2006年 02月 20日
![]() ![]() 2~3回、演奏者に来てもらってミニコンサートなどということもありましたが、あまりさまにはなりませんでした。それどころかBGM的に聞くには音量が大きすぎるので、自動演奏のボリュームはいっぱいに絞って・・・ということですし、自分の練習など始めようという気もないままでした。20年近くも放りっぱなし、調律も3回だけで朽ち果てさせるのは可哀想になってきて、嫁入り先を探すことにしました。 当院の技工およびオークション担当の萩原氏がWebでポータル・サイトにのせてくれたところ、2~3日で数カ所から見積もりが入ってきました。かなりばらつきは大きくメーカー直系のところが最低でした。もっと面倒かと思っていましたが、これで上限のところに決め引き渡し日を決めると、その前日には代金が振り込まれてきました。 どこから出すのだろうなどという心配はよそに僅か1時間、脚を外されたピアノは空を飛んでクレーン車で旅立っていきました。 身軽になってこれでもう一度マダガスカルに行けるかどうか・・・・ #
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| 2006-02-20 16:48
2006年 02月 16日
![]() これから浅田真央を欠くフィギュア陣が登場しますが、あまり見たいという気にはなれません。スルツカヤ、コーエンの残りに一人が入れれば上々でしょう。いろいろ問題はあるのでしょうが、その最たるものがマスコミだと思います。トリノ五輪が始まる前、栄光の長野オリンピックや今年のグランプリ・シリーズの録画をどれほど放映したでしょうか。有力選手の密着レポートも限りなく、この撮影にどれほどの時間がかかったろうとも心配になりました。あれだけちやほやされてはアスリートがタレントになっていくのもやむをえないでしょう。いざ本番、蝶よ花よの世界からいきなり勝負の場に連れ出され、金縛りになってなっているような印象を受けたのは私だけでしょうか。実力主義の欧米勢と温室育ちの日本勢の違いは予選のあるゲームで際だちました。予選は通過することが第一と確実さ優先で事を運ぶ選手達と、エンジン全開で一発勝負をかけ次々玉砕していく日本勢と違いが際だったのはハーフパイプでした。 #
by my-pixy
| 2006-02-16 16:46
2006年 02月 07日
![]() 同じようなことはスキー場でも起こります。昨年話題になったPホテル、日本中のスキー場でもあちこちで大型リゾート開発を行いました。その中の奥志賀高原、ニセコ、富良野、雫石などには何度も通ったことがありますが、ホテルを中心に和食、中華のレストランとゴンドラを配置するというスタイルはすべて共通です。奥志賀、ニセコには毎年のように出かけましたが、富良野、雫石はそれぞれ1回ずつだった思います。しかし今はそのすべての記憶がごちゃごちゃで、同行したメンバーと話しても、いつの何処のことだったかさっぱり分かりません。自分たちの記憶の衰えを棚に上げるわけではないのですが、戦前や戦後まもなく、欧米人を意識して建てられた赤倉観光ホテル、志賀高原ホテル、白馬東急ホテルなどはいずれも特色ある良いホテルでした。そしてその記憶ははっきりしていることを考えると、やはり無個性な建築の罪はありそうです。 #
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| 2006-02-07 16:44
2006年 02月 06日
![]() 今回の会場となるトリノは、その南側になるニース、カンヌ、ジェノバや、北側になるシャモ二、バルディゼールなどを何度も訪れ、ミラノからスイスやオーストリアへのルートとしても、すぐ横をたびたび通過しながら立ち寄ったことがないのです。フェラーリ、マセラティの本拠でもあり、ピニンファリナのデザイン工房の所在地でもあったのに!と、トリノの紹介番組を見ながら悔しがっています。 工場見学といった気はないのですが、毎月行われているという公道上のレースや、それに熱中する土地柄には大いに興味があります。また街の内側から北のアルプス南のリビエラという、たぐいまれな自然環境を体感してみたかったのです。 #
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| 2006-02-06 16:43
2006年 02月 02日
