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2007年 01月 20日
テレスコープとインプラント
3月末発刊のヒョーロン4月号より29年ぶりのパーシャル・デンチャー連載を始めます。風呂敷が大きすぎてなかなか中身が決まりませんでしたが、須貝昭弘先生、松井宏榮先生、技工士の萩原 治氏のサポートを得て、間もなく第一回脱稿に近づきました。今後も多少の変更はあるかも知れませんが、1回8ページで進行する予定です。
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 連載目次
  第1回. 上部構造から見たインプラントの問題点        
  第2回. なぜパーシャル・デンチャーは嫌われるのか  
  第3回. 動く義歯は支台歯を揺すり装着を不快にする     
  第4回. 経過を左右するチェックとメインテナンス
  第5回. インプラントによる歯列改変             
  第6回. 片側遊離端欠損                 
  第7回. テレスコープ義歯からの移行                  
  第8回. 下顎は無歯顎にしない 
  第9回. 多様な症例への対応                   
  第10回. 欠損なき歯列保持を目指して 
    

# by my-pixy | 2007-01-20 12:37
2007年 01月 18日
事故の予感
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 プロカメラマン望月さんのヘリコプター墜落事故の話はすさまじい迫力です。スケールも美しさも大分違いますが一歩間違えば!というところは06.10.軽トラ事件とよく似ています。自慢できる話ではありませんが「ムシが知らせる」ヒトの感覚の不思議さです。

1.なぜか1ヶ月ほど前ブログのスキンが黒バックに変更されました。
2.出発前日のブログに予感するような発言が書かれていました。
3.海底に沈んだヘリからの脱出数十秒が10分以上の出来事のようです。
4.事故の瞬間の画像はなく、現場写真は記録したもののアップには・・・

# by my-pixy | 2007-01-18 09:57
2007年 01月 17日
Ashes and Snow 2
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 ごらんになりましたかAshes and SnowのWebサイト。テレビ番組だけで驚天動地、その美しさに魅了されていましたが、このサイトの内容がまたまた半端ではありません。30インチディスプレー一杯に展開される動画、背景に散りばめられた無数の画像。こんなことができるのか!!という驚きはグーグルアース以来です。はまったら今夜はもう眠れません。

# by my-pixy | 2007-01-17 08:04
2007年 01月 16日
Ashes and Snow
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いつものように遅めの夕食を済ませ、リモコンでガチャガチャと番組探しをしているうちにグレースケールの度肝を抜かれるような美しい映像にぶつかりました。(正確にはグレースケールではないかもしれません)途中からだったのですが、次々に展開される文字通り夢のようなシーンに「何だこれは!」の一言でした。番組タイトルは分からずじまいで最後にグレゴリー・コルベールという人の作品らしいことが分かりましたが、一個人でできる映像とは思えないので今朝になってネットで調べてみました。こちらを

# by my-pixy | 2007-01-16 09:10
2007年 01月 15日
フィーノさんからの年賀状
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 チョット見慣れぬ封筒だなとと思って明けたところ、いつもよりは少し早めなフィーノさんからの年賀状でした。いつもながらのセーリングですが海面はラフで、かなり強風なようです。毎年、北フランス、サマロでのクルージングやティーニュのことを思い出させてくれる楽しい年賀状です。(昨年のものは06.07.07に載せました。タグでスキーヨットで出てきます。)

 長期連載の準備でさすがにばたばたしています。どんな形で、どんな内容にしようかとひな形を作ったり、原稿を書き換えたりを繰り返すばかりで、2〜3ヶ月分の貯金でスタート!の目標は達成されていませんが、前進はしているつもりです。文字通り寸暇が惜しいのでトンネルへのご帰還も途絶えがちですが、もう少々お待ち下さい。

# by my-pixy | 2007-01-15 08:39
2006年 12月 31日
素敵なメール
f0103459_14562269.jpg今年はお終いのつもりでしたが、素敵メールを頂きましたのでご紹介させていただきます。昔、技工室で仕事をして頂いていた「おおつかしげこ」さんからで、自画像もとお願いしたところイラストを送って下さいました。いつも楽しい年賀状を頂くのですが、この少女は我々が知らない頃のものです、

