2006年 12月 08日
歯 vs 顎堤 ( RPD.7 )
 開戦記念日の話題というわけではないのですが、すれ違い咬合など(06.12.3)残存歯の咬合支持をなくしたケースでは、歯と戦った顎堤の無惨な吸収像を見せつけられていました。それが緩圧などという発想に反発する根源にもなっていったのです。
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 このケースもちょうどその頃出会った象徴的なケースです。この状態なら屹立する2本の下顎前歯にはどんなに大きい負荷をかけても許されるという考え、頑丈なサポートをつけたブレーシングアームを使いました。12年後前装レジンはすべて剥げ落ち、露出したメタルフレームで咬合接触していましたが歯へのダメージはありませんでした。
 誤算だったのは上顎小臼歯の支台装置で反体側の7との間に、典型的な回転軸ができることを緩和したいと、ウイング状にバーアタッチメントを延ばしたことです。3点支持に近づければ!などという浅はかな期待は空しく、義歯床内の空間でシーソーのように2本の支台歯を揺すったことは明らかでした。こちらも単純なテレスコープにして、年1回程度のチェックをしていれば10年の延命は可能だったでしょう。
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 上顎小臼歯は抜歯し下顎前歯部はテレスコープに変更するなどの手を打ちましたが。残念なことにその直後、84年8月71才で亡くなられました。
 アタッチメントなどに未練を残し、テレスコープ義歯に完全移行する前の迷いを残した症例ですがが、多くの示唆を得た忘れられないケースでもあります。多数ではありませんがこれらの典型例が点と点で結ばれ、より多くのケースで肉付けされてテレスコープ・デンチャーがまとまっていきました。

# by my-pixy | 2006-12-08 10:40
2006年 12月 06日
維持装置と支台装置 ( RPD.6 )
f0103459_15314335.jpg ブリッジの土台になる部分が支台装置と呼ばれるのに、パーシャル・デンチャーの土台になる部分は維持装置と呼ばれることに合点がいきませんでした。どちらも失われた歯を補綴した負荷を受け止めるという目的は同じなのに、呼び名が全く違うからです。

 クラスプにはリテンション、ブレーシング、サポートの3つの機能がある、という説明はイロハのイの字です。しかしその呼び名はリテーナーで日本語では維持装置です。維持力をコントロールする方法にはたくさんの記載がありますが、支持について稀にレストの厚みが書かれているくらい、把持にいたってはI-Barのガイディングプレーン以外には見たこともありません。
 3つの機能をきちんととればテレスコープそこのけのリジッドサポートになるはずです。そこをすり抜けてコネクターや床に小細工をした結果どんな効用がもたらされたのか、レポートは皆無ですべて読者の空想に任されています。

 大事な3つの機能といいながら、実はきちんと考えられてこなかったようです。最大の力を受け止めるサポートには何よりも頑丈さが要求されます。薄紙のようなレストが付いていればよいということではないはずです。これに対して一番話題になるリテンションは、義歯が落ちてくることを防げればよいわけですから、それほどむずかしいことではありません。サポートがキログラム単位とすればリテンションは数十グラムぐらいのものでしょう。

 ここで大きな役割をするのがブレーシングです。その決め方によって義歯の着脱方向は規制されますから、きちんと設定されていれば小さなリテンションでも不自由なく使えますが、塗り絵のようなブラブラ設計では患者さんから「まだ緩い!まだ外れる!」といわれて、どんどん強めなければなりません。最近流行のマグネットにしても、ブレーシングのあるとなしでは大違いなのですが、そうした配慮はあまりされていないようです。

 パーシャル・デンチャーを安定させるための装置を、維持装置と呼ぶことが間違いのもとなので、私はクラスプもテレスコープもすべてを支台装置と呼んでいます。図は3つの機能のうちサポートが一番大切で、ブレーシングがその次、この2つがきちんととれればリテンションは最少でも大丈夫という関係を表現したものです。SBRが風林火山にかわる私の旗印です。

# by my-pixy | 2006-12-06 15:32
2006年 12月 03日
120年前のイラスト ( RPD.5 )
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緩圧という考え方が生まれてきたいきさつや、ケネディの分類誕生の背景などを知りたくて、手に入る古書をパラパラめくりで調べていました。1970年頃のことです。

