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2014年 05月 17日
12月28日 ロスアンジェルス
S.F.O、ハワイで歩き疲れたしロスはそれを上回る広さのということで、到着後レンタカーを借りることにする。Hertzと云う会社が最大らしいので空港で手続きに行く。5〜10分位でポイと鍵を渡されどこそこに停まっていると云われそれでお終い。あまりの簡単さに驚く。ともかくレンタカーに対する考え方は日本と大きく異なり、タクシー以上の日常必需品ということがよく分かる。空港、ホテル、街なかの旅行者が歩きそうな所には軒なみに各社が店を拡げている。ワーゲンでも借りようと思っていたのにシボレーの一番大きな奴(インパラ)をあてがわれる。ドアーなど皆開け放しだ。荷物を放り込んで走り出す。空港のポーター、タクシーの運ちゃんへの気遣いがないことはあり難い。問題は道だけである。それもレンタカーデスクでこと細かに道案内を書いてもらった紙と地図をSが真剣に見比べる。

 こちらはアメ車特有の頼りなく軽いハンドルを気にしながら、薄でかい車体を引きずって右側通行で走らせる。フリーウェイに入ると殆どの車が100km/h位で走り始めるがこちらは何時、右に左にターンしなければならなくなるかも知れないと思えばそうもスピードは出せない。ということで50マイル(80キロ)位を保って走っていると両側からゴボウ抜きに追い越される。抜かれる恐さはやはり抜く時の比ではない。
 片側で優に4車線はあるからもたもたしていれば同時に3台に追い抜かれるし、速度の基準が違うから日本ではさまざまな車に乗り、スピードを誇る小生といえども如何ともしがたい。わずか数分で肩がカンカンに凝ってくる。何とかフリーウェイを抜け出した時はホッとした。ここ迄は左ハンドルの右側通行も大して気にはならなかったが、一般道に出て左右に曲がらねばならなくなるとそうはいかな
い。
 ホノルルでも2人してバスに乗ろうと待っていると、やって来るのは反対方向行きのバスばかりだということが何度かあった。右折する所で大回りをしてしまい慌てて右側に戻るなどの一幕もあったが
12時頃ホテルに着いた。車を隣の駐車場にパークし(35¢/h 1.5$/day)SFOで仕入れたウイスキーなど飲んで眠る。

 f0103459_9534920.jpg翌朝向かいのビルの取り壊し工事の轟音に目を覚ます。あまりよく眠れない。この旅行に出てやはり最大の障害は睡眠で、言葉やら何やらで興奮しているので夢を見るばかりで熟睡はしない。それが夜行のフライトと積み重なってくる。 T商店のH氏、モリタのMa氏から電話をもらう。この旅行で初めて他人の世話になることになる。あまり気分は良くないが気楽になることはこの上ない。10時M氏とHamilton商会へ行く。日本の材料店とは全く異なった姿に驚く。若い店の人に適宜商品の値段を聞くとすぐわからなくても一寸調べて直ぐ返事がくる。始めはなぜかよく分からなかったが各社商品に一貫したPrice Listがあり、それが通し番号ですぐ誰にでもわかるようになっているのに驚く。
 時間にせかされながらも、散々かきまわして3階のショールームでデンタルユニットの展示を見、カタログなどをゴッソリ頂戴して昼頃店を出る。キャフェテリアで食事をする。コンビーフ始め大変うまくアメリカの食べ物を見直す。特にS.F.Oのハンバーガー同様コンビーフがこういう食物とは知らなかった。次いでS.S.Whiteの店へ。これは大した目新しいものはなかった。Den-ti-Moを見たいと粘る。M氏渋々色々聞き合わせロスDentalに伺う。ロスの街はS.F.Oに比べ遥かにわれわれのもっているアメリカ的都会という印象にマッチするが、S.F.Oのように強く感動するものはない。Den-ti-Moは本店になく更に数十分離れた新しい支店に車を走らす。64年のコルベアは中々快適だが運転の方は全く頂けず、眠りに落ち込みそうになりつつしばしば目を覚ます。ウトウトするなかに到着、暫く待たされたが色々事細かに説明してくれる。店のチーフの人の商品に対する理解度の深さ、それを売る為の熱意などを感じる。
f0103459_18555857.jpg Den-ti-Moの考え方にも興味を感じる。Space Lineの考え方と対照的な点を特に興味深く聞く。椅子の低さについての考え方、Dental EZのドーナッツ型ヘッドレストなど予想以上のものがあり大変満足。器械材料商の人間のあり方、商品の扱いなどにも共感を覚える。Ma氏の招待でLittle Tokyoの寿司屋に連れて行かれる。折角ロスに来たのだから昼のキャフェテリアのような所へ行きたいとと強く反対したが、スポンサーの意向に目をつぶる。かなりの支払いで馬鹿らしさ一入。店を出て車から荷物をまとめ空港へ。24時間1$50¢の駐車料は他のものに比べてメチャ安い。今日1日のお付き合いに感謝し、こういう形で世話になることを反省しつつ空港で別れる。
 N.Y行きのUAジェットはJAL並みに空いていた。昨夜のことを思い早々に寝込もうとした時スチュワーデスに何か飲み物は?と聞かれつい断ってしまった。だが暫くするとマティニーとかスコッチとかいう声がし、Sのテーブルにバレンタインの小瓶が2本も並んでいるのを見てはたまらず、ノコノコ起き出したが「やはり何か飲む」とは言えなかった。しかしそのおかげでN.Yに着陸するまでの3時間は何も知らずに眠る。