憑かれたようにシャッターを切りまくって1ヶ月、だんだん元の生活にもどりつつありますが、一方では「夢よもう一度」という気分も消えてはいません。写真を撮るという動機には、前回も書いたような観察的なものもありますが、やはりびっくりするような感動の方がインパクトが強いに決まっています。 1964年の海外渡航自由化以降、なけなしの小遣いをかき集めてはヨーロッパを歩き回ってきたのは、国内旅行では味わえない景観や異文化との遭遇があったからです。といっても初めのうちは何年かに一度が精一杯で、1年に複数回になるのは80年代以降のことです。中心部のドイツ、フランスなどを皮切りに一つずつ目的地を絞り、北欧やイタリー、ギリシャ、スペインなどに日数をかけるようになりました。ジブラルタルでは、すぐ対岸はアフリカというところまで接近しながら、足を踏み入れる勇気はありませんでした。植民地問題などもあるのですが、あの強烈な音楽や色彩などに出会うことに、得体の知れぬ怖さを感じていたからです。 ![]() いま行ってみたいと所といえばアフリカか南米です。しかしどちらも遠く大きく強敵で、時すでに遅しの感は否めません。手近なところではパプアニューギニアなどですが、何となくバオバブのようなロマンの香りがなく、強面な現地の人たちにも怖じ気づいています。(特別意味はないのですが、最近熱中している場所や樹の名前がよく似ているので図にして見ました。Bが五つ、Aが四つ、Oが三つ、Rが二つで何か不思議なのです。) #
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| 2006-02-02 16:38
2006年 02月 01日
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| 2006-02-01 00:37
2006年 01月 01日
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| 2006-01-01 16:35
2006年 01月 01日
2001年 08月 20日
![]() ![]() 最後の写真はデービスクラウンの40年経過症例です。下顎前歯は天然歯ですがその切端によりデービス冠には圧痕が刻み込まれていますが、その後も破折は起こりませんでした。天然歯列で特異な修復物でなければこうした穏やかな推移をとるのではないかと思っています。最後の画像内の数字はそれぞれの修復物を装着した時の西暦年数です。 ![]() #
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| 2001-08-20 12:48
2001年 08月 19日
![]() ![]() リスボンの中古家具から始まって昔の資料整理にはまり込み、とんでもない泥沼にはまりこんでしまいました。この時期はフィルムからデジタルへの大変革の寸前で、急速に広がる海外旅行との板挟みで、膨大な資料の整理に苦しんでいた時代でもありました。その頃始めた年1回のマイカレンダーも、資料の整理にとって両刃の刃になりました。古傷を撫で回すよな作業に1週間を費やしましたが、そろそろお後の時間になりました。ポルトガル旅行もこれまでで次の話題に移ります。 #
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| 2001-08-19 15:53
2001年 08月 18日
![]() ![]() ![]() リスボン市内の観光中、現地若者の新学期のパレードとぶつかりました。どうやらこちらの方が面白そうなので、私は同行者とは離れてこちらの集団について歩きました。 ただ熱中している彼らからは、容赦なく水と小麦粉の爆弾が飛んでくるので大変でした。 #
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| 2001-08-18 08:53
2001年 08月 17日
![]() ![]() 色とりどりの塗装の電車もあってまさにワンダーランドです。 #
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| 2001-08-17 07:44
2001年 08月 16日
![]() 私にとっての初航海は1964年の前回東京オリンピックの年でした。その後かなり無理をしてヨーロッパには通い続け、パリやチロルは身近になりましたが、往復航空券にエキストラ運賃が加算されるポルトガルは依然として遠い海の彼方でした。それにもかかわらず一歩を踏み出したのは「ベルリンの壁」崩壊などという思わぬ出来事があったからです。その経緯はまたのことにして、今回はタンス長持のお話です。 ![]() 当時からかなりボロボロでしたが今も自宅の居間の真ん中に居ずわっています。これに成功してその後もいくつもの家具が、地中海から真鶴のサマーハウスなどにもやってきました。 ![]() #
by my-pixy
| 2001-08-16 14:49
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