「マダガスカルのこどもたち」ありがとうございました。
ふっと、写真のなかのこどもたちの声がこだまして聞こえてくるような気がしました。
[美しさ]の源が何なのか、この力強い生命力溢れた世界を通して
考えさせるような凛としたたたずまいが、この写真にはあるな〜と、感動しました。
チマチマした小細工の美しさではなくて、もっと深く力強い美しさを
忘れていたような思いです。表紙の構図も、いいな〜。
大昔、先生に教えて頂いたレニ・リーフェンシュタールの写真や
サンテグジュベリが描いたバオバブの木を思い出しながら一枚一枚を
楽しく拝見しました。
バオバブも、凄いですね〜。

小さな思い出話を一つ。

数年前、私の団地にくる朝日新聞の集金係はガーナからの留学生でした。
まだ、日本語はほとんど話せない彼は、東京農業大学で農業を勉強中とのことで、
会うたびに、ちいさく引き締まった黒い顔をゆがませて、「ホームシック」と、
繰り返していました。ガーナの話を、少しずつしてくれたり、我が家の小鳥の声を
嬉しそうに聞いて、「ガーナにもいます」と、目を輝かせたり。
黒い顔と、白い歯がとても印象的な少年でした。
数年間、私の小さな国際交流は続き、ある日彼は別れの挨拶をしに家にやってきました。
新聞の集金の仕事はできなくなったというのです。
ガーナに帰るの?と聞くと、「いいえ、東京工大の大学院にいくことにしました」と
ちょっと残念そうに、でも誇らしげに答えてくれ、「凄〜い!」と感嘆する私に
「そうです。がんばりました」と笑っています。
嬉しくなった私は、大盤振る舞いで、20本入りのハブラシをプレゼント。
「ところで、君の名前は何て言うの?」と聞いてみました。
わけの分からない難しい言葉が飛び出すのかと思ったそのとき、
彼の口から出たのは、思いがけない名前でした。
「ジャポンです」
ガーナは、アフリカの真珠と言われている美しい国。
アフリカの中で一番独立も早かった国だといいます。
日本との交流も、野口英世博士の頃から続いているせいか、「ジャポン」という
名前はとても多いのだそうです。そして、日本はあこがれの国なのだそうです。
彼のその後を私は知りません。
私とアフリカは、私の部屋のドア間近の小さな空間でしか交流できませんでした。
でも、ガーナ人のジャポン君のことを私は忘れないでしょう。
一瞬、蘇った私の「アフリカ」、それなのに長くてすみません。

先生のアフリカの豊かなこと!
マダガスカルのこどもたちの豊かなこと!
本当に、とっても嬉しいです。
大事に使わせて頂きます。
ありがとうございました。

バオバブの木、美し〜。
そういえば、育てたバオバブが枯れてしまったと、HPで拝見しました。
我が尊敬するターシャ・テューダーに話したら、きっと、にっこり笑って
「あたりまえよ」と言うでしょう。
枯れたのは決して、先生のせいではないと思います。

# by my-pixy | 2006-12-31 15:00
2006年 12月 30日
軽トラ温泉廃業ほか
温泉供給元だった伊豆山の組合が解散し暗雲漂いはじめた軽トラ温泉ですが、新たな供給源にシフトして細々営業は続けていました。しかし先方は熱海の一流ホテル、いくらコネでフリーパスといっても気兼ねは残ります。毎回だった営業が2回に1回、3回に1回になり、とうとうバッタリになってしまいました。往復してスタンバイするのに1時間はかかりますが、お湯の温度が20度ほど低いので夏場以外は始めから加温が必要で、さらに時間がかかることも問題でした。
 
f0103459_17242591.jpg 止めをさしたのが軽トラのアクシデントで、これで再開の望みは完全に絶たれました。この件については詳細なレポートはさしひかえますので、関係筋にお問い合わせください。一部で本人がNSXでクラッシュしたなどというデマも流布されていますが、こちらは12年6万キロをこえ今月車検をとりなおしましたのでご心配なく。
 軽トラに代わる真鶴の足についても二転3転がありましたが、ようやく旧型マーチがやってきました。5万キロ10万円という代物で、セールスマン任せ電話だけで決めてしまいました。事実上今回が初対面でしたがなかなか変わり者です。元はといえば面白くもおかしくもないリッターカーですが、なぜかピカピカのアルミホイールをはいています。エンジンをかけると「あれ!これ何,イタ車??」というような排気音が飛び込んできます。ボロンボロンとそれなりの音で坂道を下ります。平地でもトコトコ、ボロンボロンと走ります。暫くすると音はそのままパタリと元気がなくなるので登り坂になったことが分かるというふざけたやつです。あまり情けないので怒る気にもなれず何となくやっていけそうです。