by my-pixy | 2014-05-17 18:56
2014年 05月 16日
1964年12月27日 サンフランシスコ
 パンアメリカンのジェットは総ての点で日航より劣った。しかし機内の食事はやはりうまい。雨のサンフランシスコ空港に着く。タラップがそのままの高さで建物に続いていたり、廊下やロビーの感じなどホノルルとはダンチでやはり本国と田舎町の差をピンと感ずる。コンベアから回転する円錐型の円板の上にはきだされる荷物のキャリアなども心憎い。周囲の人間からもいよいよ本国に来たという感が強い。雨と荷物でしぶしぶタクシーに乗る。ヒドい車だ。ドアトランクは力任せでなければ閉まらないし、ハンドルも歪んでいて丸くない。
 片道3車線位(日本なら5車線)のハイウェイを100km以上で走っていく。雨だし車の程度を考えると恐ろしいが、道路はこれこそ確かなハイウェイだ。ハワイにはとてもこのクラスのものはなく日本の高速道路をやや程度をよくした位だがこれは全く別のものといった方がいい。名神と云えどもこの半分にも満たないだろう。右側通行もまたぴんとこないしレンタカーを借りてもとてもこのスピードの流れには乗れずパトカーに最低速度違反で捕まりそうだ。もしそうなったら大きな証明書でも書いてもらって日本に持ち帰り、ホンダの後にはりつけて走ってやろうなどと考える。
 ハイウェイの両側には大きな起伏が続き街の灯がいっぱいに散りばめられている。車の速度のせいかタクシーメーターがどんどん上がっていくのが気になる。やっと8ドル近くなってホテルについた。どうみても他の支出に比してアンバランスに高い。荷物をほうりこんで再び街に出る。9時、ほとんどの店は閉まっているがウィンドーも店内もあかりをつけたままで、そのディスプレーは中の品物に全く興味がなくても楽しい。高島屋のウィンドー以上のものが色々趣向をこらして並んでいてハワイが急に田舎臭く色あせてくる。キャフェテリアのハンバーガーが大変うまくこの食べ物の認識をあらたにした。バレンタインなどを仕入れて帰る。

 ふと目を覚ますとSが地図を広げている。何時だと聞くと3時だと云う。眠りそこなったとぼやいている。これで今度はこっちがおかしくなった。うつうつしながら又眠り込み水を飲もうと起き出すと外は薄明るくなっているがこの間の時間の経過が全くわからない。時計は7時だがそれにしては大分暗い。Sももそもそ起き出し7時だと云うと夕方の7時かも知れないと云い出す。そういわれるとそんな気になって心配になってくる。何分にも相次ぐ時差の修正とウィスキーと睡眠薬の併用などでどうにもよくない分からない。夕方だとすればチェックアウトを過ぎて料金をとられるしロス行の出発時間も切迫している。仕方なくテレビのスイッチなど入れるがよく分からない。不安な十数分の後やっとGood morningという挨拶を聞き一安心する。どうも少しイカレテきたようだ。

