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2016年 10月 08日
画像のデジタル化は小型カメラで始まった。
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暇にまかせて古い画像を見ていたところ面白い画像が出てきた。1990年代半ばのことでまたー!!といわれそうだが、この間の歴史は先日のカメラ設定のアンケートにも大きく影響している。始まりはいとも簡単に、かにの色がきれいだということで始まった。菅平丸太小屋の一夜である。事実上初めてのデジカメの画像には大満足で、小屋の中で接写の真似事などもしていた。そろそろ20年になるので大御所もみな若かった。

画像のデジタル化は小型カメラで始まった。_f0103459_13555730.jpg画像のデジタル化は小型カメラで始まった。_f0103459_14217.jpg
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この後10年近くも泥沼のデジタル化の苦しみが続くとは誰も予想しなかった。 コンパクトでもこれだけの色調再現が苦も無くできるのであれば、それを搭載した一眼レフができてくれればどんなにか素晴らしいだろうと期待するのは当然のことだった。

 しかし、予想は全く外れた。コンパクトデジカメは「これがすべて」で期待したような拡張性はなく、今のスマホにも及ばない用途にしか使えなかった。フィルムの35ミリ一眼レフからの転換も全く進まなかった。基本になるのはフィルムに変わる撮像素子なのだが、小さなコンパクト用の物はできても35ミリ相当のものは不可能ということになり、10年余の年月をかけて鉄道のレール幅変更にも匹敵するAPSCへのスタンダード変換という道に追い込まれた。末端のわれわれとしてはこれに加えて不完全な撮像素子、カラーエンジンなどを押しつけられて右往左往するだけだった。正確なことは憶えていないが、このクラスのデジカメに使われた撮像素子は一辺が数ミリ程度で、35ミリフィルムの24×36ミリなどは、どこのメーカーにとっても夢のまた夢のサイズだったのだ。

# by my-pixy | 2016-10-08 08:26
2016年 10月 06日
放送大学・世界の中の日本
放送大学・世界の中の日本_f0103459_1013212.jpg10月に入って放送大学は2学期目に入ったようです。9月11日にレポートした「世界の中の日本」も好評だったのか、毎週水曜日の夜8時から再放送になるようです。全15回で昨夜その予告編をやっていましたが、リニューアルされ見やすくなったようです。
イントロとして、国としてうまくいっているのは人口の少ない国が多いという事例をあげて話されました。アメリカ、日本などは小国が優位な現代に背を向けている事例としてあげらていました。その理由はしては大規模な戦争の時代が終わった現代では大国の有利さは薄れ、意思決定が速やか行われる小さな国が、交易の有利さも踏まえ条件が有利になっていることを挙げられていました。

# by my-pixy | 2016-10-06 10:08
2016年 10月 05日
口腔内写真カメラと設定
口腔内写真カメラと設定_f0103459_8541655.jpg口腔内写真カメラと設定_f0103459_9175324.jpg自分のカメラ買い換えに絡んで、製品や使いかたをいろいろ再考してきましたが、それぞれキャリアや理解度によって受け取り方はさまざまです。始めて取り組むときはカメラからストロボまで新品でベストを選ばれたでしょうが、それが何時だったかによって買い換えや交換も起こります。フィルムからデジタルへの変更のようなことはないにしても、記録媒体のSDカードだって目まぐるしく変わっていくくらいですから、電話相談を受ける時もよく相手のヒストリーを聞かないととんだ勘違いが起こります。

上の画像はD500取説の最初のページですが、いつも冒頭に並んでいたような項目は何もありません。ストラップをつけたらいきなりライブビュー撮影だ! 動画撮影だ! で、まるでビデオカメラのようです。誰が誰に向けて書いているのかと不思議になりますが、世の中はこれぐらい変わってしまっているのでしょう。新しいカメラの初期設定にもスマホを使うなど、11年前に冗談半分作った展望のタイトルは現実になっています。

その後カメラコントロールはワイヤレスのスマホに移りかけています。デジタル一眼レフはミラーレスを通り過ぎてアクション・カメラに移行しつつあります。ニコンのホームページを見ても静止画カメラの衰退は明らかですが、その中でも口腔内写真はさらにさらにマイナーな存在になっています。