f0103459_17251248.jpg 11月の勤労奉仕つきセミナーのおかげで家の裏斜面はすっかりきれいになりました。しょぼくれていた椰子の木も元気になり、温泉はなくなったけどハワイが近くなった感じです。ご協力いただいた皆さんに感謝!、また来年もお願いします!。

 ブログも今年はこれが最後になるかと思います。来年は雑誌連載がヒョーロン4月号から(3月末発刊)始まりますので、ブログのアップは多少減るかもしれません。連載内容については、ご意見がいただければ即対応するつもりですのでご声援のほどをお願いします。

# by my-pixy | 2006-12-30 17:25
2006年 12月 19日
カラー印刷の限界
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 2007年マイカレンダーのサムネイル集です。関係者各位の努力にもかかわらず自分が思ったような色には仕上がりませんでした。途中まで詰めていっても最後に!というパターンは、今年もあまり変わりませんでした。

 しかし思い起こすと、書籍でも最後に刷り直しという大事件を2度引き起こしています。長い間、ピンクやイエローに偏った口腔内写真の色はむずかしいと思っていました。それにくらべれば多様な色がある風景写真はずっと楽だと始めは高をくくっていました。
 元になるスライドも20年物、30年ものですから当時の発色も最近のものとは違います。スライドの退色も無視できません。RAWでの復元に努めても限度はあるので「こんなものか」で諦めもついていました。D1に始まる初期デジカメの色調にはもっと悩まされました。
 そんなこんなでやってきましたが、今度はすべて期待のD200の画像、レンズもそれなりなので!とついつい昔のことを忘れてしまいました。でも印刷なんてこんなものだったのです。このブログだって書き手と見る方は大違いなことは間違いありません。それを忘れていられるから幸せなだけです。
 
 病気だけでなく今年はクルマでも死線をさまよったので、性格はともかく諦めはよくなったような気がするのですが、どうでしょうか?。

# by my-pixy | 2006-12-19 09:00
2006年 12月 13日
ペリオ ( RPD.8 )
f0103459_1818538.jpg 戦争直後の食糧難生活にくらべれば格段に情況は改善されたとはいえ、私の歯科大学時代はまだまだ空腹を引きずっていました。1955年の卒業時には肉体的な空腹からは抜け出していましたが、歯科臨床の知識も技術も戦前を引きずっていました。

当時の大学で習ったことで現在も残っている技術は皆無といってもよいでしょう。知り合い先輩を尋ねて耳学問で何かを学んでくるという、その日暮らしが10年近く続きました。同じ頃、限られた情報を増やしたいと、クラスメート間の勉強会も始めました。

 大きく流れが変わったのは1965年の海外渡航の自由化で、人と情報の流れは急速に変わりました。戦火にさらされた日本やヨーロッパが一歩出遅れる中、メタルボンドや全顎補綴など最新の技術や材料が、アメリカから一気に流入してきました。空腹の孤児達は群がってそれに飛びつきました。何といっても補綴の話題が目新しく、その吸収に追われて、歯周治療に目がいくようになるには10年ほどが過ぎていきました。

 臨床現場でブラッシング指導などは行っていましたが、あくまでそれは虫歯防止のためで、歯周病治療としての効用も分からなければ、プラークコントロールという言葉も初耳でした。そんな中で行われていたパーシャル・デンチャーですから、動揺歯に負担をかけまいと、おかしな緩圧装置などという発想に流れていったのでしょう。
 緩圧には騙されませんでしたが、ペリオの知識欠如はわれわれも同じことですから、訳も分からず痛い目にあいました。パーシャル・デンチャーを考えるには、遠回りのようでも、もう少しペリオに踏み込まなければダメだと気がついたのは1975年頃のことです。
 1979年、押見一先生を誘ってシアトルのAAPに行かれるお偉方の団体に付いていきました。補綴関係の学会にくらべるとこぢんまりしていて、器材の展示なども教室一つぐらいでした。「マイナーな学会だなー」とは思いましたが口にはしませんでした。しかし学会では重症の歯周病罹患歯の保存が真剣にディスカッションされていました。迷い込んだよそ者なので、解説をうかがわなければ細かな内容は分かりませんでしたが、今になって考えると「アメリカ歯周病学会」最後の灯火だったような気がします。ご存じの通りその後この学会は、名前はそのままに「インプラント学会」に変わり、$まみれの姿に変貌していきました。われわれがすれ違ったのは、その一瞬前のことでした。