f0103459_13471423.jpg こんなことで睡眠不足の上塗りを重ねることになった。仕方なくシャワーなど浴びて出掛けることにする。昨夜の予定に従い先ず名物のケーブルカーに乗りFisher mans wanfなどへ出掛ける。少し雨に降られるがやがて朝の陽差しに恵まれ相変わらずカメラをふりまわす。横浜の桟橋みたいな所だがこの辺りの店だけはなかなか良い感じの店構えだ。もちろん街中とは違うがそれなりにしっくりしている。ところが同じ並びの土産物屋は全くいただけない。ひいき目に見ても日本の観光地と同じ様なものばかりだ。むしろ若干それより程度が悪い。どうしてあれほど美しい街を作りウィンドーの飾り付けをする人間がこういうものに興味をもつのか全く理解出来ない。

 S.F.Oは坂の町と云われるだけあって本当に町中が坂又坂でそれも大変急な坂が多い。しかし家はみな坂をそのままに階段状に整地しないままに建てられている。家と家の間はきっちりついている。車のパークがまたこのひどく急な坂に日本と同様ギッチリつめて停車している。よくあの急な坂にうまいとこパーク出来るものだと思うが驚くのはそれだけではない。同じ様に急な坂に横向きにパークしている所がある。スポーツカーのようにサスペンションの硬い車はともかく、キャディなどのポンコツはただでも柔らかいところへショックなどもいかれているので、片方はスプリングが伸びきってフェンダーからタイヤが丸みえになり、下の方はバンパーやエプロンが地面すれすれになってパークしている。われわれには恐ろしくてとてもあんな状態でパークすることなど考えられない。

 f0103459_9421112.jpgケーブルカーについて思い出したがこの乗り物は、現在では能率的でないということでほとんどどバスやトロリーバスに変えられてしまったという。したがって現在は観光客用になっているらしいが、乗っているのは必ずしも観光客だけではない。土地のお年寄りから若い人達にも大変愛されているという印象を受ける。みんながケーブルカーを大切に思いながら実用にも使っているのがよく解る。速度がさほど早くないから仲間を見つけて声をかけたり、飛び乗ったり、降りたり、ステップの所の手すりに立ってぶら下がったり。ひどい時は車輛の前後にぶら下がってしている。又それを危ないとか何とか色気のない事をいう運転手やお巡りもいない。若いカップルやらジーパンの連中やらが楽しそうに乗っているのは、このケーブルカーの姿を何倍にも引き立たせている。

 歩きまわった後カニを一匹買って食べる。塩ゆでだけだが大変うまい。今回日本を出て以来最高の食い物だ。バスでマリーナへ行く途中の住宅街の美しさは何とも書きようがない。同じようなしかし決して一つとして同じではない色が淡いパステルカラーの濃淡で延々と続いている。おとぎ話のお菓子の家のイメージがぴったりする。何れもの家がきれいな色にぬられ妙に新しいものも古くくずれ落ちそうなものも一軒として見当たらない。総てが家の前の芝生や植木に至る迄よく手に入れされ、窓々にはこれも又ほとんど同じくらいの大きなクリスマスツリーが飾られている。それでいて決して全く画一ではない。これがどういうことなのかわれわれには理解が出来ない。いくら所得が同じ考え方が似ていてもこうも同じようにはならないだろうし自己主張もしたくなるだろう。と云って公団のようなスラム的な臭いは全くない。家の窓にも通りにも殆ど人影がないことは不思議だった。休暇で何処かに出掛けたにしては車が各家毎に止まっているし日本的な塀に囲まれた庭はなさそうだ。全く不思議な国に迷い込んだという感じだった。マリーナには豪華なヨットが沢山並んでいたが、これは予想通りで特に印象に残ることもなかった。

 食事の事では殆ど店頭に価格をはっきり書き出している。また店の中にはそれぞれのメニューの内容をこと細かに表示している。例えば1/2ポンドのハンバーガーとか、厚いハムと大きな卵2ヶのハムエッグといった感じで。ただ卵と書いてあるものもあるし1/4ポンドのハンバーガーと書いてあるものもある。あまりうまいとは思えないし安くもないが量は充分である。この点は日本の飲食店と対照的だ。立派なレストランやホテルなどでも同様である。
 S.F.Oもその広さは大変なものだと思ったがロスは又この比ではないらしい。機上からもその広さは推察される。JETが高度を下げるほどにその広大さ点がはっきりする。それとS.F.Oもそうだったが機上からの夜景で市街がはっきり区画されていることが分かる。ハイウェイが太い光の帯となっていることでその規模が推測出来る。東京の夜景はただベタ一面の光の海で線がなかったのと比べると、道路率の差や都市計画の差がよくわかる。