こうしたときには、著名な学者が書いたテキストブックをベースにして、10年単位ぐらいで改訂版を重ねていくアメリカのシステムはすこぶる便利でした。


 卒後間もない頃手にしたTylmanのTheory and practice of crown and fixed partial prosthodontics(bridge)は長い間座右の書籍で、なんと7版まで版を重ねました。SwensonのComplet denture、American text-book of Prosthetic dentistryなども同様な性格の書籍だったようです。

 手に入った最も古い本の中の1枚のイラストに引きつけられました。まだ各種のクラスプなど誕生していない時代の記載です。話は変わりますが、1950年代何かの機会に、丸の内のバトラー先生が作られた二重金冠のブリッジに触れさせていただいたことがありました。その適合の感触は鮮烈な印象として残っていて、このイラストが塗り絵ではないこと、その延長線上にバトラー先生の可撤ブリッジがあったことを確信しました。
 もう一つの拠り所はEichnerらの症例集です。経過はないものの200ケースの症例写真が掲載されていていますが、こちらにも板バネみたいな義歯は見当たりません。塗り絵を描いて遊んでいるヒマもなさそうでした。情けない日本の補綴臨床との訣別には何の未練もありませんでした。

  120年といえば自動車の歴史と同じです。そう思うと情けないのですが、さまざまなクラスプがこの後に使われ出したことが分かったことは収穫でした。

# by my-pixy | 2006-12-03 14:18
2006年 12月 03日
緩圧 ( RPD.4 )
f0103459_13383860.jpg 咬合圧を受けても沈まない歯牙と変形する粘膜、パーシャル・デンチャーはその両方に跨る構造物で、ブリッジが歯牙負担であるのに対してパーシャル・デンチャーは混合負担である。

f0103459_13404518.jpg テキストブックはこの分かったようで分からない説明で始まり、最先端の研究もこれに沿って行われていました。
 何かがおかしい!。こんなことで臨床は片づかない!という思いで一杯でしたが、象徴的な事例として立ちふさがったのが「すれちがい咬合」でした。

 何をやってもうまくいかない難症例との苦闘の中で気づいたことは、パーシャル・デンチャーの設計のランドマークと考えられてきたケネディの分類が、対顎のことや咬合関係などを全く無視した絵空事だということでした。

 そんな折も折、40年前のネディの分類をトレースするような出版物が登場します。執筆依頼などはありませんでしたが、企画段階からその内容は分かっていたので、伝手を頼っては反対運動を展開しましたが、チンピラ開業医の意見などは見向きもされず、補綴学会のお歴々の名を連ねて1971年9月24日、私の40才の誕生日に出版されました。

 100頁にわたる塗り絵集は「すれ違い咬合」などには何の役にも立ちませんでしたが、私にとって最大の反面教師として、長く抗戦エネルギーの源になりました。

# by my-pixy | 2006-12-03 13:46
2006年 12月 01日
12月 カリブ海
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 2006年最後のカレンダーは1980年のカリブ海クルーズの1枚です。ヨットを始めた時から世界3大クルージングスポットは一度はいってみたい海域でした。最初の地中海は学会がらみのヨーロッパ旅行で71年に実現しました。残るカリブ海、南太平洋の2つは「がらみ」が使える場所ではなく、なかなかチャンスは到来しなかったのですが、今はなくなったパンナム世界一周ディスカウントチケットのおかげで、マイアミ経由ドイツ行きというプランができあがりました。写真は帆船を模した客船SSノールウェーのラウンジです。

# by my-pixy | 2006-12-01 18:00
2006年 11月 30日
可撤性ブリッジ ( RPD.3 )
 私にとっても、初めてのパーシャル・デンチャーは67欠損でした。ブリッジにできない欠損をどう補綴するかという悩みは長い間続きました。45が健全歯であればまずはクラスプで対応するというスタンスは今も変わっていませんが、支台歯の歯冠修復が可能という条件に恵まれると、かえって迷うという状況は今も変わっていないかもしれません。
 ただ、45をクラウンなどで一次固定してクラスプ・デンチャーを装着したり、連結冠の遠心にアタッチメントを使うというような設計はとりませんでした。負荷が小さければ何事も起こりませんが、大きければ連結しても5にトラブルを生じ、その時の対応がむずかしくなるからです。多用してきたテレスコープでも問題を起こしたことはあります。しかし連結されていないので早期に異常を発見しやすく、トラブル後の対応も容易でした。
f0103459_17104421.jpg  同じような理由で動揺歯の連結や、大型ブリッジも使わずに済んだのは、テレスコープによる2次固定が有効に機能していたからです。

