってこのタイトルを作ったことだけは覚えていますが、演者の方々との打ち合わせの記憶も定かではありません。
ちょうど2回の東京オリンピックの中間になるわけですから元気だけは良かったと思います。総合タイトルだけで自分の演題なども残っていませんから、この頃大忙しだった「臨床ファイル3」の仕上げに熱中していたせいかもしれません。外人演者頼みだった風潮に抵抗したい気分から、主催者と打ち合わせた微かな記憶以外はすべて忘却の彼方です。

by my-pixy | 2019-07-31 15:01
2019年 07月 25日
義歯の設計を巡って、患者、歯科医、技工士が考えたこと
f0103459_14501858.jpgパーシャル・デンチャーの設計を巡っては、患者さんの思い、歯科医の推測、製作上の技工士の考えなどが交錯し、クラウンブリッジの場合のように簡単ではありません。少数歯の補綴では、初診の状態から痛みや外観がTEKで修復されれば、それで満足されてしまう方も少なくないでしょう。

 しかし片側遊離端欠損で、リンガルバーが必要となったら、それを容認される患者さんは皆無なはずです。たった30本ほどの歯であっても、そのうちの数本が欠けただけで大事件になることも少なくないのです。一本の歯が欠けたと言ってもそれによる不具合は人により様々で、回復の要求度も年齢や性別により異なります。

 われわれサイドでは職業柄の共通項がありますし、長年スクラムを組んで来た経験で、ツーカーで通じ合えるものも持っています。共有した経験を話し合うことは何よりの楽しみでした。ここにいる面々は歴代の技工担当者で、写真はスマホもなかった2011年頃のものです。そのせいか全員の顔つきは何か穏やかなような気がします。しかしこの後のデジタル化やインプラントの導入によって様々な進化が相次ぎます。進化と同時に古くからの伝統は押し流され混迷の時代に入りつつあるようです。

by my-pixy | 2019-07-25 14:38
2019年 07月 23日
歯科技工
f0103459_9441782.jpg 今年の臨床歯科を語る会には歯科技工士の出席はほとんどゼロでした。そんな中で地酒の部屋で同席になった一人の若手の発言に惹かれて、ゆっくり話を聞いてみたいと思い同門の方達にも声をかけて数人の夕食会を取り決めました。数年前まで力を入れてきた「院内技工士を増やすプロジェクト」を自然消滅のままに終わらせたくたくなかったからです。

 しかし、一夜が明けて問題の複雑さを考えると、カメラのフィルムからデジタルへの転換時の時を考えても、問題は実に多岐にわたり長期間かつ広範にわたったこと、最後には物や素材の問題から人の問題に波及し、スマホや無人カメラはカメラ自体の存在まで揺るがして行ったことを忘れることはできません。

このブログのタグ歯科技工を振り返ってみても、10年前の時の流れは今とは比べ物にならない緩やかだったことは間違いありません。ポーセレンの破折に悩んでいた時代からオールセラミックスに進化し、ジルコニアの堅牢さは飛躍的に向上してきたと思います。
しかし・・しかし・・・一番恐ろしいのは人の変化です。
 このカメレオンは、昨夜の会の出席者の一人から数年前にプレゼントされたものです。このブログから拾い出したものですが、当時はこんな余裕もあったということでしょうか。「歯科技工」のタグで10年ほど昔を振り返ってみると懐かしい顔ぶれが並んでいます。テロや放火魔事件などのニュースに埋めつくされる最近のテレビとは隔世の感です。

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by my-pixy | 2019-07-23 09:45
2019年 07月 19日
テレスコープやコーノスクローネの障壁
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 われわれの臨床ではテレスコープやコーノスは、2000年前後からスタディ.グループなどを中心にゆっくりと広がりを見せていった。しかし近年になってその足取りには陰りが見えてきた。その最大の原因は貴金属の高騰にあると言われているが、その他にもいくつかの要因があると思われる。

第二の要因は慢性的な技工士不足にある。各地の技工士学校では廃校が相次ぎ、名門だったところでさえ閉鎖に追い込まれている。更に卒後の就職先も狭き門になり、転職に追い込まれる新卒者のケースもよく耳にする。 こうした逆風を乗り越えることは容易ではなく、政治的な解決などは全く期待ができない。問題は技工士という職業の将来に何の夢も見出せないのだ。