by my-pixy | 2014-05-16 13:24
2014年 05月 14日
1964年・12月25日 ホノルル 2
 しかしあのペースで遊びまわっていたらすぐに魂が抜けて浦島太郎になりかねない。ともかく底抜けの明るさ楽しさである。オフシーズンの雨期でもこれなのだから本格的シーズンが思いやられる。そういえば今日はクリスマスなので、あちこちからその音楽が流れてくるがこればかりは白々しくてピンとこない。街で逢った人にMerry Christmasと挨拶されてビックリした。それにしてもここの言葉は英語にしても日本語にしてもどうも難しい。それと日本語が話せると云ってもその底は浅いらしく、調子に乗って色々話し出すと怪しくなってくるのでどころ切り上げ所が難しい。歩き回ったのと2〜3日来の寝不足でクタクタになってホテルに戻る。しかし時間が惜しく一風呂浴びてレンタカーでもとまた出かけたが、出払って一台もなく一回りしてホテルに帰りベッドに倒れたまま1時間ほど何も知らずに眠る。

 目が覚めると辺りはすでに暗く、足は重いし靴を履くのも大儀だが時を惜しんで夜のワイキキへ出かける。つい先ほどまで裸で歩き回っていた連中が夜ともなると一応の服装をして歩いている。何か急にアメリカ的色彩が濃くなった感じだ。緑が闇に溶け込んでしまったせいかネオンのせいかともかくすっかり街の感じが違う。ローヤルハワイアンホテルはさすが老舗の貫禄で素晴らしい。南国の夜のムードを出していたが昼間と違ってヤンキーのみなので一寸馴染みにくい。建物自体は古臭いが一応貫禄があるし、庭の取り入れ方が巧みで開放的な建物とうまく組み合わされている。照明によってヤシの木が昼間とはまた別な効果をあげている。歩き疲れ食事をしようと表通りの店に入る。special dinnerのステーキの肉のまずさは苗場のカツを思わせる大変なもので、2$だと言い聞かせながら胃袋の中へ流し込んだ。

f0103459_935155.jpg12月月26日 ホノルル
 朝、ふたたび浜へ出る。昨夜は眠れず調子が悪い。しかしカメラを持って外へ出るとそれもまた忘れてしまう。浜で波乗りの真似事をしている男の子と友達になり、Sはとうとう泳ぎ始める。こちらはとてもそんな元気はなくカメラを振り回すのが精一杯だ。 少し早めにタクシーを呼んで寄り道をしながら空港に行ってもらう。ハワイアンアイでおなじみのHilton Hawaiian Village は、やはり至れり尽くせりの設備でここだけでも何日は退屈せずに写真も撮れそうだ。旅に出てから色彩効果か、何でも写真的によくまとまるのに驚いている。降りて歩きたかったがそれほどの時間もなくホノルルの市街に入る。ここで初めて遊びを離れたハワイの生活を見るような気がした。人間を除いては東京とそう大きくは違わない。銀座、丸の内あたり並みの印象だった。

by my-pixy | 2014-05-14 08:49
2014年 05月 13日
12月25日 ワイキキの浜辺を
f0103459_8362175.jpgお決まりの手続きのあと日航の駐在員らしき人の手を離れ、さてこれで当分日本語ともお別れかと諦めタクシーに乗る。下りるときチップの計算などをしている中に5$あまり巻き上げられる。日本のタクシー運賃の2倍位の感じだ。次はフロントとポーターへのチップと緊張し先ずフロントへ。ところが飛び込んできた第一声は「いらっしゃいませ」。シメタと思うより飛行機のトイレの水洗液と同じで意表をつかれて、二の句がつなげなくなった。ただその後は何かあるごとに相手を読む苦労が加わった。荷物を部屋に放り込んでカメラ片手に寝不足もものかわ直ちに外へ飛び出す。