f0103459_1711988.jpg 私のパーシャル・デンチャーは、前回掲載した可撤ブリッジとバータイプの義歯、そして今回のブリッジタイプとプレートタイプの何れかに区分されます。
可撤ブリッジとブリッジタイプは片側か両側かの違いだけで同じグループです。欠損の形態や歯数によって義歯の形は変わっても、一次固定しない支台装置で組み立てられていることに変わりありません。

 補綴の講座が総義歯、パーシャル、クラウンブリッジ3つに分かれ、それぞれの間につながりがないことには大きな違和感を感じていました。一人の患者さんにクラウンブリッジとパーシャル・デンチャーが必要な場合、クラウンブリッジ装着可能なところを先に補綴し、残りをパーシャル・デンチャーで補綴するという通法には腹立たしささえ感じていました。その意思表示として、講演の機会には無歯顎の補綴に対応して「有歯顎の補綴」という演題を好んで使いました。

 現在のようにすっきり整理はされていませんでしたが、全体が同時に機能するためにはパーシャル部分の可動性を認めるわけにはいきまでんでした。1960年代のことです。当時の主流だった緩圧、被圧変異などという理論には訣別して、固定性可撤義歯を指向始めるのはこの直後のことです。

# by my-pixy | 2006-11-30 17:12
2006年 11月 28日
パーシャル・デンチャーの三悪 ( RPD.2 )
f0103459_1933205.jpg 最後臼歯などをなくしてパーシャル・デンチャーが避けられなくなった患者さんに、嫌われるものは外から見えるクラスプ、舌感を妨げるコネクターと大きな義歯床です。

f0103459_8435186.jpg  支台装置を工夫したり、「外形は失われた組織の範囲内に納める」ことを心がけ、かなり成果を上げてきましたが、元ただせば1本の支台歯を無くしただけというケースは少なくなく、その代わりにインプラントを使おうとしているようです。

インプラントが使えなかった頃の私のパーシャル・デンチャーを並べてみても、可撤ブリッジ型で無難に受け入れられた義歯と、バータイプの義歯になって苦情が耐えなかったものとの違いは、遊離端に1本の支台歯があるか無いかの違いでしかありません。遊離端義歯は間接維持装置を使って両側性設計!などというおかしな定説が、たくさんのパーシャル・デンチャー嫌いの患者さんを生み出したことは間違いないのです。

 いま1本のインプラントが植立できれば、上の写真の9症例はすべて下の写真と同じ補綴方法に変えることができるのです。もちろん外科的な処置を嫌われる方もあるでしょうが、経済的負担はむしろ少なくなるでしょう。そんなことは当たり前!
どだい今頃パーシャル・デンチャーがああだこうだいってるヤツがおかしいんだという方も多いでしょう。

 でもちょっと待って下さい。たしかにオステオインテグレーションタイプになって、インプラントの安定性は大きく向上しました。しかし大きな努力はフィクスチャーの安定に向けられ、その上部構造については、これまでのクラウンブリッジの手法が流用されているだけではないでしょうか。ビス止めがすたれてメタルボンドになり、ポーセレンが破折して硬質レジンに緊急避難しても、本質は何も変わっていません。

 残念なことに多くの患者さんと歯科医は固定性にこだわるために、こうした可能性に門を閉ざしています。そのために多数のインプラントが必要になったり、上部構造のセメンテーションなど厄介な問題を背負い込むことになっているのです。
一次固定をしない!。ロングスパン欠損には可撤性ブリッジ!。を旗印にしてきた私のパーシャル・デンチャーは大きなボーナスを手にしつつあります。

