人気ブログランキング |
タグ:歯科臨床・Cr-Br ( 143 ) タグの人気記事

2019年 08月 22日
精密鋳造とピン
1950年私の学生時代に日本の歯科大学改革などが始まったが、そのベースになったのは太平洋戦争以前にアメリカに留学されていた方々が持ち帰られたものが基本になっていたらしい。私のバイブルになった原田良種先生の「私の臨床」はもちろんのこと、私の父の留学中の模型実習の残骸(1945年3月10日東京大空襲でほぼ全焼)などにも精密鋳造に賭ける並々ならぬ情熱を感じるし、ほぼ同じ頃にスタートしていたナソロジーの人たちの業績もこの時代のことだったはずである。
f0103459_9383051.jpg
何度となく読み返したり、引用もした原田先生の著書だったが、その後半に私が気付いていなかったピンレッジ、リバースピンなどの記載があることに気がついた。(この著書の原本になった歯界広報という雑誌連載時はまとまっていなかったものを書籍化に伴って追加されたためと思われる。)

 Sooshanという人の著書からの紹介と思われるが詳細はわからない。ただ戦後早い時期に石原寿郎先生が注目されていたピンレッジなどのルーツを見たような思いがした。

by my-pixy | 2019-08-22 09:39
2019年 07月 31日
1999・どう進む日本の歯科臨床
f0103459_1515184.png
昔のデータの調べ物をしていて面白いデータが出てきましたが、もう20年も昔のことで、何をやったかの記憶も定かではなくなりました。ちょうどカメラもデジタルに変わる1999年頃のことで、面白がってこのタイトルを作ったことだけは覚えていますが、演者の方々との打ち合わせの記憶も定かではありません。
ちょうど2回の東京オリンピックの中間になるわけですから元気だけは良かったと思います。総合タイトルだけで自分の演題なども残っていませんから、この頃大忙しだった「臨床ファイル3」の仕上げに熱中していたせいかもしれません。外人演者頼みだった風潮に抵抗したい気分から、主催者と打ち合わせた微かな記憶以外はすべて忘却の彼方です。

by my-pixy | 2019-07-31 15:01
2019年 07月 19日
テレスコープやコーノスクローネの障壁
f0103459_10104576.jpg
 われわれの臨床ではテレスコープやコーノスは、2000年前後からスタディ.グループなどを中心にゆっくりと広がりを見せていった。しかし近年になってその足取りには陰りが見えてきた。その最大の原因は貴金属の高騰にあると言われているが、その他にもいくつかの要因があると思われる。

第二の要因は慢性的な技工士不足にある。各地の技工士学校では廃校が相次ぎ、名門だったところでさえ閉鎖に追い込まれている。更に卒後の就職先も狭き門になり、転職に追い込まれる新卒者のケースもよく耳にする。 こうした逆風を乗り越えることは容易ではなく、政治的な解決などは全く期待ができない。問題は技工士という職業の将来に何の夢も見出せないのだ。

 視点を変えて補綴の歩んだ道を振り返ってみると、歯周病をめぐる長い混迷を抜け出すのに半世紀を要し、メタルボンドに一次的な安らぎを得たものの、高齢者への対応には未だ道は開けていないのが
現状だ。デジタル化、AIなどめまぐるしく変わる近年の社会情勢を見聞きする中で、歯科臨床も抜本的に考え直す時にきているのは間違いない。そしてここでのキーワードが二次固定でテレスコープを活用する最大の出番なのだが、実現のための態勢が整っているとは言い難い。

by my-pixy | 2019-07-19 08:26
2019年 07月 16日
たった2年! どんな保障をしてくれるのか?
f0103459_10595510.jpg
f0103459_1102861.jpg

時折カタログなどを散見するものの、最近の技工関係の情報はその気になって見てはいませんでした。臨床歯科を語る会・地酒の部屋で技工士さんと話をしたことがきっかけになって、来週には数人の方達と情報交換をする計画が進んでいます。
 われわれがテレスコープや二次固定にのめり込んでいる間に、世の流れは保険導入などなどを巡って、大きく様変わりしているようです。今更流れを変えることはできないでしょうが、最後の抵抗だけは試みるつもりです。
 上の写真では支台歯のマージンがどこまで再現されているのか全くわかりません。下の写真では失活された支台歯の色調をどこまで隣在歯に適合させられるのかも心配です。これがコマーシャルになる世界の方達とはディスカッションできるでしょうか???。さらに二年間保障というCAD.CAWインゴットは誰が何を保障してくれるのでしょう???。不思議な世界ですがこのメーカーだけのことではないことは明らかです。

by my-pixy | 2019-07-16 11:00
2019年 06月 01日
200年回顧
ブログが具合悪かった間にあれこれ思案を巡らし、歯科臨床はこの200年あまりの間に何を解明したのかを考え直して見ました。私が臨床に入ってきた当時、歯科臨床の第一線にいらした大先輩が明治から大正にかけての方々で、その足跡を辿ることで1800年代末期に落ち着きました。これ以前となると義歯はゴム床で平線咬合器もなく文献的にも見るべきものはありません。
f0103459_12194375.jpg
 