 水族館でも見ようかと歩き出したが、物珍しさから立ち止まる頻度がだんだん多くなり、8ミリフィルムはどんどんまわっていく。あちこちで初めてお目にかかるサーフィンが気になるが一寸距離が遠すぎる。反対側は一面に広がるヤシ、ソテツなどの木々や芝生の緑が目に痛いようだ。そのヤシの木立の間を写真でしか見た事がなかった車が流れていく。ムスタングがアルファロメオがバラクーダがコルベットが、片面4つドアーのリムジンも面白い。なんと云ってもスポーツカーがやたら多く気が散ることおびただしい。なかでもムスタングがスポーツカーの中では圧倒的だ。バラクーダのリアウインドーはヤシの実でも落ちたらと気になる位大きく美しい。ブルバード次いでフェアレディもちょこちょこお目にかかるが他の日本車はあまり見かけない。その中でベレルを見つけた時はガッカリした。なにも海外まで恥をさらすこともあるまいに。とにかく車種の多さは全く驚くばかりだ。レンタカー1日5$というのはすごい安さだ。それもれっきとしたシーヴーなどだから、たとえマイル当り5$とかのチャージがあっても、1日乗り回して10$位だろうからタクシーの料金とはひどくアンバランスだ。  
f0103459_12283245.jpg ヤシの木の背の高いことに驚く。大きなのは10階の窓位まで達する。あれから実が落ちてきたらと心配する。何しろ街中でも店の屋根に丸い穴など開けて繁らせるくらいそこら中ヤシだらけなのだから、時には頭に当たって急死などという人もでるのではないかと思うのだが。ソテツも奄美で見たのとは大違い。奄美のものが台風で痛めつけられ、殆ど幹がなかったのにここではヤシと同様野放しに育っている。浜を歩いて磯の臭いがまったくないのは不思議だ。岩場がなく海草類がないせいだろうか。砂がすごくきめ細かく淡いベージュ色をしてる。砂の細かさはザラメと普通の精製糖位の違いがある。そのせいか足が潜らず大変歩きやすい。多分これは砂のもとになるものが珊瑚だからだろう。

 浜で体いっぱいに陽をあびて多様な人種が思い思いのポーズを繰り広げている。最近の日本の海水浴場はよく知らないが、こういうシーンは映画や写真でよくお目にかかってははいるが、現実にその中に自分をおいてみるとやはり肌に感じてくる何かがある。夢中でカメラを振り回しているとだんだん酔いがまわるように彼らが味わっている気分が体の中に染み込んでくる。しかし裸足で裸の人間しかいない浜を、重い革靴、冬のズボン、シャツで暑さにフーフー言いながら指が痛くなるほどカメラをまわしている奴は、完全なストレンジャーである。カメラなど放り出して海パンで頭にバスタオルを敷いて、サーフィングボードなどを乗せてやってこなくては駄目で、街を歩いてもダークな洋服は全く冱えない。最低、半ズボンにアロハである。車といい着ているものといいカラフルなのでわれわれの服装はポリスかそれ以下だ。後で思いついたことだがせめてスキー用のブルーのエラパンで裸足で歩けば良かった。こんな風だから例のムームーなどというやつが、ひどく派手な色彩をまき散らしてもちっとも気にならない。そのムームーもわれわれの知っているようなのとは違って全部裾を引きずる位長く、かつ巾も大変たっぷりしている。いうなればアロハイブニングドレスだ。

by my-pixy | 2014-05-13 08:40
2014年 05月 12日
1964年12月25日 羽田
f0103459_14352342.jpg大勢に見送られゲートインする。ゲートから22番までの距離はきわめて長く途中よりカバンを床の上を引きずりながら歩く。タラップを登るときSがスキーの持ち出し申告を忘れたことに気がつき慌てたが時間なくあきらめる。搭乗後約15分でスタート。大変遠くまで曳航された後Uターン、スタートし一瞬の中にぐんぐん加速、空中に浮き上がる。助走の短さは外から見る時と同じで、全く一瞬にして何の予告もなくあっさり地面を離れ、右に傾いて旋回しながら急上昇していく。全く何の不安感もなくスポーツカーでシフトダウンしていっぱいにアクセルを踏み込んだ時と殆ど同じ感じで、気がついたら地上を離れていたということだけだ。一二回耳抜きを繰り返す中に、後方に見渡す限り灯の海が拡がる。一面に色々な光の点が散りばめられている。交通事故を表示するマップのピンの色やアレンジを思い出す。鋭角の翼の線がこの灯の海の美しいレーンをトリミングしていく。
 真下には灯台と船の灯が一塊になっている。きれいだなーと思っている中にガスで一度二度消えやがて翼の下で点滅する赤い灯を残して一面の闇になる。時折、少し揺れるが飲み物の注文やら色々な書類などがまわってきて忙しくなる。スタート後30分あまりするとかなり寒くなる。PM11:00食事がくる。機内は思ったより狭いがシートなどは、ほぼ一等車並みだ。サービスはとても列車の比ではなく最高にご機嫌。Sはスコッチ水割りが¥180だと気を良くしている。外でゴーゴーと云う音と時たま揺れる以外とても空を飛んでいるとは思えない。
 芝居のセットの中にでも座って効果音が流れているようで、時速800kmで飛んでいるなどという感じはまったくない。乗客は座席のちょうど一割位だろうか。かなり少ない。眠ろうと思っていたらスチュワーデスが別のシートの間の肘掛けを外し3つ分のシートに横になれるようにして毛布、枕など用意してくれる。これは快適と思ったが、暑かったり寒かったりでほとんど眠れぬ中に物音で起き上がると朝食が運ばれてくる。なかなか美味しく快適に食べられる。