# by my-pixy | 2006-11-28 19:41
2006年 11月 21日
歯科医師会
f0103459_945215.jpg 久しぶりで歯科医師会の講演会に行ってきました。演者側だけではなく聴衆側にも顔見知りの多い中での会だったのですが、自己採点は最悪でした。久しぶりの出番でいろいろ考えたつもりだったのですが、「歯科臨床、現場の楽しさ」という総合タイトルと、「開業後半世紀が過ぎて」という自分のタイトルが大き過ぎたことが敗因だったようです。

 発表内容は日常的な話題にしたいと思ったのですが、発表中そのつなぎがうまくいかないことが気になって、最後まで立て直すことができませんでした。最初のジャンプの転倒が尾を引いて、全体がばたばたな演技になってしまったフィギュアのようなものです。

 最後の質問の頃になってようやくスイッチがリセットされ頭の回転も戻りましたが、反対に何十年も繰り返してきた基本概念が理解されていない中でのやりとり!という空しさを突きつけられることになりました。多様な聞き手に自分の考え方を正確に伝えることは不可能だ!と思うと、ブログなんてとんでもない受け取られ方をしているのでしょう。ようやく覚めた冬眠にまた入りたい気分です。

# by my-pixy | 2006-11-21 09:53
2006年 11月 01日
11月  ライアテア 04
f0103459_17311332.jpg クルージングを終えて島内をドライブしていたとき、タヒチアンミュージックを響かせて家周りの片付けをしている人がいました。母屋は遠浅の海を埋め立てた大きなワンルームですが、長い桟橋の先にはタヒチ流宙づりの艇庫や、船具、釣り道具などの倉庫や作業小屋などが並んでいて、海を楽しむには最高のお膳立てです。ちょっと強面の人でしたが、話し出したらマイホーム自慢が止まらなくなりました。

# by my-pixy | 2006-11-01 01:28
2006年 10月 29日
天涯の地・続き
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 9.26にハイビジョンで放送された「天涯の地に少年は育つ」の海賊版です。著作権に抵触すると思いますが、番組紹介と個人使用ということで大目に見て頂きたいと思います。

 このドキュメンタリーの主題はタイトルにもなっている4人の子供達の生き方なのですが、画像は物語のフィナーレになっていた、部落全員が楽しみに参加するビクーニャの狩りのものです。美しいアンデスの雪山をバックにした4000メートルの高地で始まります。黄色のV字型に張るネットなど大量の荷物を部落から担ぎ上げ、手前の稜線の向こう側からビクーニャを探して追い込んでくるのです。とんでもなく広い山々に全員が散らばり、岩陰にかくれてチャンス到来を待ちます。

 大人たちが仕事の分担を話し合っているとき「私は何処のグループ?」と本気で聞いてくる4才の女の子(6枚目)、毛を刈り取って解放してやりながら「気をつけて帰るんだよ」声をかける人々の優しさに打たれました。

# by my-pixy | 2006-10-29 15:58
2006年 10月 23日
Aperture その2
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 先週後半、なぜか分からないのですが、Apertureバージョン1.5へのダウンロードのお知らせが舞い込んできました。確かに予約はしているのですが、まだ来月といわれていますしそれとは別物らしいのです。週末プレゼンの予定もあったので大喜びでテストを始めました。
 バージョン1.0とは別物、動作はキビキビしているし、RAWにも対応しているなど、いうことないのですが多機能なのに日本語の取説がありません。おまけにデータをバージョンというなどチンプンカンプン、表示文字が滅茶苦茶細かいときています。七転八倒、何度も今週は見送りかと白旗を揚げかけました。しかし突然出てくる機能は魅力満点。全部は使えなくても!なんとか頑張りました。

上の写真は4ショット表示にしてサムネールを中央にもってきたもの、下は2ショット表示にしてサムネイルは上に、さらにルーペでサムネイルを拡大したところです。サムネイル表示はタテヨコ自在ですし、大きさも可変ですからマルチ表示に加えることもできます。さらにライトテーブルという自由度の高い編集画面もあるという多機能ぶりで、使い手の能力が問われます。

 今回は時間切れで、2画面対比とルーペだけで勝負しましたが、それなりの効果はあったと思っています。今後は画像の作り方、構成、ツールの使い方などにも緻密なプランニングが必要になりそうです。一つの画像に小さなデータををべたべた貼りつけたり、4分割オンパレードなんていう芸のなさは許されません。ルーペを使えば元画像の悪さは一目瞭然です。たくさん撮れるからと小さなサイズで保存したデータも、それなりの報いを受けることになるでしょう。