# by my-pixy | 2006-12-13 18:20
2006年 12月 12日
2007年カレンダー
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 でき上がりは今週末なのですが、どんな色調で上がってくるか楽しみ半分、恐怖半分です。ディスプレー上でいくら確認してもインクジェットで印刷してみても、それ以下になることはまちがいありません。RGBをCMYKに変換し、4色で紙に印刷されてどうなるかの予測はきわめて困難なのです。刷り直しは最悪ですがテスト印刷のコストもばかになりません。最後にどんでん返しもありますから幸運を祈るしかないのです。  
これまでのように長年温存してきた写真ではなく、一年前、数日間で撮影したものです。しかも当初の目的のバオバブよりも子供達にシフトしてしまったので、カレンダーとしてはどうかなと?と思う写真も混ざってしまいました。

# by my-pixy | 2006-12-12 17:28
2006年 12月 08日
歯 vs 顎堤 ( RPD.7 )
 開戦記念日の話題というわけではないのですが、すれ違い咬合など(06.12.3)残存歯の咬合支持をなくしたケースでは、歯と戦った顎堤の無惨な吸収像を見せつけられていました。それが緩圧などという発想に反発する根源にもなっていったのです。
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 このケースもちょうどその頃出会った象徴的なケースです。この状態なら屹立する2本の下顎前歯にはどんなに大きい負荷をかけても許されるという考え、頑丈なサポートをつけたブレーシングアームを使いました。12年後前装レジンはすべて剥げ落ち、露出したメタルフレームで咬合接触していましたが歯へのダメージはありませんでした。
 誤算だったのは上顎小臼歯の支台装置で反体側の7との間に、典型的な回転軸ができることを緩和したいと、ウイング状にバーアタッチメントを延ばしたことです。3点支持に近づければ!などという浅はかな期待は空しく、義歯床内の空間でシーソーのように2本の支台歯を揺すったことは明らかでした。こちらも単純なテレスコープにして、年1回程度のチェックをしていれば10年の延命は可能だったでしょう。
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 上顎小臼歯は抜歯し下顎前歯部はテレスコープに変更するなどの手を打ちましたが。残念なことにその直後、84年8月71才で亡くなられました。
 アタッチメントなどに未練を残し、テレスコープ義歯に完全移行する前の迷いを残した症例ですがが、多くの示唆を得た忘れられないケースでもあります。多数ではありませんがこれらの典型例が点と点で結ばれ、より多くのケースで肉付けされてテレスコープ・デンチャーがまとまっていきました。

# by my-pixy | 2006-12-08 10:40
2006年 12月 06日
維持装置と支台装置 ( RPD.6 )
f0103459_15314335.jpg ブリッジの土台になる部分が支台装置と呼ばれるのに、パーシャル・デンチャーの土台になる部分は維持装置と呼ばれることに合点がいきませんでした。どちらも失われた歯を補綴した負荷を受け止めるという目的は同じなのに、呼び名が全く違うからです。

 クラスプにはリテンション、ブレーシング、サポートの3つの機能がある、という説明はイロハのイの字です。しかしその呼び名はリテーナーで日本語では維持装置です。維持力をコントロールする方法にはたくさんの記載がありますが、支持について稀にレストの厚みが書かれているくらい、把持にいたってはI-Barのガイディングプレーン以外には見たこともありません。
 3つの機能をきちんととればテレスコープそこのけのリジッドサポートになるはずです。そこをすり抜けてコネクターや床に小細工をした結果どんな効用がもたらされたのか、レポートは皆無ですべて読者の空想に任されています。