 視点を変えて補綴の歩んだ道を振り返ってみると、歯周病をめぐる長い混迷を抜け出すのに半世紀を要し、メタルボンドに一次的な安らぎを得たものの、高齢者への対応には未だ道は開けていないのが
現状だ。デジタル化、AIなどめまぐるしく変わる近年の社会情勢を見聞きする中で、歯科臨床も抜本的に考え直す時にきているのは間違いない。そしてここでのキーワードが二次固定でテレスコープを活用する最大の出番なのだが、実現のための態勢が整っているとは言い難い。

by my-pixy | 2019-07-19 08:26
2019年 07月 17日
いくつかの幸運が重なってテレスコープがRPDの中核に
1981年1月頃のことでした。ペリオの成り行きも少し見え始めて、暗中模索ながらテレスコープを使い始めました。既成アッタチメントには限界を感じていましたが、Eichnerの症例集などの見よう見まねで、クラスプサベーヤーだけが頼りでした。最大の適応症は67欠損の片側遊離端義歯でしたが、そん中にこんなケースも混ざっていました。
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既成アッタチメントには限界を感じていましたが17年後、思いもかけずこのような経過に再会し、テレスコープの信頼感は不動のものになりました。海賊版のミリングマシンなどを整備し、二次固定を目指したパーシャル・デンチャー時代が始まります。1998.12.25定期的なリコールもままならず、17年の年月が過ぎました。切端咬合だった前歯部などでは設計の不備も見られますが、装着時の思いはほぼ果たされていました。その後再び長いトンネルで次の経過は見られませんでしたが、この時の状態からは前回にような破局には至っていないことを確信しました。メタルフレームの作り方など細部の改良を続け、テレスコープを使用するパーシャル・デンチャーは着実な進化を続けてゆきます。
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by my-pixy | 2019-07-17 11:47
2019年 07月 16日
たった2年! どんな保障をしてくれるのか?
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時折カタログなどを散見するものの、最近の技工関係の情報はその気になって見てはいませんでした。臨床歯科を語る会・地酒の部屋で技工士さんと話をしたことがきっかけになって、来週には数人の方達と情報交換をする計画が進んでいます。
 われわれがテレスコープや二次固定にのめり込んでいる間に、世の流れは保険導入などなどを巡って、大きく様変わりしているようです。今更流れを変えることはできないでしょうが、最後の抵抗だけは試みるつもりです。
 上の写真では支台歯のマージンがどこまで再現されているのか全くわかりません。下の写真では失活された支台歯の色調をどこまで隣在歯に適合させられるのかも心配です。これがコマーシャルになる世界の方達とはディスカッションできるでしょうか???。さらに二年間保障というCAD.CAWインゴットは誰が何を保障してくれるのでしょう???。不思議な世界ですがこのメーカーだけのことではないことは明らかです。

by my-pixy | 2019-07-16 11:00
2019年 07月 15日
全盲のヨットマン光さす海へ
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 海の日の3連休でしたが、われわれの古いヨット仲間も、ちょうど年に一回の同窓会で熱海に集合していました。若かったクルーメンバーも還暦が残り少なってきて、そろそろふた回り目に・・・・などということになりつつありますが、集まっていたいたメンバーはあいかわらずの昔話に花を咲かせていました。

よく朝、タイミングよくBSでタイトルのテレビが放映されました。天草生まれの主人公は14〜15歳で全盲になられてからもヨットに乗りつずけていらしたそうですが、ヨットは素人だったパートナーを得て
サンデイエゴから福島県の小名浜までの航海を思い立たれたそうです。何台かの小型カメラや衛星放送などのアシストはあったにしても信じられない発想で、お母様もお迎えに見えていらっしゃいました。

by my-pixy | 2019-07-15 15:31
2019年 07月 05日
2019臨床歯科を語る会
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今日の夕方から夏最大のイベント、2019臨床歯科を語る会が始まります。そもそもの始まりは1980年に遡りますが、まだ駆け出しだった火曜会が背伸びをして自分たちの症例集制作にチャレンジしたことに始まります。その前年に出版された横浜臨床座談会の出版物に追いつきたい一心だったからです。

 その後その出版記念会を箱根で老舗旅館で開催し、翌年からは同じ形を踏襲して東京の都ホテルで、日本青年館でと、会を重ねてゆきました。すでに39年になりますので、その間にはいろいろなことがありました。しかしなぜか200人には届かないが、180人は切らないという不思議な歩みを続けてきました。

 40年という年月は半端ではありませんし、その間にはいろいろな出来事がありました。それでもその時々のメンバーの努力で、心を一つにできる開業医が七夕のひと時を過ごすことができたことは、かけがえのないことでしたし、派生的に育ったいくつかの会合の中核としての役わりも果たしてきたようです。

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  深夜にわたる二日間はいつもヘトヘトになりますが、時々の執行部は来年への打ち合わせを終わらせて帰途につくことになります。来年は40周年という節目の時になります。実行委員会がどんな企画を打ち出してくれるのかが今から楽しみです。

by my-pixy | 2019-07-05 12:27