# by my-pixy | 2016-10-05 08:54
2016年 10月 01日
自分の口腔内写真のレベルダウン
自分の口腔内写真のレベルダウン_f0103459_8292829.jpg 昨日、書き始めた義歯をセットしてその写真を整理しながら、口腔内写真の恐ろしい事実に気づきました。この画像はD500のXQDカードを封印してからSDで記録したセット時の画像です。上段の美しい正面観に対して、中段からは見るも無惨な上顎咬合面観が並んでいます。一体これはどういうことなののだろうと半信半疑で画像調整をしていましたが納得できず、だんだん昔にもどっていきました。かって自主製作して使い続けてきたミニリングはその後ニッシンMF18にその場を追われることになりました。マニュアルで頑張ろうという志の高さは正道でしたが、オートに流れる世間に棹さすことはできなかったからです。(この頃からマニュアルにこだわる反骨精神は徐々に萎えて行き、オートフォーカス可能なマクロレンズMicro Nikkorで反骨精神は地に落ちてしまったようです。 かってのわが相棒や、今回のビッグカメラのアドバイザーの意見も聞きながら、今回撮影した画像を見直して、問題はミラー撮影周辺に潜んでいることが分かってきました。進化はそれなりに認めながら、掛け違ったボタンは元に戻さなければならないのです。)
メモリカード問題
 まず、比較的簡単なメモリーカードの問題です。新しいデジタル一眼レフを導入しなかったことや、35ミリフルサイズ機や動画、高速連写機能を必要としなかったことで、記憶媒体(メモリーカード)についての認識が決定的に遅れていました。D500の2つのスロットのうちの1つがXQDカードに切り替えられるほど普及は進んでいたのに、混乱の収拾策としてXQDカード封印を決断しましたが、これは私の無知のなせることで、世間の流れには逆行するものでした。このカードの普及は急速に進み、ビッグカメラの商品展示もこの1ヶ月ほどの間に、5階のハードディスク売り場から地下2階のカメラ売り場に大移動し、商品の種類もメーカー、容量など急速に増えています。 そんな中で私がD500のスロットを封印するなどということは真っ当なものとは言えません。では何故、今回のようなことになったかと考えると、私のSDカードオンリーの使用法が乱脈なものになっていて、それに新企画のXQDカードがマッチしなかったためだったようです。
 具体的にはカードからパソコンへ移した画像をそのままパソコンのPSDで加工し、加工したデータを名称変更せずカードに再度に戻すといった乱脈操作を平気でやっていたようです。セミナー受講生の画像などが受講生から、セミナースタッフへ、私へとデータが渡り歩くことは日常的になっていました。その都度名称が確実に変更されたり、もとのカード上書きしなければ問題ないのですが、ルーズになった感覚で、XQDカードへのデータ出し入れもしていたことは否定できません。
「自称お化けデータ」はオリジナルデータと、同名のまま上書きされた加工データの、XQDカード内でのバトルの産物だったようです。いつもの癖でバタバタとXQDの新画像をブリッジ上で加工し、そのまま元へ戻したりすれば、同名の2つデータ間でバトルを起こるのも当然でした。
自分の口腔内写真のレベルダウン_f0103459_881441.jpg 左は昨年買ったもの、右は先日購入したものです。どちらも同じSDカードですが接点は2倍に増え、カードリーダーも高速になっていますが、しかし次になんといって買えばよいのかは分かりません。机の上にはもっと多品種が転がっています。フィルムを選んで買い、撮影現像後あれこれ言っていた時代とは何という違いでしょう。この接点の増加ぶりをみれば、新規格のメモリカードが次々出てくるのも分かりますが、現代はすべてが同じなのかと思うと気が遠くなります。

ミラー撮影
 正面観と咬合面観の色調の違いは、通常のストロボ撮影とミラーを使ったストロボ撮影だけの違いです。一定な条件を維持しやすい正面観にくらべ、ミラー撮影は被写体、ミラー、口角鉤、カメラなどが一体になって動くことは不可能です。開口量なども年々低下しますから撮影条件は年とともに難しくなっています。左右差などがあれば舌や口唇などをコントロールして異物を排除した画面を撮ろうと、いよいよむずかしくなります。
 問題は一般撮影ではあり得ないレアチャンスをどうとらえるかですが、AFや自動測光などを味方につけるか敵に回すかでも違いができます。 私たちは常に3人体制ですが、それでもその一人一人のキャリアや理解度などが結果を左右します。左右一体のアングルワイダーでカメラは片手持ちなどはサーカスとしか思えません。マニュアルをうまく使いこなすことが最後の秘策でした。

# by my-pixy | 2016-10-01 08:18
2016年 09月 28日
昔読んだ本
昔読んだ本_f0103459_9101231.jpg昔読んだ本_f0103459_9151747.jpg1970年代に読んだ本を引っ張り出しました。当時もかなり難解で何度か努力しては敗退した記憶はあるのですが、活字は小さく壁はさらに高くなっていました。ところどころに残っている鉛筆の後などを頼りに、ボルタリング気分です。
当時からなぜ、こんなテーマに取り組み、こんなことが書けるのかと不思議だったのですが、今はその動機だけは理解できるようになりました。何か藁をもつかみたい気持ちはあるのですが、今度は目と頭がいっぱいいっぱいです。

今日のきっかけは骨粗鬆症でホームに入られて10年近くになる方のお元気な声を聞けたことです。すでに90台にはいられたはずで、もう普通にお話しはできないかと恐る恐るのアプローチでした。

そんな気持ちにさせたのは、若手のプレゼンで咬合崩壊症例のヒストリーへの健気なアプローチです。自分の患者さんの現状とも合わせて、今後基本ゼミなどの中心テーマにもしようとスライドも作ってみました。

# by my-pixy | 2016-09-28 13:47