 大事な3つの機能といいながら、実はきちんと考えられてこなかったようです。最大の力を受け止めるサポートには何よりも頑丈さが要求されます。薄紙のようなレストが付いていればよいということではないはずです。これに対して一番話題になるリテンションは、義歯が落ちてくることを防げればよいわけですから、それほどむずかしいことではありません。サポートがキログラム単位とすればリテンションは数十グラムぐらいのものでしょう。

 ここで大きな役割をするのがブレーシングです。その決め方によって義歯の着脱方向は規制されますから、きちんと設定されていれば小さなリテンションでも不自由なく使えますが、塗り絵のようなブラブラ設計では患者さんから「まだ緩い!まだ外れる!」といわれて、どんどん強めなければなりません。最近流行のマグネットにしても、ブレーシングのあるとなしでは大違いなのですが、そうした配慮はあまりされていないようです。

 パーシャル・デンチャーを安定させるための装置を、維持装置と呼ぶことが間違いのもとなので、私はクラスプもテレスコープもすべてを支台装置と呼んでいます。図は3つの機能のうちサポートが一番大切で、ブレーシングがその次、この2つがきちんととれればリテンションは最少でも大丈夫という関係を表現したものです。SBRが風林火山にかわる私の旗印です。

# by my-pixy | 2006-12-06 15:32
2006年 12月 03日
120年前のイラスト ( RPD.5 )
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緩圧という考え方が生まれてきたいきさつや、ケネディの分類誕生の背景などを知りたくて、手に入る古書をパラパラめくりで調べていました。1970年頃のことです。

こうしたときには、著名な学者が書いたテキストブックをベースにして、10年単位ぐらいで改訂版を重ねていくアメリカのシステムはすこぶる便利でした。


 卒後間もない頃手にしたTylmanのTheory and practice of crown and fixed partial prosthodontics(bridge)は長い間座右の書籍で、なんと7版まで版を重ねました。SwensonのComplet denture、American text-book of Prosthetic dentistryなども同様な性格の書籍だったようです。

 手に入った最も古い本の中の1枚のイラストに引きつけられました。まだ各種のクラスプなど誕生していない時代の記載です。話は変わりますが、1950年代何かの機会に、丸の内のバトラー先生が作られた二重金冠のブリッジに触れさせていただいたことがありました。その適合の感触は鮮烈な印象として残っていて、このイラストが塗り絵ではないこと、その延長線上にバトラー先生の可撤ブリッジがあったことを確信しました。
 もう一つの拠り所はEichnerらの症例集です。経過はないものの200ケースの症例写真が掲載されていていますが、こちらにも板バネみたいな義歯は見当たりません。塗り絵を描いて遊んでいるヒマもなさそうでした。情けない日本の補綴臨床との訣別には何の未練もありませんでした。

  120年といえば自動車の歴史と同じです。そう思うと情けないのですが、さまざまなクラスプがこの後に使われ出したことが分かったことは収穫でした。

# by my-pixy | 2006-12-03 14:18
2006年 12月 03日
緩圧 ( RPD.4 )
f0103459_13383860.jpg 咬合圧を受けても沈まない歯牙と変形する粘膜、パーシャル・デンチャーはその両方に跨る構造物で、ブリッジが歯牙負担であるのに対してパーシャル・デンチャーは混合負担である。

f0103459_13404518.jpg テキストブックはこの分かったようで分からない説明で始まり、最先端の研究もこれに沿って行われていました。
 何かがおかしい!。こんなことで臨床は片づかない!という思いで一杯でしたが、象徴的な事例として立ちふさがったのが「すれちがい咬合」でした。

 何をやってもうまくいかない難症例との苦闘の中で気づいたことは、パーシャル・デンチャーの設計のランドマークと考えられてきたケネディの分類が、対顎のことや咬合関係などを全く無視した絵空事だということでした。

 そんな折も折、40年前のネディの分類をトレースするような出版物が登場します。執筆依頼などはありませんでしたが、企画段階からその内容は分かっていたので、伝手を頼っては反対運動を展開しましたが、チンピラ開業医の意見などは見向きもされず、補綴学会のお歴々の名を連ねて1971年9月24日、私の40才の誕生日に出版されました。