 飛行機は乳白色の空に貼りついたかの様にやはり全く動かない。翼にはプロペラもないから何万馬力かの分からないエンジンがガソリンをバリバリ喰っていることも分からない。トイレのドアーを開けて驚いた。広くはないがおよそ考えられる総ての物がまわり中にビッシリ組み込まれている。シートの紙カバーから資生堂の各種化粧品までが全く要領よく収まっていて文句のつけようがない。最後に水を流そうとボタンを押したらインクのような液体がザーっと流れ出したのには全く予想しなかっただけ度肝を抜かれた。こんなトイレはどんな一流ホテルも到底、太刀打ち出来まい。とても一度では全部は楽しめない。また改めて出直そう。飛行機はときどき乱気流にでもぶつかるのか暫く揺れることがある。その揺れ方が船が波に揺られるような感じとは全く異なって、淡々とハイウェイを走っていたスポーツカーが突然砂利道に飛び込んだ時のようにガタガタと小刻みに揺れる。普段が大変静かなだけにあまり良いものではないが気分の悪くなるような揺れ方ではない。

9時頃雲がきれて下にかなりの大きさの島が見え少しづつ高度を下げ始める。やがてオアフ島とおぼしき島が現れる。あこがれのハワイ航路だ。Sがカメラを引きづり出してソワソワし始める。こちらも付き合いで撮り始めようとしたら怪しげな音がしてカメラはストップ。慌ててダークバッグ。その後は恐る恐るだったが一応順調で一安心。島はどんどん近づき人家や軍用飛行機場などの上をかすめるようにして無事着陸。ブレーキの効き方なども感じのよい車のブレーキと同じで高速から低速まで同じように良く効く。停止前に乗降口が開けられ停まるとすぐ乗客はぞろぞろ降りて行く。スピーディーだがこれでスチュワーデスの笑顔の見送りでもなければすこし味気ない。タラップの前にwiki wikiと書いた、ふざけた絵のついた一見電車風の二両編成のディーゼルカーと覚しきものがきている。走り出したかとたかと思ったらほんの200m位で一時停車。かと思うと皆がぞろぞろ降りて行く。羽田のゲートからタラップまでの1/10位の感じだ。
預けてあったスキー等を受け取り手押し車に乗せて、また数メートルで税関。どうもテンポが合わない。税関の奴はエラそうな顔をしていたが、板から外してコートのポケットに入れていたビンディングは、最後まで何のものか良くわからなかったらしい。まあ無理もなかろう。

by my-pixy | 2014-05-12 11:24
2014年 05月 11日
1964年・$500と¥30000の旅
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 考えるところあって50年前の旅の日記帳をブログに連載することにしました。当時は8ミリムービーに熱中していたので静止画像は多くありません。そのためどちらかというと文字主体になります。長くなったらHPの方に移動するかもしれません。1ドル360円時代の貧乏旅行でしたが旅の相棒は同級生の須佐美康治氏です。原文を尊重し訂正は最少に止めました。

 学生時代からパスポートなしで行ける海外旅行だなどといって、ニセコにスキーにいったり、本土返還になった奄美に出かけたりしていました。ヨーロッパのスキー場のパンフレットなどは貴重品のように取り扱っていました。1950年代に入るとトニーザイラーアルペン3冠王、猪谷千春のアルペン入賞、自分自身のスキー連盟指導員などが続いていました。