 スライドショーと同じ画面でRAWの調整もできますが、ちょっと細かくて使いにくいので、きちんとした操作にはLightroomなどということになりそうです。こちらもベータ版は落としてあるので近いうちにレポートします。Lightroomでもスライドショーはできますが、何となくあまり楽しくはなさそうです。

# by my-pixy | 2006-10-23 19:56
2006年 10月 22日
プレゼン用ソフト
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 ケースプレなどの発表がスライド・プロジェクターからノートパソコン+データ・プロジェクターに代わったのは2000年のことです。そのためのソフトとしてはパワーポイントしかありませんでしたから、私はPhotoshopのレーヤーを使ったり、Grephic・converterなどを使っていました。i View media Pro、BIlletなどを使ったこともありましたが、主力はPhotoshopレーヤーでした。OS Xに変わってからは i View media Proにも不具合がでて、2003年1月Key-noteが出るまでは同じ状態が続きました。ソフトによって画像の色調が変わることも悩みの種でした。

 2005年1月2年ぶりでi View media Pro2が登場し、大歓迎で迎えられましたがその天下は長くは続きませんでした。Photoshop CS2が発表されると、それに付属したブラウズソフトBridgeの使いやすさが、RAWの定着もあってすべてを書き換えてしまいました。 ただCS2の価格や、2台までしか使えないガードの厳しさなどもあり、RAWを使わない人にまでは拡がりませんでした。(ここまでの参考・もぐらのつぶやき02.11.7、03.1.10、デジタルスクエア05.1.12、05.5.10)

  私たちのスタディグループの中でもCS2派は少数のままでした。私自身は価格などの不満はあるものの、使い勝手や性能に満足して、ベータ版として発表されたAdobeのLightroomやAppleのApertureなどに関心はもちませんでした。カメラやRAW画像を中心にしたシステムの方で手一杯だったからです。(続く)

# by my-pixy | 2006-10-22 18:08
2006年 10月 17日
セキセイインコ
 朝全員顔を合わせて、本来なら業務連絡というところでしょうが、あまり話題もなく白けることが多いので、一人ずつフリースピーチをしてもらうことにしました。意外や意外これが大当たり。なかなか面白い話が飛び出してきます。以下は一番若い衛生士君の話で、そのまま本人に文章にしてもらいました。ケイタイのメールとは違うキーボードがちょっと壁だったようです。

私が旅行中、家を留守にしている時の出来事。
母がうちで飼っているセキセイインコをカゴの外に出して遊んでいました。ふと母は2階に用事を思い出し、インコを出しっ放しにしたままその部屋をあとにしました。‥‥そして数分後。母がインコのいる部屋に戻ってみると、いるはずのインコの姿がどこにも見当たらない(>□<)母は焦っていたる所を探しました。すると台所のほうで「ガサッ」という音が‥‥。母が急いで音のする方へ向かうと、ハエを捕まえるために天井からぶら下げられていた“ハエ取りテープ”に捕われうずくまっているではありませんか!普段は台所に入ったりしないのですが、どうやら母を捜しに行ったようで。体に多少、テープは巻き付いていたものの幸い顔の方には巻き付いておらず大事にはいたりませんでした。
母は急いでインコをお風呂に入れ食器洗い用の洗剤で体を洗ったのですが粘着材は完全に取りきれませんでした。そのせいか羽が粘着材で重みを増し飛べないようで低空飛行をするやいなや、すぐ着陸を繰り返していました。
いつもはうるさいくらいおしゃべりするインコなのですが、その日は“ハエ取りテープ”にかかったショックとずっと握られていたストレスですごく静かでした。母が手を差し出すと「近寄るな!」と言わんばかり拒絶。私でさえも寄ってきてはくれませんでした‥‥。
明くる日、昨日の出来事はなかったかのように元気になりいつも通りおしゃべりして母への拒絶も解かれたようでした。ニワトリは3歩歩くと忘れると言いますが、インコは1日経つと忘れるようです。