 100頁にわたる塗り絵集は「すれ違い咬合」などには何の役にも立ちませんでしたが、私にとって最大の反面教師として、長く抗戦エネルギーの源になりました。

# by my-pixy | 2006-12-03 13:46
2006年 12月 01日
12月 カリブ海
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 2006年最後のカレンダーは1980年のカリブ海クルーズの1枚です。ヨットを始めた時から世界3大クルージングスポットは一度はいってみたい海域でした。最初の地中海は学会がらみのヨーロッパ旅行で71年に実現しました。残るカリブ海、南太平洋の2つは「がらみ」が使える場所ではなく、なかなかチャンスは到来しなかったのですが、今はなくなったパンナム世界一周ディスカウントチケットのおかげで、マイアミ経由ドイツ行きというプランができあがりました。写真は帆船を模した客船SSノールウェーのラウンジです。

# by my-pixy | 2006-12-01 18:00
2006年 11月 30日
可撤性ブリッジ ( RPD.3 )
 私にとっても、初めてのパーシャル・デンチャーは67欠損でした。ブリッジにできない欠損をどう補綴するかという悩みは長い間続きました。45が健全歯であればまずはクラスプで対応するというスタンスは今も変わっていませんが、支台歯の歯冠修復が可能という条件に恵まれると、かえって迷うという状況は今も変わっていないかもしれません。
 ただ、45をクラウンなどで一次固定してクラスプ・デンチャーを装着したり、連結冠の遠心にアタッチメントを使うというような設計はとりませんでした。負荷が小さければ何事も起こりませんが、大きければ連結しても5にトラブルを生じ、その時の対応がむずかしくなるからです。多用してきたテレスコープでも問題を起こしたことはあります。しかし連結されていないので早期に異常を発見しやすく、トラブル後の対応も容易でした。
f0103459_17104421.jpg  同じような理由で動揺歯の連結や、大型ブリッジも使わずに済んだのは、テレスコープによる2次固定が有効に機能していたからです。

f0103459_1711988.jpg 私のパーシャル・デンチャーは、前回掲載した可撤ブリッジとバータイプの義歯、そして今回のブリッジタイプとプレートタイプの何れかに区分されます。
可撤ブリッジとブリッジタイプは片側か両側かの違いだけで同じグループです。欠損の形態や歯数によって義歯の形は変わっても、一次固定しない支台装置で組み立てられていることに変わりありません。

 補綴の講座が総義歯、パーシャル、クラウンブリッジ3つに分かれ、それぞれの間につながりがないことには大きな違和感を感じていました。一人の患者さんにクラウンブリッジとパーシャル・デンチャーが必要な場合、クラウンブリッジ装着可能なところを先に補綴し、残りをパーシャル・デンチャーで補綴するという通法には腹立たしささえ感じていました。その意思表示として、講演の機会には無歯顎の補綴に対応して「有歯顎の補綴」という演題を好んで使いました。

 現在のようにすっきり整理はされていませんでしたが、全体が同時に機能するためにはパーシャル部分の可動性を認めるわけにはいきまでんでした。1960年代のことです。当時の主流だった緩圧、被圧変異などという理論には訣別して、固定性可撤義歯を指向始めるのはこの直後のことです。

# by my-pixy | 2006-11-30 17:12
2006年 11月 28日
パーシャル・デンチャーの三悪 ( RPD.2 )
f0103459_1933205.jpg 最後臼歯などをなくしてパーシャル・デンチャーが避けられなくなった患者さんに、嫌われるものは外から見えるクラスプ、舌感を妨げるコネクターと大きな義歯床です。

f0103459_8435186.jpg  支台装置を工夫したり、「外形は失われた組織の範囲内に納める」ことを心がけ、かなり成果を上げてきましたが、元ただせば1本の支台歯を無くしただけというケースは少なくなく、その代わりにインプラントを使おうとしているようです。

インプラントが使えなかった頃の私のパーシャル・デンチャーを並べてみても、可撤ブリッジ型で無難に受け入れられた義歯と、バータイプの義歯になって苦情が耐えなかったものとの違いは、遊離端に1本の支台歯があるか無いかの違いでしかありません。遊離端義歯は間接維持装置を使って両側性設計!などというおかしな定説が、たくさんのパーシャル・デンチャー嫌いの患者さんを生み出したことは間違いないのです。