 200年という年月は歯科医の職業寿命にもまつわる大きな問題ですが、戦争という断絶も含め、咬合というテーマが歯科臨床に取っていかに重すぎる課題であったかが、Gysi,マッカラムなど歴代の大家の足跡からも良くわかります。不遜な言い方を許されるなら、「歯周病」と「咬合」は歯科臨床のパンドラの箱だったのかもしれません。時間軸を変えて見直すと、無歯顎・有歯顎と咬合にまつわる諸問題はその難しさがはっきりします。

by my-pixy | 2019-06-01 09:11
2019年 05月 06日
クラウンブリッジのための調節性咬合器
f0103459_944129.jpgf0103459_8594813.jpg1900年代を総括した石原寿郎先生らの「下顎運動と咬合器」(1950)に次ぐ、クラウンブリッジを対象にした別冊で、下の図は末次先生による咬合器変遷史である。この他にも臨床歯科を語る会などの多くの臨床家が参加し、未成熟ながら1977年の時点での集大成といっても良いだろう。

 私自身は、編集担当としてこの別冊の企画にも参加しつつ、自分自身では別の連載に熱中していた。
1974年「咬合器 私の使い方」である。この連載の完了はパーシャル・デンチャーにも緩圧などいう大きな動きは許容しないリジットな可撤義歯の誕生を予見し始めたからである。
 少数歯を対象にしたクラウンブリッジから、テレスコープなどを活用したより大型のパーシャル・デンチャーへの架け橋は着々と実っていった。その最大の味方はイニシャル・プレパレーション、プラーク・コントロールなどペリオの前進だった。
 大昔の「アンテの法則」を軸に従来のパーシャル・デンチャーはCr-Brの領域に吸収されることになるだろう。私がまだ駆け出しの頃好んで使っていた「有歯顎の補綴」という演題は夢ではなくなった。
「平成から令和へ」の回顧談でした。
f0103459_15311588.jpg

by my-pixy | 2019-05-06 09:00
2019年 05月 05日
1978年「総合診断のアプローチ」
今ではリタイアの身となりましたが、当時は出版社の企画会議でもチンピラの企画者が大風呂敷を広げ、諸先輩にお願いして歩いて、シリーズのオープニングを担当させて頂きました。
f0103459_12455421.jpg
f0103459_12463087.jpg
怖いもの知らずの40代半ばだからできたことでした。持て余し気味の10連休に当時の資料などを見直していましたが、この後の40年余りの社会の変遷には驚くほかありません。特に後半の歯科臨床を担当して頂いた諸先輩は、日頃臨床のイロハを教えて頂いていた方々で、恩を仇で返すような仕打ちではなかったかと深く反省しています。特に「診断と術後経過」というくくりで巻末をまとめて頂いた3人の先生には
何とも申し訳なく、自分の症例記録をまとめるこの頃になって深く反省しています。最後の片山先生が引用されていた、20年後の長命地獄「日本老残」という書籍は、痛い苦しみを繰り返す度に忘れられないものになっています。

by my-pixy | 2019-05-05 12:46
2019年 05月 04日
「平成」を生きた練るコーナー
10年が過ぎ、その機材は散りじりになりましたが、ここで得られたものは現在はもちろん、CAD/CAMや光学印象の時代になっても厳然として生き残るでしょう。
f0103459_14281690.jpg


by my-pixy | 2019-05-04 14:28
2019年 05月 03日
第一歩はトレーと接着剤の総点検(復刻版再掲載)
f0103459_9503544.jpg

by my-pixy | 2019-05-03 14:24
2019年 05月 02日
アルギン酸印象材にまつわる「平成」大実験
f0103459_147358.jpg先日の基本ゼミの印象のイロハを見ていて、10年ほど前のことを思い出しました。ことの始まりは長年続けている作業模型と対合歯の不一致でした。部分的には石膏の硬化膨張などに絡んで、何度も繰り返してきた問題なのですが、あちらを立てればこちらが...でスッキリはしていなかったからです。
 その全体像は左のようなものでしたが、技工室だけの問題ではなく診療室全体の問題として、不退転の決意で取り組むことにしました。その経緯は総てブログに書き残していますが、その後10年技工室と診療室の乖離は進んでしまっているので、まとめ直すことにしました。ただ面倒を厭わずタグをタグって見てくださる方は良いのですが、若手の勤務医の方には勤務していっらしゃる医院、病院のシステムにかかわることですから、実践は無理でしょう。ただ知って頂くことは必要なのです。
f0103459_13574656.jpg
1.最初に気付いたことはメーカー任せのアルギン酸用の接着剤という「怪物」でした。
2.次のステップは接着剤なしでのトレーとの接着でしたが幸運にも恵まれてそれが
確保できた時作戦は一気に峠を越えました。(メーカーとの確執はありましたが)

by my-pixy | 2019-05-02 12:54