# by my-pixy | 2006-10-17 18:11
2006年 10月 13日
星野道夫さんの本
f0103459_13242085.jpg  週末落ち込んでいるときに大いに慰められた星野道夫さんの本を、もう少し読んでみようとブックセンターに行きました。上の3冊は軽装版の写真集、下の3冊は初期に文春から出た2冊と講演集です。
 ご本人について他の方が書かれたものも数冊はあったでしょうか。8階のアート関係のコーナーに並んでいました。文春の2冊はテレビや他の本などで、出典としてしばしば引用されていたので選びました。 

 これだけ読めば遅ればせながら、没後東京、大阪、北海道などで開かれた巡回写真展に訪れたという、45万人のファンの一人には入れるのではないかと、週末は入り浸って過ごしました。始めに写真での感動は味わった後でしたが、口述の講演集は読みやすく、写真なしの著作集からは想像する広がりを楽しみ、同じ人の同じテーマの話でも、まとめ方で大きな違いが出ることを実感しました。
これで歯科雑誌2〜3冊分ということは考えさせられます。

# by my-pixy | 2006-10-13 14:48
2006年 10月 12日
GoogleEarth日本語版
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 GoogleEarthの日本語版が出て詳細写真エリアが拡大されたようです。都内は乗用車一台一台がくっきりみえますし、小田原付近で圏外になっていた真鶴もかなり向上、芝刈りをさぼっているとばれそうで、これじゃー隠れ家なんて家の中だけです。もちろんGoogleはこれ以上のものをたくさん持っているのでしょうから恐ろしいことです。
 でも便利さには勝てません。道案内なんてもう不要。プリントアウトしてタクシーにだって渡せば、国内でも、海外でも何処でも行けそうです。(同時にGoogleMapも日本語対応がバージョンアップしたようです。)

 タヒチの島々や入り江で遊び終わって、地名検索に東京タワーと入力すると、途端に鉄腕アトムかスーパーマンに変身、太平洋をひとっ飛びして東京上空に舞い降りるときの景色は最高です。アフリカにはライブカメラも設置されていて、より詳細な画像も見られますが睡眠不足にはご注意。GoogleEarth活用マニュアルなど参考書も何冊か出ています。
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# by my-pixy | 2006-10-12 09:03
2006年 10月 07日
中秋の名月
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昼間、ちょっとした事件があり一時レポートをアップしていましたが、お騒がせするだけで見苦しいので30時間ほどで削除しました。今は中秋の名月を見ながらやけ酒を飲んでいます。

10月4日にご紹介した星野道夫さんの再放送を見て心が安らぎました。
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# by my-pixy | 2006-10-07 22:04
2006年 10月 04日
星野 道夫さん
f0103459_855943.jpg 2〜3ヶ月前だったでしょうか、リモコン片手にテレビ探しをしていて変わった番組にぶつかりました。サインの入った静止画と動画シーンとが交互に出てくるアラスカのドキュメントなのですが、ときおり出てくる短い文章が妙に印象的でした。途中からだったので、撮影中にヒグマに襲われて亡くなったカメラマンの話だということしかよく分かりませんでした。
 翌日ブックセンターにいってみるともう10年も昔のことなのに、沢山の著書が並んでいることにびっくりしました。紹介文を見ているとヒグマの事故しか知らないのは私だけで、アニマ賞、木村伊兵衛賞、「National Geographic」を筆頭に書籍の出版社も平凡社、小学館、朝日新聞、新潮社、文藝春秋ときら星のごとく、写真家という枠を越え文筆活動でも高い評価を得ていたことが分かりました。

 ただあまりの膨大さにどこからとりついて良いのか分からず、しばし棚上げ状態になっていました。最近になって未完に終わった遺作の軽装板を見かけて、ようやく一歩を踏み出しました。しかし一枚の写真、一章の文章の重さに開いては閉じを繰り返すばかりで、なかなか前に進みませんでした。それにもかかわらずワタリガラスやトーテムポールを通して語られるアラスカ先住民の魂の物語はずしりと自分の中に入り込み、現代社会の出来事を見聞きする度に銅鑼の音のように響きわたるのです。