 いま1本のインプラントが植立できれば、上の写真の9症例はすべて下の写真と同じ補綴方法に変えることができるのです。もちろん外科的な処置を嫌われる方もあるでしょうが、経済的負担はむしろ少なくなるでしょう。そんなことは当たり前!
どだい今頃パーシャル・デンチャーがああだこうだいってるヤツがおかしいんだという方も多いでしょう。

 でもちょっと待って下さい。たしかにオステオインテグレーションタイプになって、インプラントの安定性は大きく向上しました。しかし大きな努力はフィクスチャーの安定に向けられ、その上部構造については、これまでのクラウンブリッジの手法が流用されているだけではないでしょうか。ビス止めがすたれてメタルボンドになり、ポーセレンが破折して硬質レジンに緊急避難しても、本質は何も変わっていません。

 残念なことに多くの患者さんと歯科医は固定性にこだわるために、こうした可能性に門を閉ざしています。そのために多数のインプラントが必要になったり、上部構造のセメンテーションなど厄介な問題を背負い込むことになっているのです。
一次固定をしない!。ロングスパン欠損には可撤性ブリッジ!。を旗印にしてきた私のパーシャル・デンチャーは大きなボーナスを手にしつつあります。

# by my-pixy | 2006-11-28 19:41
2006年 11月 21日
歯科医師会
f0103459_945215.jpg 久しぶりで歯科医師会の講演会に行ってきました。演者側だけではなく聴衆側にも顔見知りの多い中での会だったのですが、自己採点は最悪でした。久しぶりの出番でいろいろ考えたつもりだったのですが、「歯科臨床、現場の楽しさ」という総合タイトルと、「開業後半世紀が過ぎて」という自分のタイトルが大き過ぎたことが敗因だったようです。

 発表内容は日常的な話題にしたいと思ったのですが、発表中そのつなぎがうまくいかないことが気になって、最後まで立て直すことができませんでした。最初のジャンプの転倒が尾を引いて、全体がばたばたな演技になってしまったフィギュアのようなものです。

 最後の質問の頃になってようやくスイッチがリセットされ頭の回転も戻りましたが、反対に何十年も繰り返してきた基本概念が理解されていない中でのやりとり!という空しさを突きつけられることになりました。多様な聞き手に自分の考え方を正確に伝えることは不可能だ!と思うと、ブログなんてとんでもない受け取られ方をしているのでしょう。ようやく覚めた冬眠にまた入りたい気分です。

# by my-pixy | 2006-11-21 09:53
2006年 11月 01日
11月  ライアテア 04
f0103459_17311332.jpg クルージングを終えて島内をドライブしていたとき、タヒチアンミュージックを響かせて家周りの片付けをしている人がいました。母屋は遠浅の海を埋め立てた大きなワンルームですが、長い桟橋の先にはタヒチ流宙づりの艇庫や、船具、釣り道具などの倉庫や作業小屋などが並んでいて、海を楽しむには最高のお膳立てです。ちょっと強面の人でしたが、話し出したらマイホーム自慢が止まらなくなりました。

# by my-pixy | 2006-11-01 01:28
2006年 10月 29日
天涯の地・続き
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 9.26にハイビジョンで放送された「天涯の地に少年は育つ」の海賊版です。著作権に抵触すると思いますが、番組紹介と個人使用ということで大目に見て頂きたいと思います。

 このドキュメンタリーの主題はタイトルにもなっている4人の子供達の生き方なのですが、画像は物語のフィナーレになっていた、部落全員が楽しみに参加するビクーニャの狩りのものです。美しいアンデスの雪山をバックにした4000メートルの高地で始まります。黄色のV字型に張るネットなど大量の荷物を部落から担ぎ上げ、手前の稜線の向こう側からビクーニャを探して追い込んでくるのです。とんでもなく広い山々に全員が散らばり、岩陰にかくれてチャンス到来を待ちます。

 大人たちが仕事の分担を話し合っているとき「私は何処のグループ?」と本気で聞いてくる4才の女の子(6枚目)、毛を刈り取って解放してやりながら「気をつけて帰るんだよ」声をかける人々の優しさに打たれました。

# by my-pixy | 2006-10-29 15:58