 時を同じくして歯科臨床の方ではタービンやエアーモーターが導入されて、長い間歯科用ユニットのてっぺんに鎮座していた電気エンジンが消えて座位診療への移行が始まりました。診療室の設計は抜本的に見直されることになり診療システムの変革が急速に進み始めました。1964年東京オリンピックは社会全体の変革の節目でもあったのです。 こうした流れのなかで1967年に新築移転を控えていたわれわれは、情報収集と技術導入のラストチャンスを迎えようとしていたのです。

 ようやく訪れた海外渡航には総力を挙げて、仕事から遊びまでどん欲に取り入れたいと正月休みを延長して欲張った計画を立てました。カメラは3台、重量制限でスキーのビンディングは外してコートのポケットにいれるなどしてワイキキの浜を歩き、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ニューヨーク、ボストンを経由し、コペンハーゲンからスイス、オーストリアのスキー場を巡り、最後は南回りでバンコック、シンガポールで途中下車して、1964年クリスマスから翌年1月末までの40日間でした。吞みすぎだ、睡眠不足だ、と泣き言はしばしばでてきますが、何とか無事帰ってこれたのは33才という若さだったからでしょう。
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 上の画像は当時もっとも影響を受けた小田実、スキーの片桐匡さんの著書と、最後のポスト型のユニットとなったCenntury unitと先端を走り始めたスペースラインで模索していた仮オフィスです。長期休暇が取りやすいこと、スキーをしたいことで躊躇なく暮れから正月を選びましたが、このことが様々なネックになって目的遂行をさまたげることになりますが、タイミングだけはベストでした。

by my-pixy | 2014-05-11 12:08
2013年 07月 22日
個展 ?
f0103459_1635328.jpg 患者さんからのリクエストで古い風景写真をB1サイズ(103X73センチ)10枚にプリントしてもらいました。スライド、デジカメ半々ですがフレームつきだと1枚9000円になりますし、後始末のこともありますから自分ではおいそれとはできません。何かの展覧会などといっても1枚か2枚ですから、10枚揃っては生涯初めての経験です。同じビルの中のシオの会社なので塩田の写真が多くなりましたが、マダガスカルも半数ほど選に入りましたので、お金はかからないちょっとした個展ムードでした。よその会社の中ですから皆さんをご案内はできませんが、またいつか次のご注文が来ることを期待しています。

by my-pixy | 2013-07-22 16:57
2013年 02月 01日
2月  ベネチア 
f0103459_841374.jpg 少し季節は早いのですが、病院通いなどが多かった今年の1月が終わってほっとしています。そんなせいでこんな写真が出てきました。
 実際には5月の連休のことで一泊しかしていませんが、何となく目に止まったのはこのところの気分に合ったからかもしれません。体勢は整ったので今年の連休にはなどと思っているからでしょう。もちろんスライドからのデジタル化ですが、症例写真はほとんど処分しても旅のスライドだけは、そのままファイリングキャビネットに入っていますし、カレンダー製作もあってパソコンにもたくさん入っています。月替わりの記事は彼らの出番です。

by my-pixy | 2013-02-01 08:58
2012年 12月 01日
ホバート   1972
f0103459_13491847.jpg 最近はすべての事情が変わってしまいましたが、かつては世界各地に伝統と歴史を誇るヨットレースがありました。クリスマスにシドニーをスタートし新年にホバートにフィニッシュするレースはそうした中の一つで、ホバートの港では地元の舟をすべて退避させてレース参加艇を受け入れます。町の人達はヨットのマストが立ち並ぶ情景をお正月の飾り付けのように楽しみにしているようでした。
 1972年日本からも参加するヨットがあり、その観戦をかねてオーストラリアに出かけました。

by my-pixy | 2012-12-01 09:41
2012年 09月 01日
9月・ 遠くへゆきたい
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 新しいカメラも手にはいったし、たまには新幹線以外にも乗ってみたいものと思っていたら、ドイツ経由で帰ってくる人、海外からのメール、沖縄クルージングのお誘いなど、どどっと良い風が吹いてきました。
夏休みでしばらく放り出していた語る会事後抄録、今夜にでも片付けて身辺を整理しておかなければなりません。

by my-pixy | 2012-09-01 19:44