 人々が消えた後に残されたトーテムポールはその自然の中で朽ちてゆくべきで、発掘して博物館に運ばれたものは、元の場所に戻されるべきだという先住民族の主張はすさまじい迫力をもっています。獲物を追って凍った海を渡っていったモンゴロイド由来の思想かも知れません。そしてわれわれの歯科医療でもモンゴロイドと白人が戦っているような気がします。

# by my-pixy | 2006-10-04 18:18
2006年 10月 01日
レンズ・マウント
 レンズ交換型のカメラにとって、そのマウントサイズや機構を決めることはきわめて重大な問題です。初期のライカやペンタックスなども、レンズは単純にネジでボディに締め付ける形でした。どちらもその後早い時期に現在のバヨネット形式に変更しましたが、その時点で、旧レンズの行方についてはユーザーからは大きな不満が噴出しました。しかし変更しなければじり貧は避けられない苦渋の選択でした。

 その後も電気的接点や大口径レンズの必要から、マウントの変更はしばしば問題になるのですが、これまでの資産を失うことの怖さからメーカーは保守的でした。デジカメではNO1を続けてきたソニーですら倒産したミノルタのレンズ資産に頼らなければ、デジタル一眼レフには参入できなかったことからもその影響力が分かります。

 フィルム時代の後半、キャノンは大口径化したマウントの強みで、続々、高性能レンズを登場させました。ニコンは大きく水を空けられ、プロカメラマンの評価もレンズゆえにキャノンに傾いて行きます。スペースがないためのレンズ設計の苦しさにニコンは悩み続け、その変更は何度も決断を迫られたはずです。しかしより大きなユーザー層を抱えたニコンには、変更のリスクを背負い込むことはできなかったのです。

 デジタル化によって、フィルムに代わる撮像素子のサイズが小型化したことは、ニコンにとっては、思ってもいなかったぼた餅だったに違いありません。35ミリフィルムより小振りなAPSC化は、相対的にマウント拡大の効果を生むからです。各メーカーが35ミリフルサイズ化を目指ししのぎを削る中、ニコンはそんな素振りさえ見せませんでした。一昔か二昔前の苦渋がよほど骨身に応えていたからでしょう。
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 そして最新の80DとEOS Kissの正面観を見てください。巨大なレンズマウントに苦しむキャノンが一目瞭然です。深海魚のように目ばかりギョロつかせたカワハギには、もはや小型化の余裕などまったくありません。本当はフルサイズの5Dを売りたいのに、こんな奇形魚も売らないと食べていけないのでしょうか?。 (参考・デジタルスクエア05.11.6〜8 APS)

# by my-pixy | 2006-10-01 12:56
2006年 10月 01日
10月  フアヒネ   92
f0103459_2044051.jpg おなじみのサンセットシーンですが、しかるべき島影などがなく刻々沈んでいく夕日とにらめっこをしていました。半ば諦めかけたところにカヌーがやってきて、しめた!と思ったのですが、もう少し手前を通ってくれれば・・・という思いも空しくこの日のチャンスは終わりました。

# by my-pixy | 2006-10-01 01:00
2006年 09月 26日
天涯の地
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 夕食が終わると9時。何か面白い番組があるとテレビにかじりつきますが、探し回っても見つからないと早々に寝込んでしまうという毎日です。もっとも当たりの多いのがNHKのハイビジョン特集で、昨夜も5月のゴリラ以来の感動を味わいました。
 7000メートルクラスのアンデスの雪山を背景に、壮大なスケールの中で行われるピクーニャ追い込みが、景観でもスリルでもハイライトなのはもちろんですが、4人兄弟姉妹と両親6人の家族を静かに見つめた前半の1時間以上がそれにも勝る圧巻でした。
 日常の通学や放牧などに標高差1000メートル以上を走るように登り降りする子供達は、小さな体で歩幅が広いので3角形に見えます。その3角形がコマが回るようにガレ場を走り下りていく様子はまさに驚異でした。雨風と、とつとつと話す会話以外はまったく無音の世界ですが、きわめて控えめな道傳アナの語りがそれを際だたせていました。標高差ごとに種類が異なる20〜30種ものジャガイモ、一人任された放牧中に死んでしまったアルパカの子供を、ずっと担いで家に帰ってきた女の子の表情など、忘れられないシーンが一杯でした。

# by my-pixy | 2006-09-26 14:58